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自分だけのしあわせの軸

人が求めているものって、突き詰めるとみんな「しあわせを感じたい」ってことなんじゃないかな、って思ってる。
何にしあわせを感じるかは違うとしても、「自分なりのしあわせを感じたい」っていうのは、みんな共通しているんじゃないかな。

この「自分なりのしあわせ」というのが、意外と見つけるのが厄介なことがある。
「周りからしあわせに見えるかどうか」とか、「社会一般の常識的なしあわせの基準」とかに、惑わされてしまって。

それなりの収入がある、とか。
結婚して子どもがいる、とか。
恋人がいる、とか。
好きなことを仕事にできている、とか。
慕ってくれる友達がたくさんいる、とか。

私は、「なんか自分ってしあわせじゃないかもしれない…」って思っちゃうとき、たいてい「自分の内側の基準」ではなく「自分の外側の基準」に目を向けてしまっているみたい。
誰かと比べてしまうときもあるし。ないものねだりな状態になっているのかもしれない。

育った環境や周りの人の影響や、ドラマや映画や本の影響で、しあわせに対する「外側の基準」が出来上がっていくんだと思う。
きっとその中のほんの一握りが、自分が本当に心からしあわせを感じられる「内側の基準」なのかなって思うの。
余分な「外側の基準」に惑わされずに、本当の「自分のしあわせの軸」みたいなのを見つけたい。
たぶん、そんなにたくさんの条件は必要ないんだと思う。

本当に心が満たされること。
本当に心がよろこぶこと。
本当に心が震えること。

自分の「内側の基準」「しあわせの軸」を探り当てられたら、北極星を見つけた航海士みたいな気分になるかも。
それでも嵐も日照りもあるのだろうけど。

恋愛が順調だったらしあわせだけど、そうじゃなくてもしあわせはある。
経済的に豊かだったらしあわせだけど、そうじゃなくてもしあわせはある。
周りに認められたらしあわせだけど、そうじゃなくてもしあわせはある。
たぶん。

今はまだ、ちょっと言い聞かせてる部分があって、完全には言い切れないんだけど。
もしかしたら、「自分のしあわせの軸はコレだ!」って言い切れるようなものではないかもしれないけど。
生きていくうちにどんどん変わっていきそうだしね。

なんかしあわせじゃないかも…って思ってしまったときに、
それって「外側の基準」じゃないかな?って問いかけてみようと思う。
そして「内側の基準」のしあわせを、小さく小さく満たしていくことを考えてみる。
アイス食べるとか、好きな音楽を聴くとか、犬を撫でるとかね。


ナチス政権化で強制収容所に送られた人々の生活や心理状態を記録した名作『夜と霧』を読んで、
どんなに過酷な環境でも「人の心」のあたたかさを失わずに生きることができるのだと、そのあたたかさを周りの人に贈与して生きることができるのだと、
できることなら自分もそうありたいと思った。

植え付けられた「外側の基準」や、どうしようもなく降りかかる理不尽に惑わされることなく、
自分の内側の、自分だけの「しあわせの軸」を大切にすることが、
「生きていることがわたしたちに問いかけてくること」に答えるための、ひとつの姿勢になるのではないかな。

波に飲まれつつ、溺れたりもがいたりしつつ、ときどき訪れる最高の瞬間のかけらを集めて生きたい。

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