海士町のみなさんが更新されているnoteや、海士町のことを書いてくださったnote、#海士町のnoteなどをまとめています。
「ないものはない」という新しい贅沢を提案する、日本初の本格的なジオホテル・Entô(エントウ)に関するマガジンです。Entô https://ento-oki.jp/
久々の東京で、とっても、とっても嬉しい時間を迎えさせて頂きました。日本の、この国だからこそ生まれるラグジュアリーを表彰するJAXURYアワード2024、3年連続で受賞することができました! このJAXURYアワードはそもそも幅広く、焼き物や、美容、車や船にホテルと異業種も異業種でありながら、個人で丁寧に営まれている職人から、トヨタやサントリーといった規模まで千差万別の選定なんです。さらに理事には茶道家の方から民間経営者に、大学の学者の方までと多様に富んでいるのにも関わらず、
隠岐は、海士町は、17年前には旅先だった。 22歳の秋に初めて3泊4日で訪れて、その半年後に訪れた2回目の来島が引越だった。3年間をこの島でまちづくりを経験してみようと決めてみて、自分の力不足が悔しくて観光に打ち込んだ20代。ふと気づくと、ホテル業にまでがっつりと関わり、自分の会社まで立ち上げることになっていた30代。あっという間に40歳になったなんて自分でもびっくり。なんか加速してないか、この時間の感じ方。 若手と言われていた方だったはずなのに、気づけば若い人は、なんて言
2023年7月1日。Entôとして産声をあげてまる2年が経ちました。この記念すべき1日になんと自分は島にはいることができず・・・!大切な記念日に立ち合うことができませんでした・・・涙 とはいえ、スタッフ間の連絡用ツールや、直接のメッセージ、各種SNSから届いてくるEntôの様子は、それはもう格別な様子ばかりでした。ご来館いただいた皆様。今日という日にご宿泊いただいた皆様。ありがとうございました。そして、今日この日を共に彩りを加えて頂いた、地元のまるど(島のマルシェ企画)運営
2013年3月13日に、海士町観光協会の子会社として設立した株式会社島ファクトリー。気づけば、今日で丸10年がたったのでした。決して早かったとは思わないけれども、それでも「あぁ、10年たったのか。」と、しみじみに実感する節目となりました。ふとこの10年を思い出したくなったので、節目としてここに記していきたいと思います。 島ファクトリーとは。 Entôを経営する㈱海士の代表を務めていますが、この立場になる前から立ち上げていた島ファクトリーの代表も兼務を続けています。設立した
ジオパークの泊まれる拠点「Entô」がオープンして、あっという間に1年が経ちました。2021年7月に開業したのち、今年の1月には「未来をつくる島ホテル」という番組にて、松本潤くんが訪れてくれたことでも話題になり、本日山陰エリアで再放送があります。 「ホテル」とは何か。自分たちが囚われているかもしれない「ホテル」の在り方そのものから見直して、地域=島にとって欠かせない宿泊施設とはなにか。そして旅人にとって、わざわざこの遠い島へ訪れる価値のある宿泊施設とはなにか。この問いに向き
宿泊部門の2022年アワード、受賞。 とっても嬉しいニュースを頂きました。JAXURY、日本のほんものであるブランドに光をあてる。そんな表彰の宿泊部門の2022年アワードにてEntôを選出して頂き、昨日の授賞式で表彰を頂きました。世界が揺れているこの時代において、自分たちの役割を再認識させて頂ける、そんな機会となりました。 元々、Entôの構想を練っていたときから、この小さな島に、いわゆる華美なラグジュアリーホテルを創りたいわけではない、と当初から語り、honestとse
友人のSNSで、民俗学者の宮本常一さんの言葉をまとめ考察している文献に出逢った。旅人は地域に何をもたらしていたのか。そして、観光業という言葉を旗印に、地域に住む住民こそがこの土地をどうしていきたいのか、その意志を土地がもっているのか。辛辣に問う内容であり、そしてこの10数年、探求し続け来た答えの1つに出逢えた気がした。 島が呼吸をするように、交流が息づいていた。 ホテルや観光業といわれる仕事は、決して地域の経済的効果のためだけに働いているわけではないし、観光客はその手段で
島根県に浮かぶ隠岐諸島、海士町(あまちょう、と読みます!)にある泊まれるジオ拠点施設「Entô」を経営しております、青山敦士と申します。この度は、第31回JNN企画大賞 『未来をつくる島ホテル』をご覧いただき、Entôや海士町へのご興味・ご関心をお持ちいただき、誠にありがとうございます。せっかくのこの機会を通じて、よりこの島のことや、Entôのことを知って頂けると、とっても嬉しいです。 ※TVerにて1週間見逃し配信があります。ぜひご覧ください。https://tver.j
新年明けましておめでとうございます。 自分の自覚以上に走り続けることになった2021年。年末までありがたくバタバタさせてもらったんですが、新年を迎えた元旦に、意を決して人生で初めて昼から1人で日本酒を味わってみたところ、たまらない幸福感を覚えてしまいました。そのうえで、本当に文字通りのんびりと2021年を振り返ってみると、それは濃密な1年間だったなぁと自覚しました。ほろ苦い課題も含めて少しここで振り返ってみたいなぁと思います。 本文の前に1つお知らせが。この投稿の最後にも
海士町の取組について、観光庁長官表彰を頂くことができました。 遠くこの小さな島の取組を見つけてくださり、そして多数の方が長きにわたって、種に水を与え続けるように様々な形で関わってくださり、このプロセスまでをも評価してくださったのではないかと思うと、本当に感極まるものがありました。関わってくださったすべての皆さまへ、関係者の1人として心から御礼と感謝申し上げます。ありがとうございました。 今回の受賞に際してポイントとしてあげてくださったのは主に4点。 ①ジオパークの拠点施設
毎日いるEntôのロビーから少し下をのぞくと毎日のように海の色が変わっていく。この時期の海を見ると、Entôの新棟が建つ前の旧館の名前が「緑水」だったことを思い出す。島に移り住んだときに「緑水」がこの眼前の風景を表している言葉だとは思わなかったし、海のことをこんな呼び方をしているなんて思わなかった。 以前に、海士のアイデンティティは海じゃなくて水なんだと思う。と話していた記憶があるけれども、長年住んでなお、そう思う。僕の勝手な想像だけれども、やっぱりカルデラとなっているこの
7月1日のグランドオープン。気づけば10日間がたちました。 1日の朝には地元の皆さんが集まってくださって、僕にとっては過去最多の量の餅投げを実施。地元の皆さんが民謡で盛り上げてくださり、真夏のような天候で僕からも意気込みを語らせていただき、山内前町長、大江町長からとても熱いメッセージを頂きました。 この日から雑誌の編集者の皆さんや、各種取材で来られる皆さん。以前からこのプロジェクトをずっと見守ってくれ続けた友人、このプロジェクトを共に創ってきたパートナーの皆さんが集ってく
明日、グランドオープン。 ほんとかよ、ってのが偽らざる本音です。「いつか」だったはずのオープン日が「明日」になってるという事実に改めて驚く。 たくさんの大先輩からホテルオープンは、直前がすごいことになるよ、と聞いていたけれども、こんな毎日は想像すらできなかったなぁと今思う。少しだけ時系列で振り返ってみたい。 6月21日のプレスイベントを終え、24日には株主総会を経て、改めて代表としての3期目を正式に迎えさせて頂いた。その日の夕方に集まれる限りのスタッフ・関係者が集まって
38歳の誕生日前日。少し日差しが強くて、青空が眩しい月曜の朝、人生初めてのプレスイベントで、Entôの開業を盛大に発表することができました。会場には30名弱、オンラインでは100名を超えるメディア関係者の皆さま。多様な顔ぶれの会場はどこか温かく、とても素敵な空気でした。 冒頭の写真は、イベントの最後に、この5年間、離れた土地からこのプロジェクトに深く、深く関わってくれたパートナーの皆さん。可能性は限りなく小さいよ、というタイミングからずっと伴走をしてくれた十枝裕美子さん、設
どれだけこの日を待ったことだろう。島民を対象とした試泊の前にスタッフ試泊として、自らまずは泊まってみる、という日を設けた。それどころじゃない、という状況でもあったものの、それでもやっぱり楽しみなことはあふれ出てしまう1日だったように思う。 解体現場から見学に来ていた小学4年生の長男が「おお、できたねー!」と第一声。どうしても負担がかけてしまっていた家族が、少しだけいつもと違う表情で、いつもと違うテンションで時間を過ごしてくれることは、つかの間の大切な時間だった。 どうした
7月1日のEntô、グランドオープン。ここに向けて、誰よりも声を大にして発信したかったです。このコロナ禍において、ホテル機能をもつ施設をオープンさせる意味。ジオパークの拠点施設であることの意義。地域におけるEntôの役割。ぐるぐるぐるぐる議論と対話と、少しの辛抱を経て、満を持してプレスイベントを開催することとなりました。 隠岐が世界に誇れるテーマとして「ジオパーク」に取り組み始めて丸10年。この先頭にたって旗を振り続けてきた野辺さんと共に、これまでの10年と、これからのこと