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HELLO WORLD聖地巡礼考:アルタラの追体験としての聖地巡礼とストリートビュー

昨今のアニメの例に漏れず、映画「HELLO WORLD」も京都市の強力な後援を得て京都の美しい風景を描き出しており聖地巡礼を誘発する作りになっていますが、2つの意味で本作品ならではのきわめて特異な特徴があるといえます。ひとつは物語と現実のきわめて精緻な整合性による秀逸なメタ構造、もうひとつはそれをさらに補強するアルタラの追体験ツールとしてのストリートビューです。

手始めに、Googleマップ上に聖地巡礼マップを作成してみましたのでよろしければどうぞお使い下さい。

以下、いかにその特異な特徴がとんでもない代物であるかを書き出してみたいと思いますので興味がない方はスキップしてください(笑)。

物語と現実との精緻な整合性—京都の街の正確な「複写」から立ち現れる「世界」のリアリティ

本作のロケ地を調べれば調べるほど、「単に名所旧跡を配置した」「適当に風景を並べた」というレベルを遥かに超えて、必然性のある設定になっていることに気がつきます。

例えば一行瑠璃は下校時に堀川蛸薬師のバス停から南下するバスに乗ります。瑠璃の家は高校より北にあるので一見整合しないように思えますが、実際には南下して四条河原町で乗り換えるのが最速なのです。彼女がどの系統のバスを使っているかについてもそこから特定が可能です。つまり映画に描かれていないような要素が細部まで作り込まれていて、観客はそれをかなり高い尤度で思い描くことができます。

またナオミは(少なくとも脊椎損傷当時は)上京区近衛町に居を構えていますが、これは職場からも瑠璃の入院する病院からも至近距離にあります。大学時代に通学時間すら惜しくて大学の真裏の下宿を借りたという彼の偏執的なモチベーションを未だ持ち続けていること、仕事の合間に足繁く瑠璃を見舞い、同僚達もそれをよく理解していたことまで自然に想像されます。

つまり、実在の京都の街をきわめて正確に作品内にコピーし、設定やストーリーをそれと整合させることで、観客は映画に登場しない彼らの日常生活や過去までを勝手に補完する仕掛けとなっており、彼らがこの京都に実在しているかのような臨場感を与えてくれます。なぜ登場人物がこの道を歩いていたのか、地図を見れば説明できてしまうのです。ここまで作り込まれると、もはや一つの世界を作り出しているのと同じです。アルタラの記録世界において、ただの記録に過ぎない人達が自律的に人生を生きているように、物語の登場人物はカメラが回っていない間、レンダリングされていない間も生き生きと活動しているようにすら思えてきます。映画内の京都が現実世界の京都の(可能な限りの)正確な複写として成立しているならば、それはもはやアルタラと同程度に「リアル」となります。

観客にとってこの映画はまさにアルタラの記録世界であり、作中で現実世界と記録世界が等価であるように、映画の世界もまた我々の世界と等価—そう思えてくるのです。秀逸なメタ構造です。

アルタラの追体験としてのストリートビュー

さて、ここまでであれば他の多くの作品においても実現されている話ですが、本作においてこのメタ構造をさらに補強してくれるのがGoogleストリートビューです。程度の差こそあれ、pluura社と本質的に同じことをGoogleは部分的に実現しています。京都の小さな路地に至るまで全周画像が記録されており、ユーザはそこに降り立って周囲を見渡すことができます。

ストリートビューの没入感、臨場感はまさに先生のアバターの追体験です。前述した作品世界のリアル感は、ストリートビューによってさらに強化され、実際のロケ地巡りとはまた違った意味で、我々は「テクノロジーによる記録世界へのアクセス」を実感します。そこを自由自在に歩き回ることができ、しかし道行く人は自分には目もくれず、こちらからは何も干渉できない…位置がずれる際のイライラまで我が身のこととして感じ取れてしまいます。

さらには10年前の京都の画像にアクセスすることすらできてしまいます。例えば瑠璃とかでのんが買い物に来た四条河原町のマルイのストリートビューですが、10年前の記録世界にアクセスするとそこに今はなき四条河原町阪急を見ることができます。

10年前の、今は失われてしまった風景が生き生きと目の前に現れるのを見た時の感傷は、当時の阪急を知っている方はもちろん、知らなくてもある程度感じ取れるものはあるかと思います。これぞ、クロニクル京都事業の意義そのものです(失われ行く風景の記録としてのクロニクル京都/アルタラの重要性と、このモチーフが昨今のアニメ作品に頻出する点については別稿で書きたいと思います→2020/3/20:書きました↓)。

図書室で瑠璃を見た先生が見せた涙も、ある意味でこの延長線上にある感覚であると体感できてしまいます。以前、2ちゃんねるで

「去年死んだウチの犬がストリートビューではまだ軒先で座ってる。写真もあるけどストビューで見るとまだ生きてる気がしてたまに会いにいく。更新されませんように、とも思うし、いつまでも引きずってるのもどうかと思うけど、やめられない」

という書き込みが話題になったことがありました。自分もきっと、今は亡き親しかった人達の姿をストリートビューで見かけたらちょっと泣くと思います。さすがにまだ今は記録世界に干渉したり書き換えたりすることはかないませんが、我々のテクノロジーは既にその一歩手前まで来ているのです。

おわりに

長々と書きましたが、とにかくロケ地を調べれば調べるほど、ストリートビューで歩き回れば回るほど、この物語が「リアル」な世界として浮かび上がってくるのがHELLO WORLDという作品です。それをせずにいるのは、この作品の楽しみの半分を捨てているようなものです。特殊なベストを着用する必要は全くありません。ぜひ皆さんも作品世界にダイブして、語られなかった部分に思いを馳せてみて下さい。

追記:2019年10月31日。京都マルイでの一行さんとかでのんを描いた、野﨑まど先生の書き下ろし『遥か先』が発表されたまさにその日。

京都マルイが来年5月に閉店するというニュースが発表されました。

本記事で、クロニクル京都の意義としてわざわざ四条河原町阪急と京都マルイを引き合いに出していた私は、またもや現実が作品世界に追い付いてきたことに衝撃を受けました。来年5月以降、京都マルイもまた、記録世界(ストリートビュー)でしか訪れることのできない場所になります。

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