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自分を褒めない文化から解放された話

「僕、自己アピールするのが苦手なんだよね。」

どこか負けたような表情でそう語るのは、最近知り合ったほぼ同い年の私と同じブルガリア人。4カ国語もしゃべる彼は、豊富なキャリア経験を持つ上に、全国を走り回っていて、彼がいる業界ではエキスパート的存在。日本についてもかなり詳しく、川や山の名前もすぐ言える少しマニアックな彼。

それでも彼は自分をアピールしたり、自慢したり、自分をマーケティングすることが苦手らしい。

それまでの話を適当に聞いていた私は、思わず反応した。

「わかる。すごくわかる。」

…痛いほどわかる。

私も長年、自分の強みとスキルをうまく人にアピールすることが苦手だと実感していた。そして、そんな自分が心の底からイヤで、原因と対策をずっと探し続けていた。

ラスト・ソ連ジェネレーション

私は1985年にブルガリアに生まれた。ソ連・共産主義が崩壊する4年前だ。もちろん、当時の記憶はあまりないけど、親や親戚、そして学校の先生からよくソ連時代の話を聞いて育った。

おばあちゃん世代になると「あの時代はよかったよ。みんなマナーやルールをちゃんと守ってたから」というのが一般的な感想だった。母世代(1958年生まれ)になると「自由って素晴らしい。好きな本を読めて、海外にも行けて、あなたたちはどれだけ恵まれているかはわかってないよ」とよく言われた記憶が鮮明に残っている。

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しかし、こうして社会や政治の動きに対して正反対な意見を持つ「私の人生の先生たち」には、はっきりとした共通点があった。

それは「自慢しない生き方をして」という教えだった。

謙虚に、相手より目立たない、自己アピールをしない、(あなたの強みは)わかる相手にはわかるから(自分で言う必要ない)、という教えのもとで私は育てられた。

彼らの時代はそれが正解だった。正解どころか、命を守る手段の一つだったのだろう。「みんな平等」が謳い文句の共産主義の社会は、国民一人一人には自分の立場があって、それ以下でもそれ以上でもない生き方をするのが当たり前だった。目立ちすぎると、あちらこちらにいたと言われているスパイに狙われて危ない目に遭うこともあったらしい。とにかくなるべく目立たないように、流れに乗った生き方をしていた時代だった。

しかし、突然民主主義になった私たちの世代では、「自分の声で社会が変わる」という新たな教えのもとで大人への道を歩み始めていた。そして、過去の自分たちを思い出しながら心配しそうにそれを見ていた親世代のジェネレーションがいた。

「いいから、あまり目立たないで大人しくしていなさい」

今でもブルガリアにいたことを思い返すと、そんな不安そうな声が聞こえてくる。

出る杭は打たれる

そんな私ですが、15歳のときに母が日本人と再婚して、親とともに生活の拠点を日本に移した。見渡す限り、すべてが新しかった。言葉も、ライフスタイルも、毎日の過ごし方も。

でも日本人の義父に教えられた一番最初のことは「褒められたら、”いいえ”で返すんだよ」だった。

一言も日本語がわからなかった私が、3年で日本語能力試験1級に合格した。入学した公立高校では、言葉がわからず一人でトイレに隠れて涙を我慢していた日もあった。

「日本語上達したね」と褒められたときに、「はい、よく頑張った結果です!」と自信を持って言いたかった自分もいたが、「いいえ、当たり前です。日本にいたら日本語ができるのが当たり前なので」と謙虚に対応することに慣れていた。

日本では“出る杭は打たれる”と言うことわざがあることを、来日してすぐに覚えさせられた。見た目も外国人だからそれ以上に目立つことをあまりしないで、”和を保つ”ことの大切さを覚えよう、と。

高校の英語クラスでも、「授業についていけない生徒もいるから、彼らにプレッシャーを与えないように発言は控えるように」と、私を含む英語ができる生徒数名が先生に釘を刺されたこともあった。

なるほど、社会が変わっても、国が変わっても、自己アピールをすること、自分を褒めることは良いことではないのか。

10代の私は「自己アピール」に対するネガティブな考えは、ブルガリアだけに根強く存在していたのではないと考えた。そして、“問題”を起こさないように、頑張って成果を上げてもアピールしない生き方を大人になっても続けていた。

結婚して、子供を産んでから考え方が変わった

日本人の義父と正反対に、「あなたはもっと人前に出るべき」と普段からよく言う日本人の夫に出会ってから考え方が少しずつ変わった。「自分から言わないと埋もれてしまう。もったいない。」という話を普段からよくする夫のおかげで、自己アピールとはただの自慢じゃないことをやっと理解しはじめた。

そして、もう一つの決定的なきっかけは息子を産んだことだった。

あと一週間で2歳になる息子の成長をみると、小さいときから「褒める」ことの大切さを毎日気づかれるようになった。「マアマアアアアアー!っしっこデタ!!」とトイレから響き渡る幼い我が子の嬉しそうな声。「ハ、ゴシゴシデキタヨ〜」と嬉しそうに、わざわざ言いにくる。それに対して「うわああああ〜やっった!!」と少し大袈裟に反応すると息子は最高の笑顔になる。

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褒められたいのはみんな一緒。

新しいことを覚えたら褒められる。自分でできたことを自信持って言う。それが自信を作り上げるサイクルだ。ちゃんとできているなら自信持ってみんなに言うことは悪いことじゃない。むしろ、それがきっかけで他の人も影響を受けてできるようになるかもしれない。そして、自分をみんなの前でアピールすることは自分へのチャレンジにもなる。

出る杭は必ずしも打たれるワケではないし、出てきた杭につられて他にもたくさん杭が出てきたら、もっとポジティブな世界につながるかもしれないんじゃないか。

子どもの頃の自分に戻ることができるなら、「頑張ったことは自分の強みになるからみんなに伝えてもいいんだよ」と伝えたい。

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