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【企画】忘れられない外国人のあのひと


チェーンナー先生の企画第二弾「忘れられない外国人のあのひと」について書こうと思います。

私の仕事は外国の人に日本語を教えることなので
日本にいる私でも毎日何十人もの外国人と接しています。

とはいえ、直接接しているとあまり「あぁ、今外国人と話しているな」とか
「外国人だから自分とは違うな」とか、そんなことは全く意識していません。
文化や習慣の差こそあれ、彼らとやりとりをしている時の自分の脳内で「外国人であること」を感じることはないのです。
そこは「人間の根本は同じである」ということなのでしょうか。

だから、私が教える外国人に対して
「外国人だから頑張って教えよう」とも
「外国人だから手加減しよう」とも思っていません。

*

彼は、この10年間で私が教えた中で一番大変で、一番思い出に残る学生でした。

私が彼のクラスを受け持ったのは、彼が入学した次の学期でした。
前任の先生から「態度は悪いし宿題もまともにやらないし、大変ですよ」と言われていました。

初めて授業に入ってみると、長い足を前に投げ出してガムを噛みながら、見るからにやる気のなさそうな学生がいました。

「こいつか〜」

しかも酒くさい?(昼13時)

もちろん宿題も出さず話もあまり聞いてる様子もなく、当てても曖昧な返答…
絵に描いたような学生だなぁ、と内心笑ってしまう私。

授業が終わり、だらんと座っている彼に
「あなたはどんなことが好きなの?」と聞いてみました。
「金と女です」

まだ二十歳ちょっと過ぎで金と女って…。
本当だとしてもその答え方!!
本人としては知ってる日本語を使ったつもりだろうけど、
ここでもつい内心は笑ってしまった。

「そっかー。金も女も日本語が上手くないと手に入らないねぇ」
「えっ、そうですか?」
「そりゃそうでしょ。あなたの国でも同じでしょ?」
「はぁ…そうですね」
「じゃ、また来週ね〜。1週間頑張ったら金と女にどのくらい近づくかな?楽しみにしています」

そして翌週。
先週のあいつはなんだったんだ…という位まともな授業態度。
そもそも日本語習得のセンスがあるようで、的を得た鋭い質問もしてくる。

なにがどうなった???
よくわからないまま授業が終わると、彼に声をかけられた。
「先生、僕、今までただ日本に居れば日本語が上手になるって思ってたんですけど、たぶん違いますよね・・・」
「そうですね。ただ居て上手になる人は0%に近いんじゃないかな。」
「先生と話してそれがわかったんですよ」
と言って帰っていった。

それからというもの、まったく寝ることなく
授業中は一言も聞き漏らすまい、といった態度で授業を受け
私が教えない日も職員室へ来ては授業内容について質問攻め・・・。
学校のイベントではクラスのメンバーをまとめるリーダー役をする。
(クラスの他のメンバーはどう思っていたんだろうか・・・)

この段階で彼は初級Ⅱだったのですが
私自身、彼の質問に答えるために準備したことが
今でもかなり役に立っています。

ただ、衝撃的だったのが、
他の先生の前ではほとんど以前と同じ状態だった、ということ。
これは卒業するまで変わらず、
他の先生には「うるせぇババア!」と言って机を蹴っ飛ばすわ
(よくそんな日本語が出てくるなぁ、と感心してしまった)
丸一日授業中寝たままだわ・・・で最悪の学生でした。

そういうことがあると毎回彼をつかまえて先生のところへ行って謝罪。
蹴っ飛ばして割れたごみ箱を修理させました。
そして、その度に私も本気で彼に何が悪いかを説きました。
この辺りのエピソードは「日本語学校版金八先生」とか「ごくせん」でも作れそうな感じです。

どちらが素の彼なのか、どちらも素の彼なのか。
それは今でもわかりません。

ただ、私には何でも打ち明けてくれたので
彼の日頃の態度の悪さの訳や、日本へ来たいきさつや
抱えている問題を把握することができました。
その度に一緒に解決策を考えたり、
解決はできないけれど、気持ちが楽になる方法を考えたり、
もはや先生というよりカウンセラーでした。

その間に私の父が他界し、忌引が開けて学校へ行くと
クラスの学生がお悔やみの花を買って贈ってくれたこともありました。
後で聞くと、それをとりまとめたのも彼だったそうです。

*

彼もいよいよ進路を考える時期になり、
例によって何度も私のところへ相談に来ました。

まず、日本で就職するのにどんな職業がいいか、
それぞれの職業で初任給はどのくらいなのか。
そこから始まりました。

少しずつやりたいことが見えてくると、今度は学校探し。
専門学校で勉強して、就職をすることに決めました。

私がおすすめしたいいくつかの学校の情報を見せ、
それぞれの説明会に参加させました。

説明会から帰ってくると、
「A学校はいい学校かもしれないけど、自分とは合わないかもしれない・・・
先生がおすすめするB学校は、僕の失礼な質問にもちゃんと答えてくれて、いい学校だと思った」
「し、失礼な質問って何・・・?(冷や汗)」
「「僕の友だちはA学校に入って大きい会社に就職できたけど、
この学校に入ったら僕もいい所に就職できますか?」って聞いたんです」
そんな質問に親身に答えて下さったB学校の先生方には大変感謝しています。

「で、やっぱりB学校へ行こうと思います。先生のおすすめだし」
「私がおすすめしたからって、決めるのは自分だよ?」
「本当にいい学校だと思ったし、先生を信じてますから!」

こんなことを面と向かって言われたのは人生で初めてでした。
「信じてもらう」というのは嬉しい反面、なんて責任の重い言葉なんでしょうか。
それも、人の人生を左右する場面で。

でも、だからこそ、私が信頼している先生がいらっしゃるB学校に彼を行かせたいと思っていました。
態度も悪くて偉そうな学生だけど、彼の中にある純粋で一直線な部分を見てもらえるんじゃないか?と思っていました。
あそこでなら、なんとかやっていけるんじゃないか、と。

そして迎えた合格発表の日。

結果は不合格でした。

あらー・・・どうしよう。
と思っていると、彼の方から
「どうしてもあの学校へ入りたいので、もう一度頼んでみます!」と、
再度試験を受けさせてもらえることになりました。
(その学校では、もう一度チャンスがいただけるのです)

一度目も特訓したけど、二度目は猛特訓。

そして迎えた合格発表の日(再)

結果は、合格でした!

その日、学生からメールが届きました。
「日本に来て先生に会えて本当によかったです。
先生が最初に僕のこと相手にしてくれて、本当にやる気が出たんです。
それまで適当な人生だったけど、頑張ろうって思うようになって
日本の生活も楽しくなったし、日本に来てよかったと思いました」と書かれていました。

これを読んだ最初の感想は
「ならもう少し他の授業でもちゃんとやってくれよ・・・」でした。

が、後から嬉しくなりました。

あの最初の日に声をかけてよかった。

*

そして時は過ぎ、卒業式の日。

卒業式に遅刻しやがった・・・。

しかも私のクラスの学生が4人も遅刻。
ぽっかり空いた席を見て「なんでよー!!(怒)」となっているところに
悪びれもせず堂々と入ってきた4人。

式の後で「なんで最後の最後まで遅れるの!!」と言うと
彼と一緒に遅れてきた学生が
「こいつが先生にプレゼント買いに行こう行こうって言うからみんなで行ってきたんですよ」と教えてくれた。

なんとも、最後の最後まで「ごくせん」のような展開でした。

卒業後も彼からはまめに近況報告が来ます。
時々、学校へ遊びにきたりもします。
日本の会社に無事就職して頑張っているそうです。

*

ここでまとめを書くべきなのでしょうが、
なかなかうまい締めが思い浮かびません。

とにかく彼を受け持った2年間はなんとも印象的な日々だったのを
今でもよく覚えています。



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