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長く生きてても。

自分はずっと「旅が好きな人間」だと思っていました。
バイクに乗っていた時はよくふらりとツーリングに出かけてその日に宿泊場所を決めて泊まって帰ってくる、みたいなこともしょっちゅうやってたのでね。
いつだって旅をすることにワクワクするし、常に旅立つことを想定して生きていた感じもあって。
まあ、若かったとしか言い訳がつかないのですけれども。w

でも実際は、ほとんど海外も含めて旅には出ないまま生きてきた「色々事情があって旅に行きそびれてる旅好きな人間」なんだということが判明してくるのですね。w

さらにそういう人間なんだと言い訳をしながら長いこと生きてくると、ちょっと待てよ?と。笑
実は「性根は地に足をつけてお気に入りの土地でずっと暮らしたいという人間」なんだな、とかが判明してゆくわけです。笑
確かにあちこち行きたいし見て回りたい。
でも旅人をイメージさせるノマドや根無草のような生活には憧れないことも知っていたわけです。
だから最終的には「旅は好きだけど定住したい人」だと自分にタグ付けをして安心していたわけなんですね。

ところが近年。
齢60年も生きてくると、新たに気がついてしまうこともあってね。

定住はしたいと思います。
地元の人たちとディープに交流して地元のために何かをやって、その土地の人間なんだと実感して生きてゆきたい、などと考えたこともあります。
そのためのアプローチを試みたこともあります。
でも、振り返って茅ヶ崎に定住して23年にもなりますが、未だ余所者のままで生活を続けていることに気がつくわけです。

さらに言えば、実はそれが心地いいと思ってる、ことに気がつくんですよね。笑
まるで、旅先に長期滞在して暮らしてるような感じで。

そうなんです。
僕は「旅をするようにその土地に余所者として定住したい人間」だったんだとヨボり始めた年齢になって初めて気がついたんです。w

それに気がつくと、色々腑に落ちることもたくさんあるし、地元の人間になってないことへの焦燥感は消えてくれるんですよね。
それは僕の今まで語られなかった真実のパーソナルなわけですから、そのことを言葉や文字としてタグ付けされたということはとても素晴らしいことで、ちょっと新しい自分になって生き始められるような気がするのではないかと思うんですよね。

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人間60年も生きていると、大抵のことは知っているような錯覚に陥りがちで、これまでの計り知れない経験値が物事の判断を狂わせることがあるものなんですね。

長年積み重ね成熟させて形作ってきたはずの「自分という人間はこうなんだ」という認識にズレとか新たなる見地を見出すとか、もっと言ってしまえば今になって「そうだったのか!」と思うことに度々出くわすようになってくるものなんですよね。

歳を取れば取るほど、若い頃から経験してきた様々なことはどんどん膨大になります。
経験値は人を創る効果的で絶対的な材料であるからして、その経験値の数だけ人となりの深部を強固にしてゆくものです。
なので、その膨大な価値観を軸に、何度もつまづいたりやり直したりした挙句に導き出した「自分が良しとする自分の好みやスタンス」は、もう何度だって語れるくらいに成熟したパーソナルだと思っていますよね。
しかし。w
実際に武装されて強固になった分、実はそうじゃないかも知れない部分は隠されてしまうものなんです。
いつも言葉や思考の部分では柔軟に本質を見極めることを目標に生きてゆこう、などと考えたりもしますが、自分のことでさえそうやって隠されることがあるのだと、最近つくづく思うんですよね。

人間長く生きていても、今思ってることが正しいとか掌握できてるとは限らないわけで。
新しい自分。
新しい価値観。
新しい分析。
楽しみながら自分を探っていきたいものですね。笑



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