期待に応えようとしたことが、一度だけありました

会員さんや協力医の先生方、支援者の方々から寄付をいただいて会を運営しているのに、その皆様の期待に応えようと思ったことが基本ない、と言ったら、皆さん驚くでしょうか。

でも、事実なんです。

別の団体さんのことですが、『会費の見返りとして、サービスが要求・期待されている』という文言を読んで、そういうものか!と思ったりします。

そんな私にも人の期待に応えようとしたことが一度だけあってそれは前回の、5年近く前に予防接種の委員になったときでした。

予防接種の委員に一般の人が選出されることは初めてだったので、周囲の皆さんから連日期待してる、期待してると言っていただき、その期待に応えようとしました。

自分自身、栗橋病院で始めたOrinasを辞めてでも、これに携わらなければいけないと、かなり覚悟を持って引き受けた役割だったこともあります。

でも、本当に上手くいかなかったのです。

必要性を訴えながら全体のバランスをとることよりも、なんだか期待に応えよう応えようと動いてしまいました。普段どれだけ小児医療、と言っていてもテーマが高齢者のときは高齢者のことを真剣に考えている(上手に発言できるときばかりではないですが)というのに。。。

でもそういうことをせずに、期待に応えようとばかりしてしまったのです。

で、最終的に、望む結果も得られず、すっかり自分自身にも落胆し、任期を満了後、更新を求められましたが、委員を自ら辞退したのでした。

2年間お休みして、今回は本当に自分が必要だと思うことを通常の私のままで伝える役割、だから、やろうと決めて一昨年新たな気持ちで作文を出し、立候補したのでした。
(予防接種の委員だけは作文と面接審査があります)

期待に応えようとすると、私は失敗する。

向かない。


と痛感したのでした。


私は周りがなんと言おうと私がやりたいことを、必要だと思うことをやるだけ、それしかできないのだと思った経験でした。

やりたいことをやっているというと、傲慢だと思う人がいるかもしれないけれど、人の期待に応えるということのほうがよっぽど私には難題でした。

オリンピック選手とか見ていると、「期待に応えます!」と発言される方が大勢いて、立派だなと思うと同時に期待になんて応えなくていいから、普段の力が出せるといいな、実力がそのまま出せるといいなと願ってしまいます。

学校現場でも、わりと子ども達が(教師や親の)「期待に応える」発言をしているのを見かけます。こちらの勝手な期待になんて応えなくていいから、自分のやりたいように生きてほしいと私なんかはただただそう思ってしまいます。

信頼と期待の話は随分前に書いたのでこちらで。
信頼はしているけれど、期待はしていません
期待は絶対にダメということはなくてたまにの適度な期待なら、いいと思うんだけどね。

1月の東京の空が大好きです。

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