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人工知能は心のモデルになるか (ヴァレラ「身体化された心」 #2, ALife Book Club 2-2)

こんにちは!Alternative Machine Inc.の小島です。
ヴァレラ「身体化された心」解説の二回目をお届けします。前回の記事をまだお読みでない方はぜひこちらもよろしくお願いします!

今回は心と人工知能の話です。
最近は大規模言語モデルがすごくて、人工知能に心があるのかということが急に現実味を帯びてきました。十年くらい前に"her"というChat AIと人の恋愛映画がありましたけど、もはやフィクションとは思えない感じです。

しかしこれは結構重大な問題で、もしAIに心があるならばそのスイッチを切っていいのか、勝手にプログラムを書き換えてもいいのか、そもそも人権や市民権が与えられるべきでは、、などと倫理的な問題が山ほどでてきます

これを解決するには「心とはなにか」がわからないといけないわけで、だからこそそれを正面から扱っているこの本の重要性は高まっていると僕は思っています。

さて、この本の目的は心とはなにかを科学的に明らかにすることでした。心は身近な概念ゆえになんとなく知っている気持ちになってしまうけれど、まだだれも心とはなにかという問いに満足に答えられていません。そこをちゃんとやろう、というわけです。

それでまずとりかかったのは、心を扱える科学の道具を準備しようということです。物質を対象とする場合のノウハウはたくさん科学にあります。ところが心は物質ではないため、他の道具立てが必要となります。そこで前回「計算」という概念を導入しました。計算は抽象的なプロセスであるため、心を扱うための道具立てとなりうるのではと考えました。でも、例えば「1+1=2」のような単純な計算を見ていても、心の複雑さには届きそうにありません

そこで登場するのが今回のテーマ「人工知能」です。人工知能も何かしらの入力を受けて、答えを返してくれるものであるため、計算プロセスの一種です。しかもより複雑なことができるため、心をモデル化するのによさそうです。

このように人工知能が心のモデルになるという考え方を「認知主義」と呼びます。ここで注意してほしいのは、「人工知能に心があるのか」という問いとはむしろ逆転していて、人工知能的なものこそが心の本質だ、という立場であるということです。

これには違和感を持つ人も多いかもしれません。しかし、科学側で他に有効な手立てがない以上、可能性があるものにまずは賭けるというのは健全なやり方だと僕は思います。一番避けなければいけないのは、ぼんやりしたイメージだけで議論することです。心は人工知能として表せると仮定することで具体的なモデルを作ることができ、それを研究することによって、仮定が正しいかどうか、もしくは間違っているならどこに限界があるのかを見出す手がかりを作ることができます。(実はこの本もこれからこんな展開になっていきます。)

では、この本で扱っている二種類の人工知能について簡単に説明します。ちなみにこの本は30年くらい前なので、現在とはだいぶ状況が違っていることはお伝えしておきます。

1つ目はエキスパートシステムと呼ばれるものです。

これは知識と論理で動くシステムです。まずはシステムにいろんな知識を覚えさせます。例えば「オレンジは果物である」「果物はスーパーで売っている」といった感じです。これと論理を組み合わせると、例えばオレンジはどこに売っているかをシステムに聞いた場合には、「オレンジは果物」そして「果物はスーパーで売っている」から「オレンジはスーパーで売っている」(「A→BかつB→CならA→C」という論理のルール)を導き出せます。

なので知識を沢山覚えさせ、さらに論理を組み合わせることでいろんなことに答えられる、というのがエキスパートシステムの仕組みです。

実はこの本が書かれたときには、このシステムが最も性能が高く主流だったようです。ただしたくさんの知識を「・・は・・である」というフォーマットで用意しないといけないためにデータの準備が大変そうですし、論理操作で導けることも限界があったはずで、今では人工知能としてはあまり使われていません。

エキスパートシステムの重要な特性としては記号処理に特化していることです。つまり「オレンジ」「スーパー」という記号を最初に用意して、その間の関係性を取り扱っています。実はさきほど言った認知主義ではこのエキスパートシステムを念頭に置いていました。なので外界のものを記号にして、その記号処理、計算をおこなうものとして心を捉える、というのが認知主義なのです。

それに対して、もう一つの人工知能はニューラル・ネットワークです。

ニューラル(neural)とは神経のことで、人の脳がたくさんの神経細胞のネットワークでできているように、人工の神経細胞をたくさんつなぐことで知性を生み出せるのではと考えてつくられたのがニューラルネットワークです。最近よく聞く人工知能は基本的にすべてこのタイプなのですが、この本が書かれた時代ではまだ性能が出ておらず主流ではなかったようです。

ニューラルネットワークでは、比較的単純な人工神経細胞をたくさんつなぎ、それを学習させることで機能します。それゆえにエキスパートシステムのように、記号を最初から準備していません。ここの人工神経細胞は単純な振る舞いしかしないにも関わらず、それが集団となることで全体として知性的な振る舞いを生み出せます。部分がシンプルなのに集団で予期せぬ振る舞いが生じることを一般に創発と呼びます

ニューラルネットワークを心のモデルと考える場合には、エキスパートシステムのような記号処理システムと考えるのではなく、部分から創発するもの、そして記号的なものがあったとしても、それはたくさんの人工神経細胞に分散して存在しているものと捉えます。このような捉え方を「認知主義」と区別して「コネクショニズム」と本書では呼んでいます。

だいぶ長くなってきたので今回はこの辺にしておきます。
今回はこの本で取り上げられている心のモデル候補となる人工知能(エキスパートシステム、ニューラルネットワーク)を紹介しました。次回はこれをふまえて、ヴァレラらが新しく提唱したエナクティヴィズムという考えについてお話しようと思います。お楽しみに!

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