【映画】スパイダーマンの帰る道~スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム(ネタバレ有り)
この記事はネタバレを含みます。
「スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム」には思わず声をあげてしまうような驚きの演出が用意されています。
映画をご覧になった後にこの記事をお読みください。
基本的に映画というものは、その一作のみを観ても十分楽しめるように作られています。
ただし、今回ばかりはこれまでのスパイダーマン作品全てを観てから臨んだ方が何十倍も楽しむことができると思います。
私は「スパイダーマン」はアメリカンコミックのヒーローの中ではそれほど気になるキャラクターではなかった。過去のスパイダーマンの作品も、MCU版のスパイダーマンも「なんとなく」観てきた。
それは、どれもなんとなく後味の悪い終わりだったからだ。
「善人が科学変異によってモンスター化したのをスパイダーマンが倒した」「モンスターがスパイダーマンの家族や恋人を殺した」
映画なのだから、当然といえば当然の展開だ。
ただ、どの作品も悲しいまま終わってしまう印象だった。
実際には、トビー・マグワイア版「スパイダーマン1,2,3」もアンドリュー・ガーフィールド版「アメイジング・スパイダーマン1,2」も続編が取りやめになった背景があるのでもし続いていれば、何かしらの救いがあったかもしれない。
彼らにもう一度会うことがあれば・・・その後がわかるのに。
とは誰もが思っていたことだろう。
そこへ今回の「スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム」の公開だ。
公開の随分前の段階から、ウィレム・デフォーがグリーン・ゴブリンとして登場するという情報は公開されていたし、ドクター・ストレンジによってマルチバースの蓋が開けられるという展開も公開されていたので
誰もが「別の次元からヴィランズがやってきて暴れるストーリーなのか」という予測はしていた。
「いやいや、それならスパイダーマンの2人が別次元のNYからやってきてもおかしくない」と淡い期待をするも、全く異なるプロダクションでの作品。
特にコミックキャラクターの権利の扱いについては非常に厳しい映画の世界である。
そんな大人の事情があれば、さすがにあの二人が登場するのは無理だろう。
「まぁ、スパイダーマンのマスクとか小ネタくらいは出てくるかもしれない・・・?」くらいの気持ちで劇場へ行った。
上映中に、客席から歓声があがった。
日本の映画館ではまず見かけない光景だ。
魔法のゲートの向こう側にスパイダーマンが立っている。
友人のネッドとMJがこっちこっち!と呼び寄せて走って駆け寄ってくる。
この時点で気付いている観客が「わぁぁ!」と声をあげた。
マニアックなファンなら「目の大きなマスク」を観ただけで気付く。
「いやいや、僕だよ、怪しくないから!」とスパイダーマンがマスクを外した瞬間!!
「うぉぉおお!!!」と客席から歓声があがった。
そこにいたのはトム・ホーランドではなく、
あの、アンドリュー・ガーフィールドだったのだ。
やってくれたかー!!!!
様々な「タブー(良い意味での)」をやぶって、やってくれた!!!
スクリーンの中では「あんた誰よ!」「ピーターだよ」とやりとりが続く。
この滑稽なやりとりの面白さを理解できるのは、観客だけなのだ。
そして新たに開いた魔法のゲートからもう一人やってきたのは・・・
もちろん、トビー・マグワイアだった。
この二人が出てきたという事実だけでも嬉しい瞬間だったが、
彼らが登場したのは、今作の主人公であるトムのスパイダーマンが愛する人を亡くし、絶望していた瞬間だったのだ。
それはまるで、弟のトムを助けに来た兄弟のようだった。
涙を流すトビーが見上げた空に、二人のスパイダーマンの影。
今世紀の映画の中で「心に残るシーントップ10」に確実にランクインするだろう。
ベネディクト・カンバーバッジ演じるドクター・ストレンジの魔法の影響で、他の次元にいたスパイダーマンと、その敵たちがこの世界へやってきてしまった。
魔法を使えば一瞬で彼らをもとの世界に送り返すことができる。
しかし、トムが思いついたのは「親愛なる隣人」ならではの方法だった。
3人のスパイダーマンが協力し、やがて「最善のかたち」で事態は収まっていく。
それは、過去のスパイダーマンの作品で「救われなかった主人公たち」と
「救われなかったヴィランズたち」の魂を救済するという結末だった。
ただ単に客を集めるために過去のスパイダーマンたちを集結させたのではなく、彼らを、そして見守る観客の心をも救済する映画だったのだ。
そしてその張本人であるトムは、世界全ての人が彼の存在を忘れるという魔法によって、全ての人から忘れ去られた。
家族を失い、恋人や友人の記憶からも消えてしまった。
まさに心の家へ帰る道がなくなってしまったのだ。
「ノー・ウェイ・ホーム」は日本語にすると「家に帰る道がない」となる。
掘り下げると「帰る家を失ってしまった」という意味にも取れるのだ。
それまではある意味自己中心的な正義をかざしていたトムが
帰る道を手放す覚悟を決め、大きな成長を遂げた。
この映画を観終わって、心の中には一つの区切りがついた後の清々しさが残った。
(実際のところは区切りどころかマルチバースを巻き込んだ大事変に繋がるのだが。)
ところで、劇中に歓声がおこったと書きましたが、
やはり日本人。狂喜乱舞の大騒ぎというレベルではありませんでした。
世界ではどうだったのかが気になったので、調べてみたところ
どの国もお祭り状態のリアクションでした。
特にすごかったのがフランスの映画館の様子です。
映画はできれば静かに観たいですが、この作品はこのくらい大騒ぎしながら観てもいいかなぁ、と思いました。
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