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横尾忠則「寒山百得(かんざんひゃくとく)」 描くことは、みえないものに奉納すること
先日久しぶりに、東京国立博物館・表慶館へ足をはこび、「横尾忠則 寒山百得」展を観てきました。
クラシカルで曲線的な表慶館と、ビビットでいたずらっ子のような横尾さんの作品とがおもしろいハーモニーで、なんだかとってもリラックスして過ごせました。
個人的な現世の悩みなんか、それに何か意味はあるの?と、笑い飛ばすようなエネルギーが。
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今現在、87歳の横尾忠則さん。
時代と共に走り抜いてきて、もう未来のビジョンは見えない…と。肉体の限界が見えているとも。
それでもなぜ絵を描くかというと、
もう飽きちゃってるんですよ。もう、ずーっと子供の頃から、絵しか描いてませんからね。誰のために描くわけでもないんですよね。世のため、人のためにも描いているわけではない。じゃあ、自分のためか?自分のためでもない。じゃあ、何なのか。(それは)『みえないなにか』、存在を想定するしかしょうがないんですよね。その『みえない存在』に対する、なんていうのか、『奉納』みたいな感じですよね。お寺とか神社にいくと、奉納がありますよね。あれは神仏に対する奉納ですよね。だから、僕の場合は、神仏のように、はっきりはビジョンが持てないんだけれども、インスピレーションを僕に送ってくれた源泉=『もと』ですね。『もと』がなんだかわからないけれど、それに対する奉納。そのために描いているのかなと思いますね。
横尾さんは、驚くほど多作な人。
今回の「寒山百得」展のための作品群も、コロナ禍に世田谷のアトリエにこもって、中国の2人組の風狂僧、お経の巻物を手にした「寒山(かんざん)」と、箒を手にした「拾得(じっとく)」をモチーフに、「寒山」はトイレットペーパーを、「拾得」はクイックルワイパーや掃除機などに持ち替え、3年で102枚の大作を描き上げました。創作に突き動かされているように。
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去年(2022年)は急性心筋梗塞で倒れ、一命をとりとめた。
利き腕の腱鞘炎、突発性難聴、視力も極端に落ち、持病の喘息と慢性鼻炎にも苦しめられ、五感が朦朧(もうろう)としたままの世界と対峙している現在。
五感が全滅ならば、残るのは第六感だと、横尾さん。
残こされたのは第六感。だからこの第六感が頼りです。第六感は子供の頃から特技のひとつで、現在も健在です。
インドで遭遇してから、頻繁過ぎるほどUFOを見たり、明け方の夢からアイディアが湧いて出たり、「異次元との境に常にたゆたっているような人」なのではないかと感じます。
子供のころからそういう不思議な体験は度々あったんです。たとえば、流れ星が流れている間に願い事をすると成就するって言われていますよね。欲しいおもちゃがある時とかに願い事をしたいと思って下駄を履いて外に出ると、いつも流れ星がやって来るの。だから、流れ星は偶然見るものではなくて、願望がある時にみるようになったんです。
なんてファンキーな存在なのでしょう。横尾忠則さん。
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「横尾忠則 寒山百得」展を観て、私の脳裏には禅タロットの一枚が浮かびました。社会の決まり事をゆうゆうと越えて、今という瞬間を軽やかに創造の飛び石を伝って楽しむ。
それは、寒山と拾得の姿でもあり、創造性そのものであり、横尾忠則さんの生きる軌跡にも重なります。
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苦しみと背中合わせに、笑いあり、
意味と背中合わせに、無意味あり。
ならば、笑って好きなことをしよう!
数秘研究家としては、横尾忠則さんの軌道数(人生の道のテーマ)11について、書きたくてうずうずするので、また後日✨
数秘&禅タロット セラピスト 脇屋 朋子
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