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専門スキルもない35歳の私が、年収1400万円になるまで|自己紹介



2010年 30歳。家も仕事も失った。

28歳で結婚。
30歳で離婚。
旦那さんと住んでいた千葉県から一時、三重県の実家に身を寄せた。

全財産は結婚していた頃、派遣社員として働いていた時に貯めた130万円のみ。
旦那さんが酔って暴力を振り始めたのを機に、彼が海外出張をしている隙を狙って、荷物をまとめて、実家に避難するように逃げ出した。

家を失い、仕事を失い、結婚することで名前も一度失った。
加えて、決して仲良くない親のいる実家に身を寄せないといけなくなった。
これがとても苦痛だった。

こんな状況でも実家にお金を入れないといけない。父親には「しばらく健康保険料を払うのが厳しいので、健康保険の扶養に入れてほしい」とお願いしたが、それも却下された。

そんな訳で実家に3万円・健康保険料に約3万円。何もしなくても月々6万円が飛んでいく状況になった。

人事・総務の仕事はしていたもののアシスタントレベルだったし、ここ数年は派遣社員として部門アシスタントをしていた程度で、これといって何かの専門スキルを持っている訳でもない。

しかも、この時点での転職歴は4回。

地元・三重県での仕事探しは難航した。
とても保守的な町だ。
転職3回以上の人間に対する目は厳しい。
加えて、どうやら30歳を超えた独身女にも冷たい町だった。

三重県津市のある弁護士事務所に面接を受けに行ったとき、そこの所長でもある弁護士に

「独身なの?東京で仕事しているうちに30歳超えちゃった?」

と言われたこともある。

日毎に減っていく貯金。
思うような結果が出ない三重県での仕事探し。
職業訓練校に通うことで失業手当の支給期間が延長されると知り、医療事務のコースを受講しながらなんとか生活をしていた。

そろそろ医療事務コースも終わるぞ、という頃、やっと希望に叶う仕事を大阪で見つけた。

2011年 31歳 年収460万円

希望通り、英語が使える外資系IT企業への就職が決まった。
実家のある三重県から大阪へ引っ越し。

外資系IT企業とはいえ、大阪の兄さん・姉さんたちばかりなので、殺伐とした雰囲気はなく、普段から笑いが溢れる和気あいあいとした職場だった。

部門アシスタントとして、その部門にいる3名の部長陣をサポートしながら予算管理や派遣社員の契約更新や労務管理を任された。

部長陣にも信頼され、とてもやりがいのある仕事だった。
さらに、初めて手取りが25万円を超していて、しかも大阪という都会で買い物も楽しい。
公私共に充実した生活を送っていた。

ところが1年が経った頃、業績不振で大阪事務所を閉鎖することになり、リストラ。
この時32歳。
大阪で仕事を探すが、「英語が使える部門アシスタント」「英語が使える人事」という仕事はなかなか見つからなかった。

人事と言っても32歳ならそれなりの専門性か、リーダーやマネジャーの経験を求められるが、給与計算などの専門スキルもない、マネジャーをやったわけでもない私には狭き門だった。

2013年 33歳 年収420万円

半年ほど経った頃、競合他社に転職していた元同僚と元上司が、その会社に私を引き抜いてくれた。
そこも外資系IT企業だった。
日本に上陸したばかりで、請求書の発行プロセスや予算管理方法がぐちゃぐちゃだったため、業務フローをしっかり綺麗にしてくれる部門アシスタントが欲しいということで声をかけてくれたのだ。

前職でしっかり仕事をしておいてよかった。
そして同僚達とも良い関係を築いておいてよかった。
本当にありがたい。

同僚から聞いてはいたが、お金に渋い会社だった(笑)
家賃補助なしで、年収420万円。しかも東京だ。
420万円で東京都心での一人暮らしはなかなか大変だった。ぎりぎり貯金できるかできないか、くらいの金額。

ITスタートアップで、優秀な人ばかり。
最初はスピードについていくのに必死だった。

業務フローが整い、軌道に乗り始めた頃、採用業務も任された。
この企業で、初めて「ダイレクト・ソーシング」という、企業が直接候補者をスカウトする採用方法を経験することになる。

ダイレクト・ソーシングの黎明期に携われたことが、今後のキャリアにとって強みとなった。

さらに、
「あなたは情報を拾ってきて、整えて出す、ということがとても上手い」
「素直さを持ってることがあなたの強み」

と、この職場に引っ張ってくれた元上司に言われた言葉も、以降のキャリアにとても役に立った。
(賛否両論ある上司だったが、私はこの人に出会えたことに感謝している。)

ところが、採用もすべて終わった頃、会社の業績不振もあり、またリストラされることになった。

2016年 37歳 年収480万円

もう年齢も年齢だからしっかり先を見据えてキャリアを築かないと、もう後がない。
今回の転職をする前に、今後どんなキャリアパスを築くべきなのか考えてみた。

部門アシスタントでは今後先がないことは、なんとなくわかっていた。
それなら私がずっとやってきた人事でキャリアを築いていくのが現実的だろう。

人事で積めるキャリアパスってなんだ?
どういうスキルを積めば、年収いくらになるんだ?

そういったことを調べた。
例えば、当時で言うとこんな感じだった。

・人事シニアスペシャリスト 600万円〜800万円
労働基準監督署などの役所対応や、Employee Relationsなど人事における重要な業務を自ら動いてこなすことができる。

・HRBP(人事ビジネスパートナー) 800万円〜1200万円
各事業部や会社の人事パートナーとして、
└ 組織設計
└ 予算管理
└ 評価制度の設計
ができる。

その中でも、年収の高い業界は製薬・医療機器業界だった。

大阪のIT企業でお世話になった人事マネジャーが外資系の大手製薬企業にHRBPとして転職され、活躍している様子を見ていたので、イメージも湧きやすかった。
それならば、できれば製薬・医療機器業界で、HRBP・年収1200万円を目指そうと思った。

漠然とだけど、
400万円→600万円→800万円→1200万円
というステップを思い描いた。

そこで、人事部門の仕事に戻ることにし、人事職に絞って仕事を探し始めた。
契約社員ではあったが、なんとか希望の医療機器業界での人事アシスタントが決まった。

転職した企業は、某大手企業の一事業部が買収され、スピンオフする形で独立し、これから日本法人を立ち上げる、という段階にあった。

企業年金も評価制度も新しく立ち上げて、元の企業から移管をしないといけない。
その上、採用もしないといけない。
これら全てを半年以内に終わらせる、という中々チャレンジングな仕事だった。

この時、入社から2ヶ月で11人の営業社員を採用した。
私からすると、採用を終えないことには、その他の業務をこなす時間が充分に取れないと判断してのことだった。
後から知ることだが、これは業界でもあり得ない速さで、価値のあることだった。

しばらく上司の指示に従って動いていたが、誰かのアシスタントをするのではなく、自分で何かを引っ張っていくことを経験したいと思うようになった。

そのタイミングで、購買部門の立ち上げをリードする「購買部門スペシャリスト」の募集が開始された。

2017年 38歳 異動で年収600万円

人事だったので、一番最初に求人募集の情報がくる。
米国本社から送られた求人内容を見て
「クソつまんなそー。」
と思ったのを覚えている。

けれども契約社員から正社員になれるチャンスでもあり、プロジェクトを引っ張る立場になる。
しかもほぼ英語でこなさないといけない。

チャレンジングだが、アシスタントから一歩成長するチャンスじゃないかな、と思い、手を上げることにした。

異動のチャンスを掴んだ面接突破方法。

まず、社内公募が始まった。
私以外にも何人か応募していたようだ。
社内公募とは言え、面接はある。

面接を突破するために準備を始めた。

私が教えている面接テクニックの1つに、
「相手の言葉を使う」というものがある。

この時もそのテクニックを応用した。

Linkedinというビジネス用のSNSがある。
そのSNSから、面接官となる米国本社の購買責任者のプロフィールを閲覧した。

そこに彼が長年、企業において「KAIZEN」日本語で言う「改善」をしてきたことを知った。

改善なら私は得意だ。
というか、仕事とは改善をすることだとさえ思っている。

改善といえば英語では「Improve」を使う。
でも、KAIZENという言葉を使おう。
それが私たちの共通言語になるだろうし、きっと彼の心を掴むはずだ、と判断した。

案の定 KAIZENという言葉が彼の興味を引いた。
その言葉を発した時、彼の顔がパッと明るくなったのを今でも覚えている。

「購買として仕事をしたことはありませんが、これまでの経験の中で、プロセスの改善に取り組んできました。また、テキストを作って全社に展開したこともあります。今後、購買部門を立ち上げ、購買プロセスを1から作っていく中で、これらの経験が役に立つと思います。」

と伝えた。

すると

「これまでにどんな改善をしてきたのか、具体的な話を聞かせて?」

と聞かれたので、経費処理のフローを整備したこと、定額かつ定期的な経費は、まとめて購買申請を行うことで、効率化を図ったこと、取引業者との交渉経験や、部門アシスタント時代に契約書のテンプレート化をしたことなど、購買部門で役に立ちそうな経験に焦点を当てて答えた。

こうして購買部門の主任として正社員で勤務することが決まった。
年収は念願の600万円。最初の目標値に到達した。

購買部門の立ち上げはタフだった。
中国語と日本語は一緒だと思っている米国本社や、インドのエンジニアなど、日本の商習慣や銀行の仕組みを理解していない人たちに、日本で必要となる要件を理解してもらうことは困難を極めた。
(例えば、銀行に渡すデータは、口座名義名が半角カタカナじゃないとダメなのに、全角でしか作成されなかったり、漢字が日本語じゃなく中国語の漢字だったり・・。)

けれども、自分がプロジェクトをリードしているという実感が持て、とてもやりがいがあった。

また、この時、初めて「コンサルタント」と呼ばれる人たちと仕事をし、彼らとの仕事を通して
・プロジェクトを推進する方法
・漏れや抜けがないように「誰が何をするか」ということをあらかじめ具体的に落とし込み、明確にしておく大切さ
・意見の食い違いが生じたときの、合意形成の方法

などを学んだ。

メンタル不調で休職

購買部門の立ち上げが終わった。
立ち上げ自体は面白かったが、その後は大変。

細かなことをチェックしない、そして日本語もわからないインド人のオペレーターが最終的な請求書支払処理を実行するものだから、毎月、毎回支払いエラーが起きる。

エラーが起きないように海外勢がちゃんとオペレーションしたか監視する必要があり、深夜2時まで起きて仕事をする、という日が続いた。
そして、ついに「適応障害」と診断され、休職することになった。

11ヶ月の休職期間が終わる頃、職場と復職の話をした。
けれども、
「購買部門の状況は変わっていない。戻ってもまた不調を起こしかねない」
という話だった。

そこで、辞職することにした。
もう、メンタル不調は起こしたくない。

その時、
自分は一体何がしたいのか。
何が好きなのか、
どういう職場で働きたいのか、
をしっかり洗い出そう思った。

やりたいことはなんなのか、を洗い出す

やりたいことってなんだろう。
購買の仕事に戻りたい? いや、もうやりたくない。
人事に戻る? 
人事の仕事は好き。だけども人を切る話もしないといけないのはしんどい。
それに労務管理も好きじゃない。
でも、採用だけは好き。
私が採用に関わった人が
「ぐりさんがいたからこの会社への就職を決めた」
と言ってくれたことがあり、それがとても嬉しかったしやりがいを感じた。

私が採用に関わった後輩にも
「採用が向いてる」
と言われた。

そっか・・。
人事の中でも、採用は好きだけど、それ以外は別にやりたくないんだな。

働き方は?
どんな働き方がしたい?どんな企業がいい?

私は毎日同じ時間に、同じ場所に行くのは苦痛レベルで嫌だから、
フレックス勤務ができて
多国籍で
給料が良くて
自分を「個」として認めてくれるところで働きたい。

こうして、「採用専任・フレックス勤務・英語が使える」の3つを柱にして
仕事を探すことにした。

2018年 39歳 転職。 年収780万円

「採用」に絞ってお仕事を探していたところ、「RPO(採用代行)」という業態の仕事の紹介が来た。
人材紹介会社の採用コンサルタントとして、企業の人事部に代わって採用業務をまるっと請け負う仕事だ。

「コンサルタント」としての就業経験はない。

でも、長年採用はやってきたし、しかも2ヶ月で11人を採用した実績もある。加えてプロジェクトリードの経験もある。

顧客企業の採用を「プロジェクト」として捉えれば、プロジェクトの内容が違うだけで、推進方法はやってきたことと同じだ。

これらの経験を掛け合わせれば、必ずこなせるはず、と「経験の掛け合わせ」で、アピールした。

入社前に、私を採用してくれた上司とランチをした際、
「コンサルタントとしての経験はないのでちょっと不安」
と伝えたら
「あなたはIT企業と半導体企業での経験がある。あなたに任せる企業は半導体企業が母体のIT企業だ。私はあなたのその経験に価値を見出して採用したのよ。」

と言ってくれた。
それで、自信を持って入社することができた。

さて、年収は780万円で提示してくれた。

600万円 →800万円 → 1200万円

というステップを目標にしていた。

前職では異動で600万円に到達していた。
前職を600万円で交渉したのは、一度600万円までいけば、その後の転職で600万円を下回ることはない、と読んでのことだった。

この会社との年収交渉で「現職で600万円もらっているからそれはキープしたい」と伝えたところ、600万円はキープしてもらえた。

それに加えて、成果によって年間180万円のボーナスが出るということだった。こうして、780万円で提示。
第2目標の800万円に近づいた。

2019年 40歳 昇格。 年収980万円

入社以来、トップの成績を収め、売上の約6割に貢献していたことや、顧客の評価の高さから入社半年で昇格し、年収が上がった。

私としては、これまで通り「早く良い人材を採用して企業や部門を楽にしてあげたい」という思いだけでやっていたのだけど、採用を専門にしているプロ集団の中でも、自分のやってきたことが、突出した実績であることを知った。

さらに、採用が決まるほど売り上げにつながるので、自分のやってきたことが数字として積み重なっていくのを目の当たりにし、自分のスキルが実は数千万円の価値がある、という事を知った。

2021年 42歳 転職。 年収1050万円

時はコロナ禍。
顧客企業は早々に全員リモート勤務に切り替わり、常駐していた私もリモート勤務となった。

この頃、地方へ移住したい思いが強くなる。

顧客企業は全員リモートで移住も可能だった。
ところが、自社の人材紹介会社はコロナ禍だと言うのに、東京のど真ん中・六本木の本社に出勤することを求める有様。
しかも隔週で社内から感染者が出ている状況にも関わらず、だ。
あまりにもナンセンス。

上司に「移住させてほしい」と交渉したが、認めてはもらえなかった。
そこで、会社を辞めようと思い、私ありきでプロジェクトを発注してくれていた顧客に

「私が会社を辞めるかもしれないので、来月の弊社との契約更新はちょっと保留にしてください」

と伝えたところ、

「移住したいなら、うちにくればいいじゃん」

と言っていただき転籍することになった。

それが1050万円のオファーだった。
こうして、ついに年収1000万円を突破した。

2022年 43歳 転職。 年収1400万円

転籍し、念願の地方移住を叶えた。
ところが、経営不振で採用を凍結することとなり、採用部門の社員はリストラされることになった。

これで人生で3回目のリストラだ。

けれども、この時はそんなに動揺しなかった。なぜなら、経営判断上、やむを得ずリストラが実施されることがあるのは心得ていたし、これまでやってきたことの実績があるので、すぐに次が見つかろうだろうという自負があったからだ。

これは持論だけど、リストラには2種類ある。
一生懸命やった末のリストラは、不遇なものじゃなく「卒業」であり、次のステージに行くチャンスだと思っている。

案の定、スタートアップ企業を始め、誰もが知っている大手企業から複数内定をいただいた。

その中で、一番年収がよく、個人の裁量に任せてくれそうなGAFAと呼ばれる大手IT企業からの内定を受けることにした。

提示年収が1400万円。
基本年収1200万円 + ボーナスが年換算で200万円。
目標にしていた年収1200万円に到達した。

ところがどっこい、入社してみると裁量なんてこれっぽっちもなく、ロボットのような扱いなのだ。
牢屋の中に入れられ、さらに地面に円を描かれ「その円から出るな」と言われているような窮屈さ。

これでは私の良さが死ぬなと思い、現場に迷惑がかかる前に退職しようと、3ヶ月の試用期間が終わる前に退職することにした

年収1200万円を手にしたけど、ちっとも幸せではなかった。
そんなものは私にとって全く大切なものではなかったのだ。

(リストラ〜GAFAに就職。GAFAを退職してから気づいたことを書いた記事)

2023年 44歳 独立

年収や福利厚生や安定といったのものが私にとって大切なことではない、と気付いたのを機に、会社勤めというものを一度辞めてみることにした。

幸い数年は暮らしていけるだけの貯蓄もできたし、最悪バイトでもすればいい。そうして、人材紹介の事業許可を取って、「採用代行事業」で独立をした。

ありがたいことに、口コミで仕事の依頼が来ていて、今は自分の希望通りの働き方で仕事をすることができている。

事業主としてはまだ駆け出しなので、商談のたびにどっと疲れたりもするけど(笑)
でも、何があっても自分の軸をブラさないようにしている。

報酬についても、自分を安売りしない。
納得のいく働き方・報酬でお互い気持ちよくお仕事をできる方とのみ仕事をすると決めている。

せっかく事業主として独立したんだから、仕事をする相手はこちらも選んでいいと思っている。

おかげで、独立から半年、会社員時代と同くらいの報酬を得ている。
いつまで続くかはわからないけど、なぜかそこに不安はない。


これが私が辿ってきた道です。
どう見ても転職には不利な凸凹なキャリアですよね。

私も改めて振り返ってみて、よくこれで何度も正社員として就職できたな、と思います。(笑)

私は35歳を過ぎてからやっとキャリアを真剣に考え始めたけど、私の記事を目にした人が、キャリアの積み方を早めに考えるきっかけになればいいな、と思いますし、35歳を超えた人でも、キャリアが凸凹な人でも、諦める必要はないよ、ということを伝えたくて、ブログを書き始めました。

才能のない人はいないし、
スキルの棚卸しや伝え方を工夫することで、いくらでもチャンスを掴める。

これは私が身をもって体験したことです。

折に触れ、私自身でも気がついていない私の強みや価値を言葉にして伝えてくれた人たちがいたことも、とても大きかった。

それがあったから自分の学歴や経歴に臆することなく、自分の良いところと、それをどうその仕事で活かせるのかを堂々と伝えることができた。
堂々と伝えることで信用され、チャンスを掴めた、という自覚もあります。

才能を見つけ、
言葉にしてくれる人の存在の大きさ。

それが自信を与えてくれる。

自家発電で自信を自分で供給できる人には必要がないかもしれません。

ですが、すでに魅力も才能もあるのに、そこに気がつけず自信を持てない方には、かつて私に自信を与えてくれた元上司達のように、今度は私が才能を発掘し、伝える役割を担いたい。

そのような想いから、今、企業向けに採用コンサルタントを行う傍ら、
個人向けに、「自分の魅力と才能を発見するセッション」を実施しています。

個人セッションでもお伝えしている内容ですが、このブログでも

・面接を突破する方法
・魅力と才能の見つけ方とそれを伝える方法
・仕事や生き方に役立つメンタリティなど

を発信し、より多くの人に届けていきたいと思っていますので、よかったらまた覗きに来てください。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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