勿体ないを思い出せ

こんにちは。先日行きつけのイタリアンレストランで出された骨付きラム肉のカツレツなるものをナイフとフォークで試行錯誤したあげく最終的に素手でむしゃぶりついたアルパカ社長です。

大丈夫です。アルパカ社長夫人の分も私がキレイに食べました。

ちなみに写真撮影禁止、お子様は10歳未満お断りのお店です。

こんな話を聞くと意地汚いと思う方もいらっしゃると思いますが、実はこれマナー違反ではありません。その証拠に出禁になることはありませんでした。

しかし私が意地汚いのは事実です。アイスの蓋だって舐めるし、カステラのベロベロにもかじりつきます。なんなら何もついていないプリンの蓋だって舐めます。ケーキのフィルムなんかは当たり前です。最近は容器や製造過程が進歩しているのかアイスの蓋もカステラも残骸が付着することは少なくなりました。

私の中には常に勿体ないがあります。恐らく環境により育まれたものですが自分では意地汚いとは思っていません。

私達は何も消費せずに生きていくことはできません。そして消費するすべての物にはそれに関わった命があります。植物も命です。電化製品も人が作ります。命の関わっていない消費などないのです。つまり私達の消費は何かのエネルギーを消費しているのと変わりないのです。

だとしたらすべてが勿体ないと思うのは意地汚いというより自然なことだと思うのです。

私は正直なところすべての物に対して常に感謝できているわけではありません。しかし勿体ないが常にあるのは確かです。だから物も捨てられずに増えていってしまいます。ちゃんと感謝できていればお疲れさまと言って手放すことができるのかもしれません。

食べ物に関しては腐らせてしまわない限り捨てることはありません。腐らせてしまった時も心の中で「ごめんなさい」と思ってしまいます。多少の賞味期限切れなんかは気にしません。

私達は今の何の不自由もなくが手に入る環境に慣れすぎてしまい、昔ほど「勿体ない」の意識が無くなってしまっているように感じます。

すべての存在に感謝できるに越したことはありませんが、なかなか難しいと思います。せめて食事の時だけでもこの話を思い出して頂ければと思います。

「勿体ない」を「意地汚い」と恥ずかしがる必要なんかはないのです。


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