見出し画像

スポットライトが当たることは報い。私が私の過去を舞台にのせる理由。

こんにちは。

元ぽちゃ専デリヘル嬢のメンヘラ女、

ひらた さおりです。

(なにその自己紹介…と思った方はこちらも読んでみていただけますと幸いです💁‍♀️)

https://note.com/alumi2um/n/na84e26cd4796

先日note初めての記事をあげたのですが、ご覧くださった皆さん、スキやTwitterでのふぁぼ、コメントありがとうございます。

本当に涙が出るくらい嬉しかったです。

また共感してくれた方々、精神疾患の症状に覚えがある方にしろ、なかなか人に言えないお仕事をしている(していた)方にしろ、

本当にお互い、しんどい思いをしましたし、未だにしてしまいますよね。

なんとか生きていきましょうね。

気張らずに!


皆さんの反応を受けてこれはいよいよ実現させたいぞ、と身の引き締まる思いもありました。

とはいえ、前述の記事を読んでくださった皆様におかれましては既にご存知のことと思いますが、私は責任というものに滅法弱い人間ですので、それなりにマイペースにやっていこうと思います。


さて、今回は、

何故、私が過去の話をわざわざ脚本におこして舞台化しようとするのか?

というお話をしようと思います。


皆さん、グレイテスト・ショーマンという映画はご存知ですか?

バーナムさんという人が、フリークスと呼ばれるユニークな人たちを集めてサーカスを始める話です。

私あの作品が本当に大好きなんです。

一回見ただけで三回泣きました。

えー…以下ネタバレが苦手な方は観てから読んだ方がいいかもしれません。


****


グレイテスト・ショーマンの主人公はサーカスを興したバーナムさん……なんですが、

私はサーカスでいわゆる「見世物」となる

フリークスに凄く共感して感動しました。


フリークスはそれぞれ奇異とも言える特徴を持った人々です。

最初、博物館を運営しようとしたバーナムさんは、それがうまくいかず、

小人症の男、大男、髭の濃い女、全身刺青の男、結合双生児の兄弟など、

世間から隠れるようにして生きていた人々を集め、いまでいうサーカスのような興行を始めます。


作品中で三回泣いたうち、まず最初に感極まってしまったのは、そのフリークスの初舞台です。

笑われないように、馬鹿にされないように、自分の特異さにコンプレックスを感じながら、息を潜めて生きてきたフリークスが、

誇りをもって堂々と人前で

歌い、踊り、演目を演じてお客さんを魅了する

その姿は本当にカッコよくて、

気づけば涙が溢れていました。


なんか、なんだろう。

報われた〜!

って思ったんです。


…唐突に思えるかもしれませんが、

皆さんは、臭いものに蓋をするということわざをご存知ですか?

臭いものに蓋をする:悪事や醜聞などを、他に漏れないように一時しのぎに隠そうとするたとえ。

意味を聞いてみると、皆さんにも一度はこのことわざに当てはまる状況を経験していたり見たことがある人は多いのではないでしょうか?


では、

「蓋をされた臭いもの」の気持ちって考えたことはありますか?


コンプレックスを抱えて

人目を気にして

できるだけ誰にも気づかれないように生きていく気持ちって、

それと凄く似ているんじゃないかって、

私は思うんです。


…私はね、生まれてきたことの報いってなんだろうと思ったら、それはまず「認知されること」じゃないかと思います。

戸籍上の話ではなく、

そこにいる、そこにあることを認められることです。


そこにいることを隠されたり、

いないものとして扱われたりすることは

本当に生き甲斐がありません。


だから、

スポットライトを浴びて、

多くの人に認知されることは、

それだけで生まれてきた報いになると思う。


しかもグレイテスト・ショーマンのフリークスは、

「見世物」といえばなんとなく特異なヒトを笑いモノにする、卑俗なイメージもあるかもしれませんが、

コンプレックスを個性として認め、演出と努力で「笑われる」を「楽しんでもらう」に昇華できていたので、自分に誇りだって持てるようになっていました。

それって本当に、凄く素晴らしいことだと思いませんか。


またこの作品の面白いところは、

バーナムさんが善意でフリークスを救ったヒーローではないところです。

バーナムさんがフリークスを舞台にあげ、スポットを当てたのは、あくまで自分の成功のためです。

惨めな気持ちで生きるフリークスを哀れに思ったからでは決してありません。

でも、だからこそフリークスは自分たちに誇りを持つことができた部分があるんじゃないかと思います。

前のnoteで書きましたが、「人を救うのはまっとうな善意だけではない」というのは、この作品でも描かれていることだと思います。

……ん?これは余談かも。


主題に戻ります😅


つまり私が何を言いたいのかというと、私自身の経験を舞台化する理由は、

私の中のフリークスを舞台にあげて人々を楽しませる作品に昇華したい!

ということなんだと思います。


「生まれてきたことに意味があるか?」

私はついつい、いつもそんなことを考えてしまいます。

私は、どちらかと言えば元々は意味なんてないと思っていました。

そして最近は、

誰かに影響を与えた時、はじめて意味をなすのかもしれない、と思いはじめています。


そうならば、その「誰かに与える影響」は良いものであって欲しいじゃないですか。

コンプレックスのある人が、その身を隠して生きていこうとするのは、

自分が「誰かに与える影響」が悪いものかもしれないと恐れるからです。

不快に思われるとか、迷惑をかけるとか。

だから、自分は恥ずかしいとか、愛されなくても仕方ないと思ってしまうんじゃないかと思います。

でもね、…これは、私も未だ信じられていないことではあるんですけど、

生まれてきちゃいけない人なんて存在しないらしいです。

…そうであるなら、そうあってほしい。

私は、

自分の中で恥ずかしいことかもしれないと思ってきたことを、

人前に晒すことで、

人に影響を与えてやろうと思います。


あわよくば、面白いと笑ってほしい。

見た人の価値観に打撃を与えて新しいものの見方を発見したと思ってほしい。

或いは、私と似たような思いをした人にも、その思いが報われるところを目の当たりにしてほしい。

…です。……まだできるか、わかりませんけど😅


……なんだか、言いたいことが、ちょっと散らかってしまったかもしれません。

言いたいこと、伝え切れてるでしょうか。

まだまだ文章力も発展途上といった感じの私ですが、これからも応援していただければ幸いです。

今回も記事を読んでいただきありがとうございました😊

This is me!🥰

画像1

…あとの二回、どこで泣いたかはグレイテスト・ショーマンを見て予想してみてね!

#グレイテストショーマン #ぽっちゃり #演劇 #舞台  

#エッセイ #体験談 #芝居 #小劇場 #デリヘル嬢

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?