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ストーリー作法の基本③”プロット”と”物語内容”(受け手の共感はプロット構成によって喚起され得る)

 小説の読者や映画の観客は普通、平凡なストーリーには感動しません。たとえ自分と似たような境遇の主人公が自分の体験と似たような出来事を経験する話であっても、それがどこかで見たような平凡なものなら、主人公に共感さえしないでしょう。また、自分と似た性格の主人公が自分であれば対応できないような苦難を乗り切る話であっても、それがジャンルの型にはまったものに見えるなら、やはり共感も感動もできないでしょう。前者は現代人の日常生活を描く「家族もの」映画や恋愛小説などで、後者はあらゆる「時代遅れ」のジャンルで、凡作に出会った時にありがちのパターンです。
 フィクションのジャンル(ミステリー、スリラー、ラブストーリー、メロドラマ、その他)は、ある程度以上、ストーリーのパターン化を要求するものです。そこで作者たちはしばしば、あれこれのジャンルから様々な定番の要素を引っ張ってきて、多ジャンル的なストーリーを作ります。しかし、それで得られるのは、一時的な新奇さの印象であり、主人公をはじめとする登場人物への共感でも感動でもありません。

 登場人物に対する共感を呼び起こすにためには、通常はストーリーの範疇に含まれない要素、例えば彼らの会話で触れられるだけの「生い立ち」に関する情報を増やすことを通じて、読者や観客が想像で補完する“物語内容”の領域を広げることが有効であると、前回述べました。
 “物語内容”を膨らませるのは読者や観客の論理的な思考ではなく、むしろ彼らに感情移入したり共感したりすることで働き始める想像力です。しかし、だからと言って「あなたの感情で書く」ことによって読者や観客に感情移入させ、共感を芽生えさせることは不可能です。
 つまり、「これこれの人物について、作者が与えてくれた情報は全て整理して理解した。だからこの人物に共感しよう」とはならなないし、かといって「これこれの人物はあの場面でこれこれの感動的な行動を取った。だから共感しよう」ともならないのです。なぜなら、登場人物への読者や観客の感情移入や共感は、その人物に対する理解や評価が深まるにつれて徐々に生じるものだからです。

 読者や観客の登場人物に対する理解や評価は、ストーリーが展開するにつれて変化します。「これこれの人物は、初めはよく分からないところのある高慢な(或いは臆病な、或いは貪欲な、或いは狡い)奴に見えたが、途中からそうでないように思えてきた。そして最後には、予想もしなかった賞賛すべき立派な点(或いは憐れむべき欠点や不運さ)があることが分かった」というように、ある人物に対する評価が徐々に変化してゆくことで、「結局こいつは他の全ての人間と同様、欠点も長所もある人間だった。しかしその長所は実に好ましい(或いはその欠点や運の悪さは実に哀れだ)」となるのです。
 これは、赤の他人である登場人物に対して読者や観客が共感する心理的なプロセスだと言えるでしょう。このプロセスが受け手の中で生じるためには、"物語内容"は彼らの心中で徐々に「開示」されねばならず、そのためには、登場人物の「生い立ち」を徐々に示すと共に、彼ら自身も変化させねばなりません。そのための強力な手段が、"プロット"の構成です。

 プロットについては、前回、前々回にも少しずつ触れてきました。
 プロットとは、映画や小説などで、「ストーリーの材料を作者の意図に沿うように構成したもの」であり、日本語で普通に使われる意味でのストーリーとは、「観客や読者が「深読み」せずに受け止めることのできる、様々な出来事の全体」、そして物語内容の方は「作者が示唆している「ストーリー」外の細部を読者や観客が想像力で補完することで完成される、物語の全体像」であると説明しました。
 プロット、ストーリー、物語内容を、それぞれに含まれる情報量で比較すれば、これらの違いを理解しやすいかもしれません。
 情報量の面では、プロット < ストーリー < 物語内容となります。

 受け手はプロットに不足している情報を、日常的な常識やジャンルのルールを参考にして補完し、ストーリーとして理解します。そして受け手はさらに想像力を働かせて各自の物語内容を手に入れるのです。

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