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乳がんと宣告される

まずは少し私の事からお話ししていこうかと思います。
今年、5月に少し前から生理前に起こる乳腺の痛みだろうと思っていたものが明らかにしこりとなっていることに気付きました。
慎重に丁寧に触ると脇にも同じようにしこりが…
明らかに良くないものだと分かるほど大きくなっていました。

とにかく、すぐに病院へ行き、触診、マンモグラフィー、エコー検査、細胞検査とんとんと進んで行き、『残念だった。胸も脇からもがん細胞検出されました。』と宣告されました。

すでに転移が起きているステージⅡbそしてがん細胞は活発な厄介なタイプであること。
女性ホルモンで成長するものであるとも分かったようです。
ただ、この時は想定していたよりショックが大きくて先生の話してくれたことが記憶にあんまり残っていなかった。
無意識に涙が流れ『死』というものをありありと感じられ恐怖でしかなかった。

子どもも社会へと送り出し、別々に暮らしている。それに自閉症っ子。
病気を知らせてもマズイなと思い、現在も知らないままです。
とにかく、出来る治療と終活を並行して行いました。

捨てられるものは捨て、必要ないものは解約し、永代供養の寺院や費用を用意し、信頼できる人に伝えてすべての流れを手紙に書いておきました。
あ、ここで触れなくてはいけないことが…
わたしの家族とは完全に疎遠だということです。

わたしは末っ子で両親にとっては一人目の子が最優先だという家庭で育ちました。どれだけ、わたしが求めても拒否され、姉へと向かう愛情に傷付き寂しさを持ち続けていました。
反発したり、必死で追い求めていたこともありましたが、心理学や精神世界、スピリチュアル様々なことを学んで『手放そう』と決め、家族と離れることにしました。

わたしが家族に依存していたことに気が付いたんです。
父は随分前に亡くなっていますが、両親も人間です。完璧ではない。
同じ我が子でも好き嫌い、合う合わないはどうしても起きてしまう。
たまたま、わたしの家族は姉に愛情が注がれる家庭だったということを受け入れられるようになって一気に解放されました。

わたしは自由に外で色んな人に巡り合うことができ、出逢った人たちに愛情をもらっていることにも気付くことができました。
居場所は自分で創ることができるんです。

突き放されるのは辛いし、悲しい。でも、それならまたその場所を探せばいいんだ!生きている限り、いくらでも無限にチャンスはあるんです。

話が大きく反れましたね笑

生きるために出来る治療と終わる時の為の準備
なかなか、精神的にバランスを取るのは苦しいものです。
それに抗がん剤(化学療法)が始まると直前まで登山やマリンスポーツをガンガンしていたタフな体も劇的に落ちていく…

立つことすら痛みや倦怠感、吐き気、熱で辛い
5月の終わりから9月中頃までそんな闘い
それでも少しでも前向きになれるよう合間を縫って引っ越しを目指しました。
環境を変え、運気を上げようと
今思うとものすごいことをしたなと思います笑

9月の終わりに右乳房全摘と転移していたリンパ節切除という手術を受けました。退院してから2週間後には引っ越しを強行!
抗がん剤を受けつつ、荷物をまとめていき、術後まだ傷が痛む中でしたが
何とか新しい環境に身を置くことが出来ました。

現在は生理を完全に止めるためホルモン療法と放射線治療を行っている真っ最中です。

一度は『終わった』と思うくらい落ち込みましたが、死ぬその時まで人生は続くんだと思いが変わって行きました。
それなら『もっとこうしておけばよかった…』と後悔したくないと思うように。
やれることをやって行こう!
それが今のわたしです。

抗がん剤の副作用で手足の神経痛があったり、ホルモン療法で関節痛が起きたりしますが、それでも抜けた髪が少しずつ生えてきている。身体は生きようとしている。
それに歩けるんです!
抗がん剤を受けている時は歩くのすら辛かった。その時を思えば今の辛さは我慢できる!時間がもったいない!
山も登ろう!と登山も再開です笑

そして今、ずっと形にしたいなと思っていたALOHA設立に向け一歩、歩み始めました。
今、抱えている苦しいこと、悲しいこと…
ひとりで抱える必要はない

ぼやいたっていい
そしてちゃんと前に進めることを知ってほしい

生きている限りチャンスは無限にあるんだから!


一筋の光を照らすことができればいいなと思っています。

ここまで長々とお読みいただきありがとうございました。
応援して頂けたら嬉しいです。




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