見出し画像

なぜオードリー若林さんのエッセイは心地よいのか

誰しもが心地よさを感じるオードリー若林さんのエッセイ。
自然な時系列に波打つように散りばめられた伏線と回収。時より差し込まれる内なる呟きが行間を埋め、繊細な言葉のチョイスに彩られた末尾が頁を進ませる。
僕らの脳内に溶け込んでいくこの心地よさ、どうやらまだ「何か」が隠されているようだ。

オードリー若林さんの『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』の文庫本が発売になったので、改めて旅行記を堪能した。
若林さんのハニカミと心拍数が伝わってくるような情景描写、愛らしくキャラ付けされた現地の人との出会いは何度読んでも唸らされる。

絵画の芸術性は正直分からない。何がどう凄いのか、鍛錬すれば到達できるのか否か。作品だけでは感じる由もなく、裏側に秘めた物語を辿る他ない。
文章はどうか。誰しもが日記や読書感想文なるものを書き、思ってもみなかった己の稚拙さを知る。知らずと積み上がった下地が若林さんのエッセイが特別な存在だと教えてくれる。

若林さんのエッセイを特別たらしめる、醸し出す心地よさに隠されたエッセンスは何か。それは「リズム」だと思う。

特別な思い出として切り取られる何気ない日常、言語化された素通りされるはずだった感情、紐づけられる物と心との出会い、などなど。
それらを小気味よく踊らせ、僕たちの脳内に心地よく溶け込ませていくのは文章のリズムではないか。

漫才で血肉として染みついた聴者を引き込むテンポ、そして愛してやまないラップが踏ませた韻が文章に息吹を吹き込んでいるに違いない。
(miwaさんのライブにゲスト出演した際のラップがまた凄い)

文章に限らず、表現者の芸術性を高める重要な要素はリズムで間違いないだろう。話芸に秀で高揚感を醸成する人には独自のリズムがあり、そのどれもが心地よい。若林さんのラジオでのエピソードトーク然りである。

では、どうやったら自分の中に粋なリズムを宿すことができるのか。
「そんなの理屈じゃなくて、場数だろ」
吐き捨てるような若林さんの愛ある声が聞こえた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?