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考える力と想像力

時たま、文章を書くということについて考える時があって。

元々ぼくは文章を書くことが超がつくほど苦手でした。
文章を書くという作業自体に魅力を感じなかったし、小学生の頃なんて目の前のことにしか目も頭も行かない単純バカだったせいもあって、思いや感情を整理して文章に置き換えるなんて人知を超えた超能力としか感じなかったのですね。笑
文章どころか、言葉に置き換えることすら困難だったし、腹がたったら文句ではなくグーでブッ飛ばせば良い!とまるでルフィのような子供だった。笑
想いを伝えるなんて身体でしか表現できなかったし、ましてや文章なんて別世界に存在するものだという感じだったのですね。

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noteの海をトリップしていると、文章が達者な方や、文章に携わるお仕事をされてる方々をよく見かけます。
みなさん、思いや事象を伝えることに長けていてすごいなーと読んでいるのですが、最初からそうやって自分の想いや身の回りの事象を、上手く文章で伝えられた方もおられるのでしょうけれど、中にはぼくと同じ穴のムジナ的な方もおられるのではないかと淡く思っているのですけれども。笑

今に至る過程は人それぞれだし、そこには様々なきっかけや段階があるのだろうと思います。
明確なステップアップを感じないまま、いつの間にか身につけていたという方もおられると思います。
でも、自分を振り返った時、今の自分の文章が良いものであるという自信も根拠も甚だないのですが、自分が思っていることをなんとか伝えようと書いている現状を俯瞰する力はいつの間にか備わっていて、ちゃんと想いを込められたかどうかの判断では自分で良しとする位置に来れてると感じています。
いつからそうなのかはわかりません。
が、徐々に、文書を書くことを繰り返していった過程で、様々な本を読み、好きな文学やエッセイなどが確定してゆく道程で、自分の憧れる文体や表現に出会って来れた過程があったからこその今であるということを再認識するわけです。

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ぼくがフォローしているnoterに高田ともみさんという方がおられます。
こども向けの作文教室を不定期で開催しておられて、文章の書き方というか、小学生に作文を教えておられるのですね。

ぼくには忘れられない文章にまつわる記憶があります。
なんて事のない、「詩を書く」という小学6年生時の授業。
空を見上げて、何かを書く。
前述の通り、ぼくの文章リテラシーからすれば地獄のような授業なわけで。笑
その時の細やかな心のひだや感慨など全く覚えてはいませんが、やっぱりやっつけの作品を出すしかない状況だったわけです。

雲が流れる。

あの雲に乗れるかな。

乗ったらどこまで行けるかな。

そんな内容を書いたと思います。
誰でも想い浮かぶような、きっと頭の隅っこにあった誰かのどこかの何かから引っ張ってきたような詩を書いて、自分でも自分の文章に対する能力なさにがっかりした記憶があるのです。
だって、乗れるわけないじゃんって思いながら書いてましたから。笑

そんな時にもしも、文章の書き方ではなく、空を見上げた時の、想像力や柔らかい発想力をコーチングしてもらったり、時間をかけて訓練させてくれていたら、もっと別の文章にたどり着けたのかもしれないと感じるのですね。
「文章なんてなんで書かないといけないんだ!」と思っていたぼくからすれば、もしその時期に、想像することの楽しさや文章を書くという魅力に気付けてたら、のちの人生でもっと素晴らしい世界に出会ってたかもしれないな、と思うのです。
そして「書くことが、うまくなる必要はない」と言っていただけることは、子供達の可能性を大きく広げるものだと感じます。

考える力。柔らかい発想。想像力。

そういったものたちこそ、子供だった僕らが学びたかったものなのではないかと思うのですね。

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今思うに、ぼくが文章をなんとかかけるようになったのは、やっぱり生きてきた中で考える力と想像力が身についてきたからなんだなと思います。
実は正直にいうとまだまだ文章は苦手なんです。
書くことはある意味、考える力と想像力を磨くための修行的な側面もあって。
そう考えると、逆説的ではありますが、文章を書くことによって、考える力と想像力を鍛錬している、といった方がいい感じもあって。笑

自分の感覚からしたら、まだまだたどたどしくヨチヨチ歩きな文章だとしても、これからも柔軟に考えられる力と心地よい想像力を磨いていくために、拙い文章を操っていきたいと思います。



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