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アケイディアンを紡ぐ旅

Robbie Robertson

この夏、僕にとっては言葉を失う瞬間を経験しました。
それは何気に見てたネットニュースの中の小さな記事でした。

「ロビー・ロバートソン逝去」

享年80歳だったそうです。
思わず絶句して、スクロールさえも止まりました。

「マジか。。。。。」

近年、僕が慣れ親しんでいたアーティストが次々に亡くなられていて、
僕の中ではその度に「ああ、またか。。」と少しばかり残念に思うと同時に、自分もそういう年齢なんだな、と実感することの繰り返しでした。

このニュースももちろんそういった類のニュースの一つなんですが、やはり誰が亡くなったのかということが、心の動きにこんなにも大きな影響を与えるのか、ということを痛感する瞬間でもありました。

その直後に、FacebookかXか何かに「さようならロビー。一番好きでした」とかなんとか書いたのを覚えてます。
そしてこのNoteにも追悼記事を書こうとしましたが、最初の1行さえ書き始められない状態が続いたので書くのをやめていたんですね。
そう。
文字通り1番好きだったこともあるアーティストの死について、直後にはこんなにも言葉が出ないのか、ということを実感したんですよね。
まさに「言葉を失う」は「書く言葉さえも失う」だったのです。

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ロビー・ロバートソンという名前を知らない人もいるのかも知れません。
でも、ロビーが一番好きだという有名なアーティストはかなりいると思いますし、彼の影響を受けたミュージシャンやギタリストも数限りないのだと思います。
彼の功績や偉業については、きっとこの死去に乗じてたくさんの人がさまざまな場所で、正しく、神々しく、美しく語ってくれていると思いますので、僕はここではあまり語りたくないと思ってましたし、語れないかもとも思っていました。。
それでも、僕が高校生の時にThe Bandというバンドに出会って、「きっと僕は解放されるだろう。。。」と歌う独特のサウンドに夢中になった頃から、ずっと僕のフェイバリットなベスト・アーティストとして憧れ続けたミュージシャンだった彼のことをやっぱりなんとしても語らずにはいられないわけなんですよね。w

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今聴いても、彼らの登場以降に数多現れた、ロックやブルース、ジャズやゴスペルやフォークなどをベースにしたアーリー・アメリカン・ロック・バンドと比べても、明らかに別次元の音楽観を有した、ある種唯一無二なサウンド・フェイスを奏でたバンドでした。
憂いも、喜びも、何かがミクスチャーされた音楽。
限りなく透明で品性に溢れたフォーキーでレイドなファンク。
複雑な世界を生きる大人が繊細な心情を生音にするとこうなるんじゃないか、みたいな印象を常に抱かせる、本当に稀有なバンドだったと思います。

そこには、ロビーのルーツでもある、カナダ系ユダヤ人という生い立ちにも影響はあるはずで、実際に彼のアケイディアン(アカディ人)としてのセンスとアイデンティティは明確なものとして自ら語られたこともあります。
また、アケイディアンの一部は、北米南東部のルイジアナ地方で現在アケイディアナと呼ばれる地域に定住し「ケイジャン」の祖となったと言われています。
ザ・バンドの音楽からはどこかケイジャンな匂いが確かにしてたし、彼らの音楽の品性や繊細なミクスチャー感はきっとそういうところから来てたのではないかと思うのです。

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ロビーを好きな人のほとんどが、ザ・バンドの音楽が好きだったと思います。
もちろん僕もザ・バンドへの思い入れは相当あるし、大好きなアルバムももちろんあるわけで、彼らの音楽が僕のルーツと言っていいくらいに身体に染み込んでる音楽なわけです。
でも、そんな僕と同じ、あるいは僕以上に深く彼を愛してきたロビーファンから大不評だった、1987年に発表された彼のファーストソロアルバムがあります。
「Robbie Robertson」という本人の名を冠した、共同プロデューサーにダニエル・ラノワを配しピーター・ガブリエルやU2なども参加したこのアルバムは、あまりにもザ・バンドとは違うサウンド・アプローチで生み出されていました。
ザ・バンドファンからしたらたまったもんじゃない。
「なんなんだこれは!」となるわけです。笑
でも僕はここでも、例のアケイディアンでケイジャンな匂いを感じてしまったわけなんですよね。
文字通りのケイジャン・サウンドは一切含まれてませんし、どちらかというとUKやヨーロッパのテイストで構成された心象サウンドと言ってもいいアルバムでした。
でも僕は「Fallen Angel」の1発で大好きなアルバムになりましたし、彼の品性やアーティスティックな創造性や複雑なミクスチャー感が音となって具現化されたことを理解できたんですよね。
「ああ、ロビーが帰ってきたな」
そう感じて嬉しかったんです。

そしてファーストアルバムで志向したその音楽性の完成形は、1994年に発表された「Music for The Native Americans」で聴くことができます。
兼ねてから彼のルーツであるネイティブ・アメリカンの音楽を追求したいという願いの元に制作された、実験的ではあるけれど、彼のとても根源的な執着地点を垣間見れる意欲作でもありました。
ここでも「Gost Dance」の1曲で僕は虜になりましたから。笑

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ネイティブ・アメリカンのモホーク族の血を引き、カナダ系ユダヤ人でもあるルーツを持つ彼の音楽は、間違いなく、アケイディアンを巡る大いなる旅路に生み出された音楽だったに違いないと思うんです。

本人の苦労や、
時代的な困難を棚上げするとですね、w
単純で狭すぎるルーツでしかない自分と比べて
憧れのテクスチャーしか見出せないくらいに
一言で言うと「カッケー!!!」そのルーツに憧れを禁じ得ないわけです。

なので、届かないからこそ、
この遠い異国の地で、
しかも旅立ってしまった彼のいる場所はさらにあまりにも遠くなったので
しめやかに
慎ましく
我が家のターンテーブルの上で
彼のアケイディアンの旅路を巡ってみたいと思います。

さよならロビーさん。
もう一度言います。
一番好きでした。


P.S.
書きかけてる追悼曲がいつか完成しますように。笑




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