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イギリスのアカデミアで泳ぐ

こんにちは、あめです。

早いものでイギリスの大学院留学も終わりに近づこうとしている。学部時代に喉から手が出るほど憧れていた留学生活も、もうすぐおしまいだ。
たかが8か月。されど8か月。振り返ればいろいろなことがあった。

私はイギリスに対して思い入れが深いわけではない。確かに、学部時代の恩師はイギリス人の先生だったし、"British History and Culture" や"British Literature"と銘打った授業も履修した。高校卒業直前に一人で旅行した先がロンドンだったのがきっかけで、イギリスに対する漠然とした憧れがあったことも認めよう。それでもイギリス文化が大好き!だとか、絶対イギリスに行きたい!といった秘めたパッションを抱いていたわけではなかった。

留学先を決める際の決定打は、1年で修士号が取れるとか、学びたい分野における世界ランキングが高めだとか、銃社会じゃないからアメリカよりも危ない目にあうことが少ないんじゃないかとか、もっと現実的な理由だ。
そもそも、学部時代で交換留学先として希望していたのはイギリスではなく、デンマークをはじめとする北欧だったし、イギリスの大学について詳しく知ったのは、実は大学院進学に向けてのリサーチを始めてからだった。

志望理由に夢がなくても、それなりに努力すれば合格できるのが英国大学院入試だ。(そういえば、入学の際も志望理由書、つまりエッセイが重視される)
第一志望の大学から土壇場で入学を断られたり、トラブルは絶えなかったが、実際に飛び込んでみると、イギリスのアカデミアはなかなか居心地がいい。少なくとも私はそう感じた。
まず、採点基準がびっくりするほど公平だ。ほとんどの授業がエッセイ100%。おまけに、無記名で提出するので、誰が書いたのかわからないまま、採点者はエッセイの採点をしていく。変な忖度も贔屓も入る余地すらなく、純粋にエッセイの質だけで成績のすべてが決まる。
つまり、どれだけ授業内で発言しても、ディスカッションで貢献しても、明確な形では加点にはならない。ほとんどの授業では、出席の有無さえ確認されない。いくら授業で大活躍してもエッセイがボロボロだったら点数は低いし、逆に授業に1回も出なかったとしても、理路整然とした文章が書けていれば、最高評価のDistinctionだって狙えてしまう。どこに力を入れればいいかはっきりとしている点、そこが好きだ。

余談だが、英語では「(判断基準や指示などが)はっきりしているさま」を"Crystal-Clear"と言ったりする。クリスタルのように透明性が高く、明確。まさにイギリスの成績評価システムのこと。

しかし、慣れるまでには時間がかかった。学部時代は出席率とクラス内での発言量を重視する文化が強かったので、イギリスのエッセイ100%で決めるアカデミックカルチャーは衝撃的だった。最初はエッセイを書くときに変に力が入ってしまい、考え込みすぎて全然筆が進まないこともしばしばだった。
それでも、1学期目を乗り越えればなんとかイギリスのアカデミアで泳げるようになっていた。例えば、2学期に入る頃には、内容と構成を決め、2週間強で10,000ワーズを錬成できるようになった。
しかし、改めて考えてみると無茶なやり方だと思う。高いハードルをいきなり設定されるのだから。登山初心者に、低めの山からではなく、いきなり『富士山に登ってみろ』と指図するのと同じだ。よって、私のライティングの質が劇的に向上したとは思えない。あくまで英文処理のキャパシティが広がっただけ。それでも、短期間で大量の英語の文献を読み込み、エッセイという形でアウトプットできるようになったのは、大学院留学で手に入れた貴重なスキルだ。

悩みながらでも、転びながらでも、真面目に取り組んでいればそれなりに報われる。だから、これから進学する皆さん、ライティング課題を恐れすぎず、頑張ってください。

帰結がよくわからない感じになったけど、それでは。



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