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行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず 〜方丈記〜

なかなか終息しない567…それどころかますます深刻な事態になっています。
予期せざる環境変化による回避手段を持たない突然の死の到来、人々の嘆きや悲しみ、日常性への疑問や懐疑心
常ならぬことが常である現世を見ていると「方丈記」を思い出しました。

「枕草子」から約200年後、鎌倉時代に鴨長明によって書かれた随筆「方丈記」
同じ散文作品でも「枕草子」は連想の糸を操る筆遊び(ふですさび)に対して「方丈記」はテーマを決めた評論としての性格を持っています。

つまりは人間の生き方や社会のあり方を論じ尽くそうとしています。

なぜ「方丈記」を思い出したかと言うと鴨長明が体験した〈災害記〉が書かれているからです。
1177年から1185年のたった8年の間に五大災厄がありました。

平安京の3分の1を焼き尽くし数千人の被害者を出したという安元の大火
つむじ風(竜巻)
平清盛による突然の福原遷都
42300人という餓死者を出した大飢饉
元暦の大地震

遷都の混乱は人災ですが、火災、風災、地震、飢饉も天候不順によるものであるのでこれらの天災が短い間に次々とおきたということです。

日本の伝統文化に「無常」という観念がありますが、鴨長明も「人」と「栖」は永遠ではなく、はかないものであり「世の不思議」(大きな災害や世の中で起きた信じられないような出来事)を見ることはやや度々に成りぬと書いています。

鴨長明はいつも現実世界で起きている出来事の不思議さを具体的に見つめていました。

この五大災厄を書き終えた時、
「天災と人災の打ちしきるこの世界で生きていくことは難しい。もともと永遠ではない人の命はいつどこでどのようにして突然の災害で断ち切られてしまうかわからない…」と結論しました。

関東大震災、東京大空襲、阪神淡路大震災、東日本大震災の際に「方丈記」は読み返されていたそうです。

567は天災とは違いますが恐ろしさは変わりないことです。

行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず…
(川のながれは耐えることなくしかもそこを流れる水は決して同じもとの水ではない)

 鴨長明は様々な苦難な経験から無常という境地に辿りつくわけですが、全ては常に変化していき、やがて滅ぶという無常観が徹底して「方丈記」に書かれています。

こんな非常事態でも現実は常に変化しているわけですから、解決してくれるのは時間なのかもしれません。
どうにか良い方向に変化して悪いウィルスは滅んで欲しいと願うばかりです。

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