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「何者でもない自分」は、称号を欲しがった。年収もキャリアも。

この10年間、転職するごとに200万円ずつ年収を伸ばし、ついに今年、目標にしていた「年収1200万円」にたどり着いた。

でも、全く嬉しくなかった。


2022年、6月。急にリストラされた。
米国に本社を置くIT企業なのだが、続くIT業界の業績不振や経営上の色々な理由で仕方なしにだ。

同様のケースは過去にも経験済みなので、多めに退職金をもらってサッサと出ることにした。

勤めていた企業が界隈では有名だったし、自分を高く売るだけの実績もあげていたので、次を見つけることにも、不安はなかった。

「ベンチャー企業はすぐにリストラしがちだから、今度は安定重視で、大手に行こう」

そう決めて転職活動を行った。
そして、いわゆるGAFAと呼ばれる、ある米系大手IT企業から内定をもらった。

管理職でもないのに、この職種にしては破格の条件を提示してくれた。
それが年収1200万だった。

ただ、入社準備をするうちに、一抹の不安が頭をよぎった。
「この会社もスタバみたいなんじゃないの?」

かつてカナダに住んでいたころ、スターバックスでバイトをしたことがある。
北米のスタバって、軍隊みたいなのだ。

何分ごとに店内をチェックし、
何分以内に掃除を終わらせ、
何時以降にコレコレをし、

と、一時が万事、事細かにルール決めされていた。とくに時間のこと。
ここは監獄かなにかですか?

世界中に店舗を構える大企業で、日本人とは違い、「いかにサボるか」を前提にしている国民性の従業員も沢山いる。 
そんな訳で、一定レベルのサービス品質を保つためには、それくらい細かく設定しないといけない事情もわかる。

GAFAだって状況は同じ、グローバルに展開する大企業だ。
「きっとスタバみたいで、すぐに辞めるんじゃないかしら。」
嫌な予感がした。

思えば、面接の時からその片鱗はあった。
型とルール重視で、まったく双方向の対話とは呼べない面接官の応対や、
公平性を大切にしていると理念に謳いながら、候補者には「データや数字を含めて話せ」と言うくせに、「数字に関することは一切話せません」と部門の人数すら教えてくれなかった。
この不平等さと、透明性のなさ。

でも、とにかく年収もいいし、リストラした奴らを見返すために、名の知れたところに行ってやろう、と言う気持ちもあり、すべての違和感に見て見ないふりをした。

結果、案の定スタバみたいに、ストップウォッチ方式。これまた理念としている「創造性」や「イノベーション」もどこへやら。

「いじるな、さわるな、変えるな」
「決まったことを決まった方法でやっててください」と言わんばかりの社風。(少なくとも私の配属部署は)

大企業なので、ある部分においてはルールに従う意味もわかる。
だけど、私の持ち場でさえ改善することを拒否された。ほんのささいなことでも。  

のびのびとした大広間に来たはずが、牢屋に入れられて、せめて牢屋内だけでもデコレーションしようかと気を取り直したら、「床に描かれた直径45cmの円からも出るな」と言われているような感覚だった。

いや、ロボットかい。
私のクリエイティビティや改善するところを高く評価してたよね?
やることを決まった方法でやってりゃいい、と言うのなら、それは私である必要はないよね。

社風に合わなかったのか、メンタルもどんどん病み始めた。なにより、ここにいたら仕事上の私の長所が死ぬ。

現場に混乱を生じさせないよう、本格的に引き継ぎが始まる前に出ようと決め、次の転職先も決めずに、2ヶ月で退職した。

給料も、月収100万円なのでどんなものかと期待していたが、蓋をあければ、手取りはたったの68万円。

この額面を見て喜ぶ人もいるのだろうが、私は「なんだ、こんなもんか。」「こりゃ、一年間給料をもらったあとに退職したら、税金だけが大変になるぞ」と、全く喜べなかった。

もういいや、捨てよう。
こんな年収も、ネームバリューも。
こんなこと、全く私の幸せじゃなかったわ。
年収が高くても死んだようには働けないわ。


なんか、疲れた…。
企業に属する、って何なんだ。

好きな会社だった。だから一生懸命働いて、めちゃくちゃ貢献した。でもリストラされた。

安定を求めて大手に入った。でも牢獄みたいで、死にそうだった。
(実際、「いのちの電話」に電話した日もある)

父親も「もう安定して長く勤めてくれ」とか言う。
正社員だとか、大企業だとか、全然安定でもなんでもないじゃん。メンタルや体を病んで、それを「安定」と呼べるの?

あぁ、疲れた。
もう誰かの期待に応えて生きるのはコリゴリだ。
誰かに自分の凄さを証明しようとするのも疲れたわ。

そう思った時に、気がついた。

私は自分の凄さを証明しようとしていたのか。
だから、人の期待に応え続けていたんだ、と。

そしたらなにか、ストンと荷が降りた。

年収もキャリアも本当の幸福ではなかった。
でも、私はそれらを追い続けた。

一体、なぜなんだろう。

潜在意識に問いかけるように、深い呼吸を繰り返していると、意識の奥深いところから、ある答えが浮かんできた。

「わかりやすい称号が欲しかったからだ」

どこに就職してますよ、
何の仕事をしてますよ、
年収はこれだけありますよ、

とか。
こんなものは言ってしまえば、ただの記号にすぎない。
だけど、人に称号として見せるには、とてもわかりやすい記号だ。

私は称号を欲しがった。

「自分はすごい、やれる」ということを、誰かに証明しなければならなかった。そう思って生きてきた。

それは生い立ちが関係しているのかもしれないし、過去にリストラしてきたアイツらや、年収マウントしてきたアイツのせいかもしれない。

とにかく、生きる過程で「私は私のすごさを証明しなければならない」という想いを背負い込み、それがために「他者よりすごい、特別な何者か」になろうとした。

私は「特別な何かではない自分」を恥じ、「特別な何かになれないかもしれない自分」を恐れ続けた。

普通であることや平凡であることは恥ずかしいことだとすら思っていた。

これに気づいたあとでさえ、「自分は何者でもない」という事実を受け入れることには、かなりの抵抗があった。
ここからすべての苦しみが生まれていたというのに・・。

今も受け入れられているかというと、完全にはできていない。

それでも、

自分のすごさを証明するように生きるのはやめよう。その必要はない。
何者にもなれなくてもいいじゃないか。

と思えるようになったことはかなり大きい。
やっと深い井戸の底から、地上へ救い出されたような気持ちだ。

それにしても、年収をあげることに比べて、
「何者でもない自分」を受け入れることは、なんて難しいんだろう。

年収なんて、簡単に上げられる。
目標を定めて、足りない経験を積み、実績をあげて転職すればいいだけなんだもの。

平凡で普通な、何者でもない自分を受け入れた先にどんなことに出会うのか、それがわかったら、またここに書きに来たいと思う。

私はようやく入り口に立ったばかり。
この先の出会いが、楽しみで仕方がない。


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