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(株)島ファクトリーが10周年を迎えました。

2013年3月13日に、海士町観光協会の子会社として設立した株式会社島ファクトリー。気づけば、今日で丸10年がたったのでした。決して早かったとは思わないけれども、それでも「あぁ、10年たったのか。」と、しみじみに実感する節目となりました。ふとこの10年を思い出したくなったので、節目としてここに記していきたいと思います。

島ファクトリーとは。

Entôを経営する㈱海士の代表を務めていますが、この立場になる前から立ち上げていた島ファクトリーの代表も兼務を続けています。設立した2013年当時は海士町観光協会のスタッフとして、島の宿泊業に着目した取組を続けていた真っ最中。もっと集客ができるためにツアーが企画できる旅行業、そして、島の宿が出す洗濯物を本土へ船に送るのではなくて、地元でリネンサプライ業を立ち上げるのだ、と観光協会が出資をする形で設立したのがこの島ファクトリーでした。

↓設立後、まもなくの当時の記事。(観光協会・島ファクトリーそれぞれの立場からの取材)

海士町として観光のバックヤードを支えるんだと息巻いて建築したリネンサプライ工場。まったくもっての素人たちで、文字通り1からクリーニング師の資格をとるところから、大型機械の使い方、シーツの畳み方もすべて手探りで始めたのでした。当時は、地元民宿をもっと島として売り出したい!と注力していた真っ最中。宿の水回りの清掃に出かけながら、ゲストの送迎も行いながら直接宿の感想や、そもそも来島した目的を聞いてフィードバックする。そんなことを地道に繰り返していた時期でした。観光協会時代からの相棒だったスリランカ人スタッフ、思ってもいなかったはずなのに工場長としてこの洗濯事業を構築してくれたスタッフ、インターンでわけもわからず毎日洗濯をする日々になったテニスマン。今もこの工場の父親の存在である本田さんと事業の構築を進めたのでした。

その後少しずつ少しずつリネンサプライ業で扱える量も増えていき、地元の福祉施設「さくらの家」のメンバーにも加わってもらいながら、オペレーションも確立していくことができました。旅行業としてのツアー企画や、当時多くの視察で来られていた方向けのシンポジウムを「島会議」として企画運営をしたり、親会社となる海士町観光協会と一体的にあらゆることに挑戦をしてきました。

現Entôを経営する㈱海士の代表兼務と同時に、小規模宿のB&Bあとどの開業へ

手探りの事業を細々と続けていた5年目となる2017年、語りつくせない経緯を経て(株)海士の代表を兼務することに。そしてほぼ同時期の2018年、島の小規模宿となる「B&Bあとど」の開業を島ファクトリーとして初めて経験。当時の担当スタッフが本当に必死に、必死につくりあげてくれて、これまた初めての経験だらけの宿泊事業に始めて着手したのでした。

リネンサプライ事業と同じく、宿泊事業についても手探りの中で立上げを行い、もがきにもがいている期間にありがたいご縁に恵まれたのでした。後々、この宿泊事業のオペレーションを見事に再構築し、黒字体質へと転換するスタッフが夫婦で関わってくれて、そもそもの事業特性を分解、再構築を見事にしてくれて、今に至るまでの基礎を構築してくれたのでした。

この頃から、兼務となったこともあり、島で唯一の大型ホテルを経営していた(株)海士との連携を強化。スタッフ間の行き来やお互いの情報交換が深まりつつありました。(当時は様々な戸惑いと若干のハレーションもありました)ちょうどその頃には、会社経営そのものも苦しい時期に突入していたこともあって、経営者として初めて資本政策や当時の自分の力では打破できない様々な問題を、それはもう本当に数えきれない方々のサポートのおかげで1つ1つ乗り越えられてきた記憶があります。本当にもう会社を整理しないといけないかと覚悟し始めていたときに、「君ならできる、進みきれ」と真剣に目を見て励まし続けてくださった恩人の言葉には、当時本当に救われていました。

コロナ禍に突入、島ファクトリーの新しいフェーズへ。

なんとか会社も継続できるような状況になってきた中で、そのころにはさらに嬉しいご縁もあって、海外から帰国したと同時に半移住・他拠点生活を始めたスタッフが合流。新しい風を吹かしてくれました。まだまだエリアとして対応できていなかったインバウンド戦略として、地域にもっともっと入り込むコンテンツをツアーとして企画。AMA旅というガイド付きツアーや、その後も継続的に好評を得ているLife is Learning Tourの企画・実施など、新たな展開を始めます。

そんな中で突然のように始まったのがコロナでした。ニュースで見ていた騒ぎがいよいよ島でも本格化しはじめ、離島はある種の鎖国化。そのときに、僕が不在の場でスタッフが集まり、観光が何ができるか、という問いのもと1週間で実施まで踏み切ったのが「リモートトリップ」そして、当時のホテルと連携した「てしごとマルシェ」

このスピード感は代表である僕自身も想像以上のもので、そしてまたお客様からの反応も想像以上のものでした。ホテルが軒並み稼働が落ちる中で仕入れ自体も激減していた生産者と連携して、島の食材をあらゆる形でお客様の元へ届け、島の映像や音声で出逢いも提供していく。そんなコロナ禍での新しい観光の形をいち早く実現できたのは、当時のチームスタッフの行動力、チームワーク、そして何よりも想いとそのプロセスを楽しむ力があってのことでした。

島としての大きなチャレンジ「Entô」の開業。

コロナ禍真っ最中の2021年7月。島として大きなチャレンジとなったのが「泊まれるジオパーク拠点施設 Entô」の開業でした。島の宿泊施設を支える立場として、島ファクトリーも全面的にこの動きに合流。連携を本格的に強化してきた3年間でした。特にEntô現場へはリネンサプライ事業も兼務する形で石田大悟さんがクリンネス事業へ合流。この島ファクトリーでガイド業もバックヤードも全ての経験を共にしてきた本田さんもタビナカ業務を担い、藤代さんは人事やタビマエ業務を担えば、当時入社してくれたばかりだった藤尾さんは、タビマエ業務の膨大な実務を見事に構築してくれたのでした。

Entô開業と同時にリネンサプライ事業も、経験したことがない忙しさに。
なんとそのサポートには役場の課長はじめ皆さんのサポートも。
大人の島留学はじめ、多数のインターンの皆さんにも本当にお世話になりました。

境目をなくす、という意味でのシームレスという言葉を1つのキーワードに、地元観光協会との連携も強化。さらには島前3島、隠岐DMOとの連携や旅行業の強化も始まっています。2022年末からはフルリモートでの採用も実現でき、より柔軟なチームづくりを進められています。

10年間で生み出せたもの。生み出せなかったもの。

振り返ってみると、たくさんのシーンがよみがえってきます。あらゆるシーンで「手探り」だったなぁと少し笑ってしまいます。その手探りを覚悟して、本当に誇りに思えるほど、心から感謝できるほどに、その時々に島ファクトリーのスタッフは挑戦を続けてくれました。その風土、その文化は心から誇りに思います。緻密な計算、緻密な計画をしていたらきっと飛び込まなかった事業、生まれなかった挑戦や連携の価値がたくさんあったと思います。「まずはやってみよう」この文化が生み出した挑戦は、誇りに思いたいなと思うのです。

一方で、その手探り感から事業性という意味ではスタッフに対しても、地域の関係者の皆さまにも本当にご負担をかけつづけた、そしてお世話になり続けたのもまた事実です。そしてそれがまた、あらゆるチャレンジの事業性の芽を長期的な視点では育み切れなかった要因になったものも少なくはありません。少しだけ経験を積み重ねてきた中で、そろそろフェーズをまた変えていく、深化させていくタイミングなのだとも感じています。


10年前、観光協会とほぼ一体化しながら設立をしたので、ある種社内起業的な位置づけでもあったし、ずっとその位置づけは変わっていませんが、それでも初めてスタッフの給与を支払うときの緊張感、その後スタッフの結婚の話を聞いたとき。スタッフに家族が増えたニュースを聞いたとき。新たな挑戦をはじめると聞いたとき。そして、会社を本当に失いそうになったとき、それでも何とか守り通せたとき。あらゆるシーンでの感情が、記憶力に全く自信がない自分にしては鮮明に思い出せるものです。

唐突に10周年たったのだと知って、ふと思い出してみましたが、しみじみと10年なんとかやってこれてよかったな、という感情がしみだしています。それと同時に、この会社を本当に大切に思ってくれていた地域の関係者の皆さま。島外からこっそりと応援をし続けてくれたたくさんの方々、そして様々な人生のフェーズで関わってくれたスタッフへ、心からの感謝を申し上げます。改めてこの10年間、本当にありがとうございました。

まだまだ未熟な会社ではありますが、今一度次のフェーズへ向けて一歩一歩あゆみを進めたいなと思います。どうか、これからも宜しくお願いいたします。長文を読んでいただき、ありがとうございました。


株式会社島ファクトリー
代表取締役 青山敦士

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