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メイヤスーの減算モデルと遅延記憶装置 (ALife Book Club 3-4)

こんにちは。Alternative Machine Inc.の小島です。
メイヤスー『減算と縮約』の第四回をお届けします。

今回は本丸、メイヤスーの減算モデルです
縮約モデルにしかならないはずの知覚をどう減算モデルに戻すのか、「遅延記憶装置」という科学的メタファーを使いながら説明していこうと思います。

前回までがまだの方は、ぜひこちら(#1, #2, #3)からご覧ください。

前回はちょっと脱線して、科学的文脈との接点の話をしてみました。今日は本筋に戻ってメイヤスーが提案する減算モデルのお話をしていきます

減算モデルと縮約モデル

まず簡単な復習から始めさせてください。
減算・縮約という概念はベルクソンの提示した二つのモデルから来ていました。あらためて書くとこんな感じです。

(a)「内在」あり:純粋知覚理論。知覚の内にあるものは物質の内にあるものよりも少ない。減算的。
(b)「内在」なし:記憶が付け加わったもの。縮約的。

全ては外界の性質からきていて、知覚はそこから差し引くだけ、というのが(a)の減算モデルだったのに対して、記憶(特に縮約的な記憶)が入ることでもともとの外界の性質とは違うものに変質する、というのが(b)の縮約モデルでした。
(くわしくは#2をご覧ください。)

ベルクソンはこの二つの見方を提示していましたが、(a)は理想化された条件のみで可能であり、実際には(b)しかおこらないとしていました

それに対し、メイヤスーは(b)のような状況であっても減算モデルは可能であると主張していきます。

メイヤスーの減算モデル

メイヤスーの主張を理解するために、まず(b)の状況だと減算モデルにならない理由をあらためて確認しておきます。
それは、知覚されているものが外界の性質とは違っているから、です。

具体的には「色」で説明されています。
外界の性質としては光は異なる振動数の波でしかないのに、知覚されると違う色という質的に異なるものになっている、つまり外界の性質ではなく「縮約」で生じた性質を知覚しているのだ、というわけです。

では、これをどうやって減算モデルに落とし込むのでしょうか?

メイヤスーの解決策はシンプルです。
この「色」に対応する性質も外界の性質だとする、としてしまうのです。
すなわち、知覚として取り出しうるありとあらゆる性質があらかじめ外界にある、ということにするというのが解決策になります。
(ただし、この外界の性質の変化については自然法則に従うとしているので、あくまでも物理的性質を考えているとみてよさそうです。)

ちょっと乱暴にも見えますが、これさえ認めてしまえば、この特定の性質だけを取り出すものとして知覚が捉えられるので、減算モデルにできるのです

「生成」はどう扱われるか

これによって、知覚されるものはすべて外界の性質からきていることにできました。

しかし、こうなると今度は別の問題が生じてきます。

この描像だと、もはや新しいものはなにも生まれない(「生成」が起きない)のです。
縮約モデルだと、ただの波を色へと縮約することで、もともと外界になかった新しいものを付け加えることができました。ところが減算モデルでは、もともと外界にあるものから減らすだけなので、新しいものが付け加わることはありません

しかし、メイヤスーは減算するところには「生成」があると主張します。

生成とは、諸々の流動とそれらの遮断のことである

メイヤス「減算と縮約」

ここでの「流動」とは外界の性質の流れのことで、「遮断」とは減算するために外界の性質をフィルターすることです。
さらに、遮断を遮断することもできます。これは(二重否定は肯定!)、一旦フィルターされていた特定の性質が再登場する、ことに相当します。
「流動の遮断」が生成というのは直感的にわかりにくいですが、「遮断の遮断」までいくと、これはなにもないところから流動が飛び出すことなので、生成っぽく感じられるのではないでしょうか?

遅延による潜在空間

では、遮断から遮断の間に流動は一体どこにいたのでしょうか?
メイヤスーはこの間の流動のことを、いつでも現実化しうるものとして「潜在的なもの」と呼ぶのですが、これの実体は何でしょうか?

ここで注意しないといけないのは、ここでは減算モデル、すなわち外界の性質以外のものは存在しない世界を考えている、ということです。
この縛りを維持するなら、潜在的なものも外界の性質(「流動」)に帰着しないといけません

そして出したメイヤスーの答えは「遅延」にあります。
これのイメージとしてちょうどいい装置を紹介します。遅延記憶装置です。

これはかつて用いられていた記憶装置で、記憶したい信号を波にして管の中をぐるぐるまわし続ける、というものです。ぐるぐる回せば、そこに信号がずっと滞留しているので、あとはほしいときに読み出すことで記憶装置として使うことが可能になります。
(実は最近、僕らの展示(”SNOWCRASH")でも使っていました。)

メイヤスーのアイディアは(遅延記憶装置で例えるなら)、遮断とはこの記憶装置に入ること、遮断の遮断はこの記憶装置から出ること、そして潜在的なものはこの管の中をぐるぐるまわっているもの、と考えてみようということになります。
こうすれば、全ては「流動」だけで実現できて減算モデルは守られました。

非決定性の導入

いろいろややこしくてすみません。あともう少しだけお付き合いください。
遅延記憶装置によって、「記憶」も「生成」も外界の流動だけで構成できて減算モデルが完成、となりました、が、実はこれはこれでまずいのです

なぜなら、全部が流動に帰着できてしまうと、またもや生成がなくなってしまうからです。「生成」を生じさせるために、「遮断」という流動とは異なるものを導入したのに、これも流動と変わらないとなると元の木阿弥です。
(ここ傍目から見ると、減算モデル的には全部を流動としたいのに、「生成」を考えるには流動でないものを導入したい、ということで本質的に苦しい議論な気はします、、)

これに対しての議論は結構哲学的で、遮断は非決定論的におこるもので、自然法則で決定される流動とは異なる、としてその差を作ることになります。素材としては同じだけれど、起こり方が異なるということで矛盾を回避しようということでしょうか。

この非決定論的という概念はなかなか難しく、そもそもメイヤスーもここは科学で扱えないとしています。よって僕らからは手出ししにくいのですが、しかし結構本質的な部分でもあるので、可能であれば次回少しまた触れようと思います。

次回予告1 : 知覚を減算モデルと見ることで何が変わるか?

これで、知覚を減算モデルにするというメイヤスーの試みが見えてきました。そして前回からの流れでいうと、ここから科学側に何をもたらせるか、という話に行かないといけないのですが、すでにだいぶ長くなってしまった(というのはただの言い訳で小島の考えがまだまとまっていない)ので、来週にさせてください、、

ただし、外界からの入力をとにかく圧縮してしまう(そこで不可逆な変質が起こる)という縮約モデルに対して、入ってくるものを片っ端から「潜在的なもの」としてよけておいて、あとからぽこぽこ生成させるという減算モデルのあり方はだいぶ異なっているように思います。

次回予告2 :生物はどのように扱われるか?

また、この定式化において生物はどのように扱われるでしょうか?

メイヤスーは生物を、遮断をベースとして「存在の希薄化」という概念で議論していきます。これは「器官なき身体」につながり、さらに二種類の死に方という話になっていくのですが、、、これも来週ということで!

では、今週もご覧いただきありがとうございました!また次回お会いしましょう!

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