見出し画像

『東京組曲2020』深堀り企画 vol.11

【田川恵美子さんインタビュー】
= 苦しかったあの日々は、いろんな変化を私にくれた。でもこれからもずっと子どもたちファーストのママは変わらない。 =


三島有紀子監督の企画に賛同し、一緒に本作をつくった出演者の皆様たちのインタビューによる『東京組曲2020』深掘り企画。第11回目は、田川恵美子さんです。

―― 初めての緊急事態宣言後、コロナについて何もわからない、外出もままならなかった当時を振り返ってみてどのように感じますか?

あの頃、何だか真綿で首を絞められているような日々だったんです。コロナウイルスの脅威がどれぐらいあるのかも分からないし、それが子どもたちにどう影響するかも分からない。何をどこまで自衛をしなければいけないのか。なんだか目に見えない毒に囲まれてるような、今、自分が吸っているこの空気すら安全なのかも分からず怖かったです。叫び出したい衝動にかられつつも、子どもたちを守らなければいけないから出来ないし、何も見えない恐怖ってこんな感じなんだと、すごく気を張り詰めてました。
緊急事態宣言が発令された直前の時期は、ちょうど上の娘が幼稚園の年中さんだったので春休み中でしたが、コロナの話が飛び交うなかで「怖い怖い」って思いながらも一方で「春休み早く終われ」と思ってました。とにかく、しんどくて・・・。多分、主婦のお母様方々皆さん思うことなんでしょうけど、子どもの長期休みほどしんどいものはなくて、一日、何時間キッチンに立つんだろう・・・と。朝から晩まで自分の時間も場所もなく、トイレと子どもが寝た後が唯一、一人になれる時間。コロナが怖いって思いながら、自分のためにも1秒でも早く日常に戻ってほしいと思っていたので、どんどん日常から逸脱していく毎日は、息も深く吸えずにずっと周りを警戒しながら、苦しくて叫び出したい日がずっと続いているという感じでした。

―― それは息苦しい日々でしたね・・・。ママ友さんたちとは何か会話されたりしていたのでしょうか?

自粛期間になってからも幼稚園のママ友たちとは頻繫にメールで連絡を取り合ってました。「このぶんだと、春休みがずっと終わらないね。これからどうなるんだろうね」とよく話していたし、幼稚園の先生方も対応に追われていらして大変そうでした。同年齢の子どものいる一番仲の良かったママ友とは「子どもたちもずっと家の中だと息苦しそうだし、ちょっと外で1回遊んじゃおう」と、何も遊具のない、広々とした川の土手に集まったりしましたね。子どもたちは楽しそうに遊んでいるんですけど、私たちはマスクをつけて、ちょっと離れて話してました。「帰ったらすぐお風呂だね」とか言いながら。この喋る時間があっという間に過ぎてしまうぐらい、本当にかけがえのない時間でした。人と会って話すことがこんなにも奇跡みたいなことだったんだな・・・と実感しました。

コロナ禍中、田川さんがママ友と一緒に子どもたちを連れて訪れた川べり。

―― 人に会わない、会えないって、それまではそんなに考えませんでしたよね。あの頃のような特殊な環境になったときに初めて気付かされることでした。そんな日々のなかで、三島監督がご自身の誕生日を迎えて経験したことから企画された本作ですが、参加したきっかけについて教えてください。

私も夫(池田良さん)も三島監督のワークショップを受けたことがあるので、同時にメールをいただいたんです。メールが届いてすぐに夫が部屋から出て来て、「三島監督からのメール見た? これ、やりたいよね」と、お互い前向きに話しました。それにあの時は、表現することに飢えていましたしね。

―― 池田さん、田川さんそれぞれに一緒に連絡が届いて、同時に「やろう」と意気投合された感じだったんですね。お子さんたちがいらっしゃるなか、自分たちで撮影されたわけですが、三島監督とはどのような対話を重ねて撮影に臨まれたのでしょうか?

最初は、「私自身がコロナ自粛中に迎えた誕生日の一日を再現しようと思います」と企画案を提出した後に、私たち夫婦二人と三島監督とZoom通話でお話ししました。その時に三島監督から「自粛中、どういう風に過ごしてるの?」と質問され、私は「息が苦しいぐらいしんどい日々」と話し、また夫は「コロナは怖いけど、今だからやれることが出来た」とちょっと温度差があったんですね。そうしたら監督が「今度は、お一人ずつ話しましょう」と仰ったので個別にお話ししたのですが、その時「日常が一杯一杯過ぎて、表現をしたいということについては、正直、蓋をしています。そこまで考え出すと、苦しくてしょうがないので、まずは子どもたちを守る、生活を守る毎日です」と告げました。終わらないものに追われ続ける苦しさで余裕が無かったので、多分、仕事が出来ないことについてはあんまり考えないようにしていたんだと思います。でも、三島監督に思いっきりその箱を開けられてしまいました(笑)。

本編より。池田良さん。

―― 池田さんがお子さんと公園に出かけた後のシーンについて、映画をご覧になった方は皆さん思われると思うのですが、とても印象的でした。

三島監督に「子どもたちがいなくなった後、何してるの? ストレス発散はどうやってるの?」と聞かれ、「歌ったり、叫んだり、踊ってみたり・・・普段動かしてないところまで体を全部動かしてみるんです」といったことをお話ししました。そのことを監督が面白がってくださり、「それを撮ってみて」と。監督は、お話しを引き出すのが本当に上手な方なんですよ。後から「本当に撮るの?」とも思ったんですけど、もしもやり過ぎだったらその映像は使われないだろうし、とりあえず撮ってみようと思って、夫に子どもたちを公園へ連れて行ってもらい、緊張しながらもなるべくいつものような感じで撮影した結果があの映像です。自分でも傍から見たことはなかったので、完成した映画を観た時、「結構な様だな・・・」と思いました(笑)。

―― あのシーンは分かるー!!って思いましたよ。踊った後、力が抜けた感じで吐露する「もっと褒めて」は、きっと主婦の人に限らず、頑張ってる人たち皆さんの声だなって思いました。あれはスーッと出てきた言葉なんでしょうか?

あそこまで体を動かさないと、自分の奥底に沈めている言葉が出てこない状態になっちゃっていたんです。ワァーッと動いた後、体が脱力した時に、ついポロッと本音が出てきたりするんですよ。

―― 三島監督からのシークエンス「明け方(朝4時)に女の泣き声がどこからか聞こえてくる」というシーンの女の泣き声を聞いた時、どのように感じましたか?

どんな泣き声か、もちろん誰の声なのかも知らなかったので、何も考えずに聞こうと思いました。声が聞こえ始めた時は、泣き声の主のことをすごく心配してました。どこかで悲しい思いをしてる人がいる、大丈夫かな、と。最初は単純な心配だったんですけど、何だか聞いているうちに、すごく大きな泣き声に包まれてる感じになってきて、段々と泣いてもいいんだって思えてきたんです。子どもたちの前で泣くと、子どもらがすごく心配しちゃうから。いつも怒ってるママが泣いた!?みたいになってね(苦笑)。
あの泣き声を聞いている時、画面では写っていないんですけど、私の目線下に子どもたちが寝てるんです。イヤホンを使わずに、直に泣き声の音声を流していたので、子どもらが起きてしまってもおかしくないなとは思ったんですけど、子どもたちがすごくいい寝顔で寝てるんですよ。その顔を見ていたら、「あなたがやってることは間違ってないよ」と誰かに言ってもらってるような気がしました。そして、その泣き声に包まれて、私も泣いていいんだと思ったら、涙が溢れてきちゃいました。心を開放してくれ、包んでくれて、自分のことを肯定してもらえた気持ちになる、そんな泣き声でした。

―― 本作はちょうど5類に移行されたタイミングでの公開スタートとなりました。コロナ期間を経て、自分自身で「変わったな」と思うことはありますか?

今年の5月頭、韓国のチョンジュ映画祭での上映に参加させていただいたんですけど、今までならばチョンジュに行くという決断を絶対にしていなかったんです。周囲の人たちに「ごめんなさい」と後ろめたい気持ちになるくらいならば、自分が我慢すればいいと思うことが多かったんですね。でもコロナになって、本当にしたいことはなんだろうと考えるようになりました。体を動かしてから自分の本音を絞り出すんじゃなく、ちゃんと自分自身の本音に向き合って救ってあげないと、もしもコロナ禍にならなかったとしても、多分、いつかどこかで何かが溢れちゃっていただろうと思うんです。それがどういう形で溢れだしたのかは分からないですが、もう少し自分の体と心の声に耳を傾けてみようと、この三年間、私のなかでゆっくりゆっくり変わってきたように思います。チョンジュに行くという選択をしたのも、そういう変化が大きかったのではないでしょうか。映画祭へ足を運んで下さったお客さまの顔を直接見たい、また撮影中は他の出演者の方々に一度も会っていなかったのでチョンジュ参加メンバーの皆さんにも会いたいって思ったし、監督とももっと話したいな、と。自分の気持ちに正直になって、周囲に「行きたいんだよね・・・」と話しをすると、思いもかけず皆「行っておいで」と言ってくれました。実家の両親と姉が子どもらを預かってくれ、また夫も「自分は行けないけど、代わりにいろいろ見てきてね」と送り出してくれました。出来ないと勝手に決めつけて、閉じこもっていたのは自分だったんだ、と深く感じました。まずは自分の本音を自分自身に聞いて、それから動こう。それがコロナで変わったことだと思います。

全州(チョンジュ)国際映画祭にて。

―― それは、とてもいい変化でしたね。でも、チョンジュへ行く時、お子さんたちは寂しがったのでは?

子どもたちのことも、まだまだ無理じゃないかって、多分、決め付けちゃっていたんだと思います。意外に「いいよー。お土産よろしくね」という感じで、結構すんなり送り出してくれました(笑)。親が思っている以上に子どもも成長しているし、周りの人も思った以上に私を支えて応援しようとしてくれている。コロナ禍初期の頃、暗い気持ちでいっぱいでしたが、世界はもっと優しかったんだと思いました。

―― 逆に、コロナとか関係なく、「これはずっと変わらずにいたい」と思うことはありますか?

もちろん、自分の仕事も大事ですし、夫の仕事も応援したいのですが、何より子どもを守るということが私のファーストだと、自分の中での優先順位は変わらないです。
実は、娘を産むことがすごく怖かったんです。こんなに何も出来ない人間が親になれるわけがない、この子の親にちゃんとなれるのかな?と、妊娠中ずっと不安で仕方がなかったんです。でも、娘を産んで、授乳の時に娘の顔を見たら、もう涙が止まらなくなっちゃって。それは下の息子の時も同じ想いでした。「この人たちは私の所有物ではなく、神様から預かってる命だから、絶対に最後まで守る」。そのことは子どもを産んでから私の軸にあって、ずっと変わらないことですね。

―― 今後、チャレンジしてみたいことについて、お伺いできますか?

とにかく映画の現場に行きたいです。映画の撮影現場は、どうしても子どもたちのことを考えると撮影の拘束時間的に難しいな・・・と自分で線引きしていました。でも今回、チョンジュに行けたことを考えると、やってやれないことはないのかな、と。一番やりたい仕事が映画なんです。なので、映画の現場に行きたいな、とすごく思っています。

―― 映画を観てくださる方々に向けて、メッセージをお願いします。

三年前の自粛以来、コロナ禍のなか、皆さんそれぞれの場所でいろんな戦い方をされてきたと思います。監督もまた役者たちもみんな戦って、この映画に繋がりました。
この映画を観たあと、頑張っていた皆さん自身が何らか救われたり、これで良かったんだと思える場面が一つでもあれば、私たちも救われた気持ちになります。もしもそんな気持ちになられた方がいらしたら、ぜひそれを私たちにも教えていただきたいなと思います。

池田良さん&田川恵美子さん。イメージフォーラム前にて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?