「自分が分かんねえ」なら語り合うしかねぇ!

家にこもって、ネットで言葉だけ見てても
自分がどんな奴かってこと、キラキラした言葉を吐く人はどんな人かってこと。
靄がかかったままで見えないんだよな。
陰キャと陽キャの違い。外側だけではなく、内側から違ったり。

勝手に命名「比較人生学」 他人を真似するために嘘つかなくていいんや…っていうことが理解るワークかな。



だから、わざわざ人に会いにいく。

違う両親の違うカルチャーの中で育っているものの、もう一段遡れば同じところにルーツのある「いとこ」と、一年ぶりに合う予定がある。
(多分今後合うことも極端に少ない。生活拠点が遠いし、会う機会も法事くらいなので。)

僕からすれば、血縁というだけの繋がりで、一緒に会食するなんて、あまりにリスキーだ。(同年代のいとこではなくて、その両親)

会社に適応できていて、(他人の目から見たら)成功している伯父さんから、価値観まるごとで自分の生き方を否定されるかもしれない…
と恐れる。少なくとも楽しくはないんじゃないかって気分。

別世界の住人と会うのがこわ〜い

ま、そのおじさん(他人)の意見を、自分の実存に直結させてしまうという"クセ"も、
本来しなくてもいいことなんじゃね〜の?
ってのが、ワシの師匠のカルチャーらしいんですけどね。
(意識して生活していけば、他者の意見を気にせずに、自分の意見に重みが付いてくる…的な)

父の影響、深堀り考察

俺個人の今までの生き方スタイルへの考察をするとしよう!
私の家庭の父くんは、自分の意見に相当の自信を持っている人だった。
他人が持っている意見を、認めるってことを(目上の人以外に対しては)ほとんどしない→自分の論をどんどこ語りまくって、周囲から揶揄される人だったそうな。

それが僕の成長期にどれだけ影響したかわからないが、
父は、子どもだろうと独立した個人であり、その意見は尊重されうるべきものである……とかそういう感覚は薄かったんだろうと思う。
 あるいは、尊重しようと思っていても、言葉を被せまくって、その場を自分の思想で塗りつぶすのを我慢できなかったんじゃないかと思う。
 自分は自分、他人は他人…と割り切れてないから、場を席巻することでしか、自分の正しさ・優位性を守る方法を知らないのではないかと思う。(知らんけど)

他人に正解を委ねちゃう症候群

ともかく僕の意見としては
自分には自分固有の立場があって、それに準じて自分の感性に従いながら、自分の頭で考えればいい。
最初は好き勝手しとけ!(特に幼少期から顔色伺いすぎるオレみたいなやつは)

 その最初のオリジナル意見が意識できてないと、全部周囲からコピーし、ツギハギによって形づくられた意見になってしまう(なってしまった)。
 そしてそれは外界の流行に流されやすい。自分の感性との共鳴度合いよりも、論理的強度等などのほうに依拠しているからだ。思考力を鍛えたり、視野を広げたりして、影響力を持つような論客に成長していったとしても、どこか自分と乖離した意見にしかならなくて、自分も虚しいし、他人の心に響く要素も薄いと言えるんじゃないだろうか。

他人の意見に重きを置きすぎて
=自分の引用すべき正解は、経験豊富な大人が・社会常識が既に確立しているもの
と思ってしまっていた中坊は、

ようやく自分を大事にできそうです。
(他者の意見を、他者の意見として分別できそうです。)

まだ始まったばっかりのプログラムだけどね!

あれ、何の話だっけ?


【本題】話せるかなぁ、聞けるかなぁ

それで、いとこと話すことを目的にその(法事後の)会食に参加するかどうかを悩んでますのよ。

俺、喋りだしたら止まらないから
私、話を聞いてほしくて仕方ない飢餓状態だから
メンヘラひきこもりだから…

相手に話を聞かせ続けてしまったら、結局あんまり意味ないんだよね、
他者と語り合い、その要素を比較して見えてくる「自分の内面構造&置かれた立場」の固有性を発見するという意味では。

相手はそのワークに乗ってくれるだろうか
全然会ってないから、僕に対しての警戒を解いて、安心感を持つことが話す…なんてことができるだろうか。

少なくとも彼は、家族のいるところでは話せないでしょうな。普通に考えて、生い立ちごと考察対象なんだから、親がいちゃあ話せないよ。
ちな、僕の父は来ないんすけどね。

よし、こんくらいにしとこう
つーかれた

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