見出し画像

短編「親友」

本文

 小学三年生の僕には、何物にも代えがたい親友がいた。ある日起きると、自分の部屋にぽつんと、自分より一回り年下のあどけない少年がいた。それが「彼」だ。僕の親友だ。
 彼について説明する前に、僕のパーソナリティを説明する必要がある。僕の家族は三人。工場でフルタイムに働く父と、電話口で相手の言ったことをオウム返しにする母と、猟師の祖父だ。ここにはいない家族もいる。祖母は二年前に死んだ。とても優しく、赤ん坊の頃から僕をよく抱きしめていた。そして自分で撃った猪を捌き、僕に振舞ってくれた。僕には父を経由して、猟師の血が流れている。それが僕に、中身のないプライドを育てていた。
 祖母が死んだ後しばらく、僕は塞ぎ込んだ。学校の教師達はいくらか配慮してくれたが、クラスメイト達はそうではなかった。外からでも悲しそうにする僕を気味悪がったのか、腫れ物でも触るかのように扱い始めた。酷い奴になると、プールの授業中に頭を掴んで水に沈めてきたりした。僕は徹底的に、クラスメイト達との間に心の壁を作った。学校に行くのは辛いが、行かないと祖母が悲しむから行ってやってるんだと思い込むようになった。僕は孤独だった。
 彼の話に戻ろう。先で述べた通り、彼は僕の朝起きた僕の部屋の中にぽつんと立っていた。背格好は祖母が死んだ当時の僕と似ていたが、顔つきは違ったし、なにより無表情で口を利かないところが人間離れしていた。彼を目撃した時、僕は仰天し、母を呼ぼうとしてやめた。代わりの彼に質問責めをして、とにかく相手のことを知ろうと努めた。だが先も述べた通り彼は表情を変えず、さらにはひたすら無口なので、僕はただ心中で「おばあちゃん助けてくれ、部屋に知らん子供がいる」と呟くしかなかった。
 その時、唐突に彼が僕の顔に両手を伸ばしてきた。僕は驚く間もなく、彼が自分の頬を挟むのに身を任せるほかはなかった。臭くもないが、芳しいという感じでもない、だが不思議と心地よいにおいがした。同時に、頭の中にじんわりと他人の感情が伝わってきた。不安とか、懇願とか、あとは孤独感。そういうニュアンスのもので、僕は瞬時に目の前の相手が送り込んできたものだと察した。僕は、「部屋にいて構わないけど、その代わりに友達になってくれ」と言った。了解、というイメージが頭に届いた。
 僕はその日、初めて仮病を使った。彼をほっぽるわけにもいかなかったからだ。その日一日、学校に行くはずの時間で、僕は彼との交流を始めた。部屋にある本を見せたり、学校の教科書を見せたり、テレビゲームや家族の写真を見せた。母が看病のために部屋に入ってきたときは、彼に押入れの中に入って隠れるよう頼んだりした。彼は至って従順で、僕の指示には基本的に従った。だが彼は表情と発音についてはどうにもならないらしく、不可能と謝罪のイメージが返ってくるのみだった。僕が自分の部屋のものを紹介する中で、彼はあるものに目を付けた。前日僕がやり忘れた宿題だった。僕は気恥ずかしくなったが、彼はあるイメージを送ってきた。宿題の答えだった。最初と最後と真ん中を検証したところ間違いはなかったので、僕は彼の言うとおりに宿題の答欄を埋めた。
 そしてなんやかんやあり、一日の終わりがきた。母にすっかり具合がよくなった演技をして見せると、明日から学校に行くことになった。僕は彼に「家はあるのか」と尋ねた。ない、というイメージが返ってきたので、「じゃあここに居ろよ」と伝えた。了解のイメージが返ってきた。だがすぐ、僕は自分の短慮を後悔した。風呂とか飯とかベッドをどうするべきか考えていなかったのだ。男二人で添い寝は嫌だな、と思っていると、彼の方から助け舟が来た。風呂も飯も睡眠も必要ない、と伝えてくるので、本当か? と思いながら了承した。
 翌日、僕は帰ってきてすぐに自分の部屋に飛び込んだ。彼はそこにいた。どうやら家族にバレてもいないらしい。僕は宿題を見せて彼にカンニングしてもらうと、今度はテレビゲームを起動した。昨日は仮病のせいでできなかったが、治ったことになっている今なら問題はない。対戦モードにして、二人でゲームを楽しんだ。対戦では、彼は僕と同じキャラを使った。遊んだことあるのか、と思ったが、どうやら僕の記憶を読み取ったのだと気付いた。イメージは双方向らしい。そしてプレイ経験を丸ごと読み取られたので、互角の戦いが繰り広げられ、僕は大満足した。明日は協力プレイでやろう、と思い、実際協力プレイを楽しんだ。
 彼は自己申告通り、飯を食わずとも死なないし、風呂に入らずとも臭くならないし、眠らなくても平気そうだった。ゲームをやっている最中、僕は「お前って死ぬこともあるのか」と尋ねた。仲が良かった祖母のことを思い出し、彼が失われることを思い浮かべたが故の質問だ。彼は肯定のイメージだけを伝えてきた。僕はどんなふうに死ぬのか興味本位で聞こうとしてやめた。想像したくもないし、彼に嫌な気分を抱かせてしまうと思ったからだ。
 そんな日が何か月も続いた。僕は教師達から明るくなったと言われるようになった。いじめも鼻で笑いながらあしらえるようになった。毎日が楽しくてしょうがなくなり、祖母との記憶も薄れ始めた。ただ一つ気がかりだったのは、祖父がみるみる不機嫌になっていったことだ。食事の場で、祖父は僕達家族に、家にネズミやらトカゲやらがいる可能性を話していた。父はめんどくさそうに話を合わせていたが、僕は全身の血の気が引いたようだった。だが結局、僕は彼を隠し通すことには成功していた。彼の隠れ方が上手かったのもあるだろう。
 ある日のことだった。僕は意を決して、彼を外に連れ出すことにした。祖父の様子を訝しんだ家族が彼を見付けるかもしれないから、隠れ家を見付けるのが主な理由だった。だがもう一つ、彼と外で遊びたい気持ちもあった。そのまま連れ出すと母の目につくな、と思っていると、彼はポケットに入るくらいの小ささになっていた。「都合がいいな」なんて学校で習った言葉を思い出しながら、僕は彼と二人で家を出た。
 歩いている途中、僕はいじめをしてくる連中にかち合った。そいつらは自転車で僕を追い回し、河原にまで連れていくと、石やカタツムリを投げ、輪ゴム鉄砲やエアーガンを撃ち込んできた。僕は蹲り、腹の下に小さくなった彼を庇った。どうしてこんなことをするのか、僕はいじめっ子たちに尋ねた。「明るくなったお前が気持ち悪くてしょうがない」、帰ってきた言葉は意味不明なものだった。僕は蹲り、小さくなった彼を必死で守った。だがいじめっ子たちは僕を裏返し、僕が隠しているものを暴こうとした。そこには何もなかった。彼は背中側に隠れていた。ここで唐突に、僕の中で怒りが頂点に達した。今までの鬱憤もさることながら、彼にそんな気遣いをさせた連中が許せなかった。僕は力の限り彼らに殴りかかり、そして反撃で散々痛めつけられた。
 翌日、僕はいじめっ子っ達に襲い掛かった酷い奴という誹りを受けた。向こうが僕を陥れるためのものだというのは明らかだったが、僕のクラスメイトは僕を庇ったりしなかった。そのせいで、教師達は僕を犯人という風に認識し始めていた風だった。今までで一番、学校にいるのが辛くなり、僕は逃げ出した。
 何もかもどうでもよくなり、僕はベッドに籠った。彼は変わらず部屋にいてくれたが、僕は彼が送ってくるイメージも無視して、あっちに行けとかほっといてくれと喚くばかりだった。そしてひたすらに、己の中で噴き上がるものを育てた。身を焼き尽くす炎のような、内側から自分を切り刻むような、体から零れ落ちそうなほど大きな、憎悪。僕は無謀にも、その憎悪を抑えずにいた。殺してやる、という感情をただひたすらに繰り返した。この時僕は、イメージが双方向であることを忘れていたのだ。気が付けば僕は眠っていて、目覚めてすぐ、二度目の仮病で学校を休むことを母に伝え、もう一度眠った。彼がいないことに気付いたのは二度寝の後、パトカーのサイレンで叩き起こされた後だった。
 部屋から降りて彼を探していると、母が電話口の前で驚愕していたのを見た。母の口から出た言葉を組み立てていくと、「全校集会の場に誰も見たことのない少年が現れて、その場にいる生徒や教師に大怪我をさせたあと、学校に立てこもった。今警察が包囲している」ということだった。祖父が神妙な面持ちでテレビを見ていると、まさしくその通りの内容がニュース速報から流れてきた。彼だ。僕は直感し、ことの発端を理解した。彼が僕の憎悪を叶えている。僕が殺意を彼に浴びせてしまったから、こんな大事になってしまったんだ。僕はベッドに飛び戻り、必死でイメージを発した。やめてくれ、もうこんなことはやめてくれ、そんなことをする必要はない、今すぐ戻ってきてくれ、迷惑だ、よせ。だが返答は来ない。全く、来ない。不安感に押しつぶされた僕は、その場で本当に体調を崩し、そのまま丸二日寝込んだ。
 起きてすぐ、僕は祖父の所へ行った。父は仕事、母は買い物、家にいるのは僕と祖父だけ。祖父は祖母の形見を整備していた。「どうした」と聞かれたので、僕は「その銃を貸してくれ」と頼んだ。「何に使うんだ」と聞かれたので、「友達を止めに行く」と言った。「ばあちゃんが怒る」と言われたが、僕は頑として動かなかった。祖父は根負けし、布で巻かれた猟銃を置いてどこかへ行った。僕は黙って猟銃を背負い、学校へ向かった。
 僕は山を経由することで警察の包囲網を抜けるルートを選択した。ここは祖母が連れて行ってくれた場所で、どこを通れるかも把握している。そして遅刻しそうになった時の近道にも使っていた。だが学校に近付くと流石に警察官の数も多くなり、隠れて通り過ぎることは不可能に思えた。なので僕は、敢えて自分から声をかけることにした。その刑事さんはコートを着ていて、他より一回り偉いように見えた。僕はまず自己紹介から入り、自分と彼のことを洗いざらい話した。そして彼に話をさせてほしいと頼んだ。刑事さんは悩み、深く悩み、非常に悩んだ後、僕に温かいお茶を飲ませながら、了承した。それだけ状況が進んでいないようで、解決の糸口を求め藁にも縋る思いだったのだ。本署への説明は部下に任せ、刑事さんはビデオカメラを持ち、部下数名と共に僕を連れ立って学校へ入った。警察官の一人が「君の友達がそっちへ行く、攻撃しないでくれ」と拡声器で叫んだ。刑事さんは「何かあったらすぐ逃げてくるんだぞ」と言い、僕を送り出し、数メートル後ろで待った。僕は学校の中を進み、自分の教室の前に立った。窓の向こうでは、彼が僕の机の横に立っていた。
 彼の背中からは触手が伸び、絶えずうねうねと動いていた。豚コマ肉のような質感で、タコ足のような動きで、象の鼻のように長く、そして先端に鉄鎌のような刃が付いていた。あれが彼の正体なのか? 恐怖で足が竦みそうになる。その時、彼は僕の方を向いた。いつもと同じ、口を利かない無表情のままだ。「婆ちゃん、勇気をくれ」僕は背中の銃に唱えた。そして呼びかけた。「ごめんな! 本当にごめんな! 僕がずっと怒ってたせいで、ひどいことばっか考えてたせいで、お前にこんなことさせちゃったんだよな! こんなことお前にさせたくなかったんだ! なんて言って謝ったらいいかわかんないよ! 気を使って誰も殺さないでくれたんだよな、でももうやめてくれ、戻ってくれ! 一緒にゲームやろう、また外へ遊びに行こう、いつもみたいに宿題を教えてくれよ、母ちゃん達にも紹介させてくれよ! なあ、いつもみたいに友達でいてくれ。友達でいてくれよ!」泣きじゃくる僕の前に彼が立ち、僕の頬を両手で挟んだ。「お前も」僕は尋ねた。「お前も、寂しかったんだよな。友達が欲しかったんだよな」謝罪、孤独、後悔、懇願。彼は触手で僕の背中の銃を抜き取り、僕に持たせた。安全装置を解除し、コッキングで弾を銃身に送り、そして自分の胸に銃口を当て、僕に握らせた。祖母の動作を僕の記憶から読み取ったのだ。撃つことは、僕がやらねばならない。そのために持ってきた。だが土壇場になって僕は撃ちたくない気持ちでいっぱいになった。友達を殺すなんて、できやしない。だが、彼はまっすぐに僕を見つめてくる。他でもない僕に、撃って欲しいと。僕は今まで、彼に色んなお願いをしてきた。今度は僕がお願いを聞く番なのだ。僕は猟師の血を引いている、だから撃てないはずはない、自分の腕にそう言い聞かせて、僕は引き金を引いた。「ごめんな、親友」彼は、笑ってそう言った、気がした。彼はぐずぐずに蕩けて、水溜まりになったあとで、跡形もなくなった。僕はと言えば、そこに涙と鼻水と涎を垂らすばかりで、最早何もできなかった。刑事さんたちが僕の肩を支え、「あとは全て任せてくれ」と言いながら、僕が泣き止むまで待ってくれた。
 あのあと、僕は家族の元へ送り届けられた。祖父と刑事さんが話を合わせ、僕が悪い奴を倒すために猟銃を持ち出して学校へ向かったが取っ捕まって送り返された、ということになった。両親は僕を叱り付けたが、祖父は何も聞かず、何も言わなかった。立てこもり犯がいなくなった僕の学校はしばらくして元の通学体制に移行し、僕は何も言わずに通うことにした。翌年、祖父持っていた銃を、祖母の形見も含めて全て処分した。そしてそのさらに翌年に、祖母と同じく胃を悪くして亡くなった。学校をさぼるんじゃないぞと言い残して。僕はその言葉通り、一生仮病を使うことはなかった。そして、彼と出会ってから二十二年が過ぎた。
 僕は大学で出会った女性と結ばれ、実家を離れて会社勤めをしている。妻とは共働きで、結婚して二年目で子供も生まれた。もう六歳になる男の子だ。あの事件は未解決という扱いのままになり、実家の方で当時のことを話す人間はいなくなった。僕も、彼のことを誰にも話さぬまま今日まで過ごしている。僕は情けないことに、世間の荒波と時間の流れに揉まれ、祖父母の顔と声をよく思い出せなくなっている。当然、彼との思い出も色褪せて久しい。彼のにおいも、送ってきたイメージの感覚も、今ではまったく思い出せない。ふと、息子の顔を見る。当時の僕より一回り小さく、そしてあどけない、「あ」そのとき、僕の頭の中で、彼との思い出が鮮烈に蘇った。「お前は」
 お前は、僕が将来会うこの子の姿を取ってくれたのか? 俺が未来でも、寂しくないように?
 多分、自惚れだろう。だが、不思議そうに見上げる息子の顔を見て、僕は、彼との思い出を哀しいだけのものにしないことを誓った。「お父さん、なに?」「友達はできたか?」「うん」「お父さんにも友達がいたんだ。何にも代え難い親友がいたんだ」

おわりに

この小説は、この前見た夢の内容を下敷きにしたフィクションです。実在の団体、企業、思想とは何の関係もなく、この小説の影響について著者はなんんの責任も負いません

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?