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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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虚質科学を武器に、すべての世界を肯定したい——『僕が愛したすべての君へ』『君を愛したひとりの僕へ』を雑に解釈してみる

(前半ネタバレなし)どちらから読むべきか悩ましい『僕愛』と『君愛』。めっちゃエモい並行世界SFでした! 付け焼き刃で学んだ「虚質科学」を武器に、まずは原作だけ読んだ状態で語り散らかしたいと思います。

(追記:映画観ましたがすごくよかったです!本記事は映画の参考にもなるかもしれません。映画だけ観た方への注意点をこの記事に追記しました。また映画の感想は以下の記事に書いています↓)

自分なりに図や表を描いて解釈しようと試みていますが、全然自信がないので、他の方の考察もぜひ教えていただきたいです! 映画化直前スペシャルということもあり、いつにもまして長くなってしまいました。申し訳ありません。

以下の点にご注意ください。

前半はネタバレなし、後半はネタバレありです!
原作小説だけ読んで書いたものがベースですが、映画の参考にもなると思います(映画と原作で違う部分のフォローを追記しました)
・一部、スピンオフもふまえた内容ですが、スピンオフ未読でも読めるように書いたつもりです
あくまで自分の解釈であり妄想です。正解でもなんでもありませんので注意!


(ネタバレなし)情緒と論理の両面で殴られてオタクはもう瀕死です

2016年にハヤカワ文庫から刊行された乙野四方字先生のSF小説、『僕が愛したすべての君へ』(以下、僕愛)と『君を愛したひとりの僕へ』(以下、君愛)。「並行世界」を扱ったお話なのですが、2冊がそれぞれ別の並行世界を描いた物語になっています。そしてもちろん単独でも楽しめるのですが、2冊の内容が相互に絡み合っていて、しかもどちらから読むかで印象が変わるというすごい仕掛けの作品なんです。

最近、スピンオフ小説『僕が君の名前を呼ぶから』も出ました。

僕愛・君愛はこのたび(2022年10月)映画化されるのですが、なんと別々の監督、別々の制作会社が作る2本立てという、劇場アニメとしてめちゃくちゃチャレンジングなことをやってます。原作へのリスペクトを感じる。ということで、こちらも今からかなり楽しみです。

で、この作品、2冊ともとにかくオススメなのですが、自分がネタバレ無しに言いたいことが、実はいち亀さんのnoteにすでに全部書かれています。うちのnoteより簡潔明快なので、とにかくまずそっちを読んでいただきたいです……!

そうなんです、SFとしてすごいんです。それでいて、情緒が死ぬくらいエモいんです。

ネタバレしない範囲でいうと、SFとミステリのあらゆる魅力を詰め込んだ幕の内弁当みたいになってます。もうお腹いっぱいです。哲学的な問い、魅力的な理論、メタな仕掛け、思考実験の四方向で攻められて、そこに特殊設定ミステリと少々のオカルト風味を加え、それを切ないラブストーリーでくるんで出されたらオタクは簡単に死にます。

(ネタバレなし)散々悩んでどちらから読むか決めてほしい

この作品は「読む順番で結末が変わる」というのが売り文句になっています(ちなみに、正確には「結末の印象が変わる」だと思ってます。全然違う話になるわけではない)。

「僕愛→君愛」だとせつない結末、「君愛→僕愛」だと幸せな結末になると公式(早川書房さんや映画公式)は宣伝してて、たしかにそれはそのとおりなんですが、少なくとも原作に関しては、自分としてはいち亀さんのnoteにある

そのうえで僕の意見は、
スッキリするのは「君愛→僕愛」
ディープに味わえるのは「僕愛→君愛」

です。

映画 #僕愛君愛 は超面白いSFだから観てほしい、原作ファンの願い

に全面的に賛同します! 

ちなみにスッキリする=わかりやすい、というわけではなくて、むしろ僕→君のほうがとっつきやすさは上かも。というのは、SF的な観点では僕愛が基礎問題なら君愛は応用問題だからです(追記:映画はどうも君愛のほうがSFギミックの導入が丁寧らしく、君→僕の順での鑑賞を薦める声をよく聞きますね。映画は尺の都合で説明不足になりがちなので、なるほどという気はします。ただミステリ、考察好きの方、2周目確実に観る方はかえって僕→君のほうがエモいかもです)。

自分は「僕→君」の順に原作を読みましたが、いち亀さんと同じく個人的にはこのほうが物語構造的に好みでした。個人的最適解だと思うのは「僕→君→僕→スピンオフ」だったりしますが、まあハードルが高いので……。ちなみに映画は逆に「君→僕」の順に観てみようかな? と思ってます。

ただし、迷っている方は、できればこれらの意見に安易に流されずに、ぜひ散々悩んでどちらから読むか(映画であればどちらから観るか)決めてほしい。というかその悩む過程を楽しんでほしいです。

なぜなら、これは「選択の物語」であり、あなたが悩むところから物語体験は始まっているからです。

この作品は「あなたの選択」によって、あなたが物語に能動的に介入することを可能にします。ゲームと違うのはやり直しがきかないこと。あなたが選択した瞬間、世界は二つに分岐して、選ばなかったほうの選択肢は二度と体験することができない。

読む前に悩めば悩むほど、読んだ後に感じられる選択の重み。そして選ばなかった選択肢の自分に思いを馳せる楽しさ。作品世界に触れたあとだと、きっとそれらが胸を打つはず。

そんな、不可逆な「一度きりの体験」をぜひ楽しんでほしいです!



以降ネタバレありで語っていきます

さて、ここから先は、原作のネタバレを含みます。また、繰り返しますが映画ではなく原作の感想と解釈になります。映画は原作と異なる部分があるようですので、映画だけ観た方はご注意ください!

まずは時系列を整理してみる

この作品、「幼年期」の書き出しが美しいくらいに対称的になってることからもわかるように、並べて比較しながら読んだら絶対面白い作品だと思うんですよね。

しかも、単に暦という一人の男の2通りの人生、というだけでなくて、実は僕愛は、君愛の暦が「栞と会わない人生」をやり直した物語(スピンオフはその栞版)。

ギャルゲーでたとえるなら(たとえるな)、僕愛は和音ルートのトゥルーエンド、君愛は栞ルートでどうやってもバッドエンドになるやつ。君愛の暦は和音ルートでゲームをやり直すんだけど、強くてニューゲームにはならなくてただの弱くてニューゲーム。でも僕愛で、バッドエンドも含めてすべてのエンドを肯定するという境地に暦はたどりつきます。バッドエンドが存在するからこそトゥルーエンドも存在できるのだという気づき。

たった一つの分岐からまったく違う人生が展開して、そしてそれが最後に一点に収束するカタルシス。それが本作品の醍醐味です。

ということで、時系列で比較しながら読み直したいなーと思っていたら、時系列の年表を作ってくださっている方がいらっしゃいました!!

こちらの端所さんという方のブログ暦の年表があります!すばらしすぎる!! 既読の方にはめちゃくちゃ理解の助けになると思いますのでぜひ。

なお、勝手に便乗して和音バージョンと栞バージョンも作ってみたので一応置いときます。フォーマットなど完全にそのまま真似させていただきました。ただし暦の年表とは逆に、表紙や映画のカラーリングに合わせて僕愛=青、君愛=赤、スピンオフ=水色で書いてます(この青と赤の定義は、次章以降に出てくる図などでも統一させていただきました)。間違いがあったらご指摘ください。
※原作の年表なので、映画とは異なる部分があります。映画版の年表はパンフレットに載っています!

和音の年表
栞の年表

タイトルから見えてくる物語構造

上記の端所さんのブログにもあったのですが、タイトルがまた深いです。

①君を愛したひとりの僕へ
=君(和音)を愛した(栞とは死ぬ直前まで出会わない)ひとりの僕へ、栞との約束を託す物語

②僕が愛したすべての君へ
=僕が愛した和音(のすべての可能性)へ、幸せに生きていることの感謝を伝えたいという物語

③僕が君の名前を呼ぶから
=僕(進矢)が君(栞)の名前を呼んで虚質密度を正常にするから、栞は幸せに生きていけるのだという物語

つまり①へのアンサーが②と③になってるんですよね(君→僕の順番で読むとスッキリするのは因果の順に話が進むから)。

特に僕愛のラストの

そして、僕じゃない僕を愛してくれた、和音じゃない誰かへ。
感謝と同じだけの、祝福を。

どうか君と、君の愛する人が、世界のどこかで幸せになりますように。

乙野四方字『僕が愛したすべての君へ』

という暦の願い(これは君愛の暦の願いでもあるんだと思う)に呼応するような、スピンオフの「終章、あるいは世界のどこかで」

あなたと、あなたの愛する人のお話を」
私は、その話が聞きたかった。

乙野四方字『僕が君の名前を呼ぶから』

が美しすぎます。栞と進矢、暦と和音という二組の幸せな老夫婦に収束していく構造がはっきり見えます。

IP端末はなぜ”ERROR”になったのか、自信ないけど考えてみる

この作品を面白くしているのが「虚質科学」という学問体系。これを深掘りするのがまた楽しいのですが、書いていたらめちゃくちゃ長くなってしまったので付録に回しましたw さあ、これで虚質科学完全に理解した

ということでいよいよ乙野先生からの挑戦状を紐解いてみましょうか!

なぜ交差点に幽霊がいたのか?
なぜIP端末はエラーになったのか?

結論から言いますと、自分なりの仮説は立ててみたものの、仮定が多すぎてまったく確信を持ててません

なので、皆さんの考えを聞かせてほしいです。たぶんもっと説得力ある説明があるはずなので。

自分の考えはこんなイメージです。

僕愛と君愛の全体的な構成のイメージ(合ってるかどうかは不明)

僕愛の交差点の幽霊は、君愛世界で幽霊になった栞の虚質(の残響のようなもの)かなと思っています。

君愛世界の栞の虚質は、暦がおこなった時間移動によって、暦の虚質に牽引される形で過去方向へと沈み、僕愛世界の7歳の栞の虚質と融合しました。本来なら融合すると人格や記憶は消えるはずだけど、栞の虚質はもともと交差点に空間的に固定されているという特殊な状況だったので、その一部は同じく交差点に固定されて残ったのかなあ、と(約束を守るという強い想いの影響もあるかも。この辺、根拠がないのでかなりあやしいです)。

君愛ラストの「幕間」はこの僕愛世界に移動した栞のモノローグなのかなと思いました。一緒に時間移動してきた暦の虚質は7歳の暦と完全に融合して「どこかへ行って」しまい、栞の虚質は人格も記憶もほとんど消えた状態で、「誰か」を待ち続けます。

いったいどうして、いつからここにいるのか、私には分からない。
というか、自分が誰なのかもよく分からない
なんとなく、ついさっきまで誰かと一緒にいたような気がするんだけど、多分その誰かは私を置いてどこかへ行ってしまった
(中略)
たった一つだけ、分かっていることがあったから。
私は、誰かを待っている

乙野四方字『君を愛したひとりの僕へ』

また、これも根拠がないですが、スピンオフで幼い栞の心の中から聞こえた「声」は、並行世界の栞というよりは、融合した栞による残響、残留思念的なものかなと勝手に考えています。母親が言っていた「ラウンドダウン領域」も地味に気になってますが……(何らかの丸めにより生じた端数による作用?)。

一方で君愛の暦は、僕愛の7歳の暦に融合します。でも君愛の暦の虚質の一部は栞と同化していたので、僕愛の暦にもそれが引き継がれたのかなあ(なぜ消えないのかは謎)。だから73歳の暦が交差点に行った時、少女の姿を認識できたんじゃないか。

そして君愛の暦と栞の虚質は、僕愛のそれぞれの虚質に融合したまま60年近くが過ぎます。そして僕愛の冒頭で暦と栞の幽霊が再会した時、何らかの作用により融合していた君愛由来の成分が消え、同時に幽霊も消滅したのではないかと。消えたというのはあくまで推測ですが、スピンオフの栞の

何か、落としものをしたような。
(中略)
どうしても、何かをなくしてしまったような気がする。

乙野四方字『僕が君の名前を呼ぶから』

という記述をヒントにしています。オカルト的な言い方では「約束が果たされて成仏した」という概念に近いものと思われます。でも残念ながら、自分の虚質科学の浅い知識ではまだこの現象のメカニズムを説明できていません。

これにより暦も栞も、それまで融合していた成分が消えたことでIPがわずかに変化したはずです。そしてIP端末は、自分自身のゼロ世界でのIPを基準としてそこからの相対的な差違を測定する装置です。そのIPの基準そのものが変化してしまったことで、IPの測定ができなくなり、ERROR表示になったのではないでしょうか?

…………。

うーん、論理の飛躍が何箇所かありますね。いまいちスッキリできてない。僕愛の暦は長い人生の中で何度となく昭和通り交差点を通ったはずなのに、その時は幽霊も見えなかったしERRORにならなかった。暦と栞の相互作用は、暦と(生身の)栞が物理的に接近して初めて発動するんでしょうか。

「成仏」的な概念がいろいろと謎なのはスピンオフの太郎もそうで、呼びかけて自我を固定することで太郎の虚質はどうなったのか。サルベージっていうけどエヴァのサルベージと違って太郎が復活したわけでもないので、やはり消滅したんでしょうかね? もし太郎が消えたのなら、栞の幽霊が消滅したという仮説の強力な傍証になりますが。

あと、ふと思ったんですが、君愛の暦と同じSIPの範囲では必ず栞が不幸になっている。ということはたぶんどの世界の暦も高確率で同じことをやりそうです。つまり実は大量の栞がアインズヴァッハの海に囚われてそうだし、大量の暦がいっせいにこの狂気の時間移動を実行してそう(小説も映画もその無数のバリエーションのひとつなんだろうな)。壮観です。融合先の取り合いとかになってなければいいのですがw

ちなみに上で紹介した端所さんの年表は最後の行(暦と栞の再会)だけ黒字になっており、「再会のタイミングで虚質が融合して、世界が再構築されたためIP端末がERRORになった」と解釈されています。自分は上にも書いたように少し違う考え方をしていて、「融合先は73歳の虚質ではなく時間を遡った7歳の虚質、世界は過去まで遡って再構築されたのではなく融合の瞬間から分岐した」と解釈しています。でも端所さんの解釈も全然ありだし、むしろ自分は世界が分岐する系より再構築される系のほうが好きだったりするので、過去の再構築系の作品を思い返しながらニヤニヤしてしまいます。

(追記:映画でも概ねこの解釈が成り立つ気はしています。映画独自の新概念もあって、よりロジックがわかりやすくなっていましたね。映画をふまえた再考は簡単にふせったーに書きましたが、いずれちゃんと整理したい気はします)

人の倫理を狂わせる技術——IP13世界殺人事件

(注意)本節で紹介するエピソードは映画版では大幅に簡略化されています。和音がシフトしてくるところまでは同じですが、そこから先の展開は映画では少し違っているので、原作未読の方はご注意ください!

同時に、虚質科学が人類にもたらしたもうひとつの側面にも触れたいと思います。

「僕愛」では、和音が初詣での通り魔事件をきっかけに殺人容疑をかけられてしまう、というエピソードがありました。虚質科学を前提とした特殊設定ミステリとして実によくできていて、しかもさらっと流すにはあまりに深い、そして重い話でした。

話が二転三転して最後まで真犯人がわからなかったのですが、犯人はなんとIPが13の世界の暦でした。息子・涼を通り魔に殺されてしまった13世界の和音は、涼が生きている僕愛世界(0世界)にオプショナル・シフトを行い、入れ替わりで0世界の和音が13世界に跳ばされてしまいました。13世界の暦は、自分の妻が0世界に行っている間に通り魔の妻と遭遇してこれを殺害。そして自分の妻を守るため、「並行世界の和音に罪を着せる」ことを思いついてしまいます。

13世界の暦は0世界の和音を被疑者に仕立て上げるために、わざとずさんなアリバイ工作をします。警察はそのアリバイを見破り「13世界の暦が0世界の和音をかばおうとした」と考え、0世界和音に嫌疑をかけて、逃げられないようにIPをロックします。ロックされている間は、13世界の和音は強制送還されることもなく涼とつかの間の幸せを味わうことができるわけです。

和音自身もIP端末を外して包帯を巻いていたことで、13世界から来たとバレるのが遅れました(でもバレるのは時間の問題でしたね。高校時代のようにシールを貼れば意外とだまし通せたのでは……)。

つまり13世界の暦は、他の世界の和音を犠牲にしてでも自分の和音だけを幸せにしたかったと。

もちろん普通の精神状態ではなくなっていたということはあるかもしれません。でもこれはまた暦の、あるいは並行世界を生きるすべての人達の、偽らざる本心でもあるのだろうと思います。すべての可能性を愛するという理念は美しいし圧倒的に善だけど、やっぱり人のエゴはそう簡単には覆せない

そしてオプショナル・シフトはやはり禁断のテクノロジー、人の倫理を狂わせる技術という気はします。佐藤所長が「アインズヴァッハの門」という物騒な名前をつけたのもわかります。

虚質科学がまだ生まれていない僕らの世界では、亡くなった人と再会することは決してできません。だから、時間はかかってもいつかはその事実を受け入れて、その先の人生を歩んでいきます。

だけど。

もし、亡くなった人がまだ生きている世界の存在が実証されたら? 
その世界に一時的にでも行けるとしたら?

正直、自分はその欲望に抗える自信がありません。その世界の自分に一時的に我慢してもらってでも、会いに行くんじゃないかと思います。高崎暦が祖父に会いに行き、日高暦がユノに会いに行ったように。

そして、いくら法整備を行っても禁断の技術を手にしてしまった人類はもはやそれを封印できないと思われます。人が一番取り返したいのは、何より人であるからです。だからきっと、自分自身が逆に不利益を被るリスクを許容してでも、人類はそれを受け入れ、それを前提とした社会が作られていくのだろうという気がします。

13世界に強制送還される和音の涙と「ずるい……」という言葉が、スピンオフで栞のタブレットに書かれていた「ずるい」という文字と重なり、胸が詰まります。ただでさえ「隣のIPは青い」のです。「ずるい」という感情はIP格差社会を生きていく彼らが決して免れることができない重い十字架なのかもしれません。まして、息子を殺され夫が殺人犯になった13世界の和音はこの先どんな思いで生きていくのか。せめて彼女に何らかの救いがあってほしい、それができる虚質科学であってほしい、そう願わずにはいられません。

これは完全に妄想ですが、もしかして、そもそも13世界の和音をオプショナル・シフトさせたのも13世界の暦だったりするかもしれないですね。自分の最愛の和音は他の世界に逃がしてでも幸せに暮らしてほしい、みたいな。君愛とか見てると、暦はわりとそういうところあるので…。

逆順で僕愛君愛を読んだ並行世界の自分に思いを馳せる

自分はどちらから読むかかなり迷った末に「僕愛→君愛(→スピンオフ)」の順で読みました。決意した瞬間、世界の泡は二つに分岐して、もう一つの世界には「君愛→僕愛」の順で読んだ自分がいるはずです。

その自分はどのように感じただろうか? こんなnoteを書いてしまうくらいには、刺さっただろうか? ああー、記憶を消してもう一度読みてえ〜! と思いますがそれはかなわぬ願いです。

でも自分としては、少なくとも僕→君→スピンオフというこの順番を選んでよかったと思ってます。上にも書きましたが、自分はこの手の構造が大好きだからです。因果通りに語られない、背景や過去バナがあとから明かされるやつ。2周目からがまるで違って見えてくるやつ。

だから、たぶん、並行世界の自分はちょっと悔しがってるんじゃないかな。

そんなことを考えて、でもその世界の自分にも何かいいことがあると良いなとか思ったりします。

もしかすると今自分がいる世界は、その世界の自分が時間移動してやり直した世界なのかも知れない(どんだけ悔しかったのかw)。というのも、ちょっとなんか出来過ぎなんですが、読み終えた日が偶然にも8月17日だったんです(読み終わるまでほんとにまったく気づいてなくて、余韻に浸りながら読み返していてギャッとなった。信じてもらえないだろうけど)。いや、IP端末はまだ持ってないし、覚えのないスケジュールが登録されてたわけでもないけど、いつかどこかで誰かと8月17日のことを約束したのかもしれない。そのくらい、何か運命的なものを感じた読書体験だった。

だから今自分はすごく、僕愛ラストの暦みたいな気分なんです。

どこか遠くの、並行世界のすべての僕へ。  
君愛から読んだ、ひとりひとりの僕へ。 
君が君愛から読んでくれたから、僕は僕愛から読むことができた。  
ありがとう。心からの感謝を。僕は今、とても幸せです

こんなにもすべての世界が愛おしくなる。僕愛から読んだ自分、君愛から読んだ自分、映画から入った自分、すべてを肯定したくなってくるし、それぞれの世界の幸せを願いたくなる。そんな僕愛君愛という作品には本当に感謝しています。そしてそのエモい結論を支えているのは虚質科学というひとつの思考体系なわけです。この、虚構とは思えない強度の概念を手に携えてこの世界に対峙したとき、その切れ味に自分はあらためて惚れ惚れするのです。

映画予告編で気付いた原作との決定的な違い

クソ長オタク語りもようやく締めです。いよいよ映画が公開されるわけですが、乙野先生があちこちで発言されてるように(*1)、どうも映画は小説版からはそこそこ改変があるようです。

予告編の時点で一箇所決定的な改変を見つけました。僕愛独自60秒予告の0:35あたりです。

なんと。

君愛の和音(たぶん老人Ver.)がオプショナル・シフトして、僕愛の和音に手紙を書いてるー!!

いやはやびっくりです。たぶんこれ、説明台詞を使わずに君愛の複雑なロジックを観客に説明するためのものなんじゃないかと予想。手紙の形ですべてを伝えるというパターン。

たしかに君愛原作では和音側の記述は最小限に抑えられているし(といっても暦視点だから気づいてないだけで、仕草は見ててつらくなるくらいに饒舌だし、ある意味で暦以上に狂ってますが)、和音は暦の行く末のことを人一倍心配していたから、実は原作の裏でもこういうことがあったんですと言われても、確かに矛盾はしないんです。

ただ、印象は結構変わりますね。

君愛の和音にとって僕愛の和音は、自分が生涯得られなかったものを得ている、めちゃくちゃうらやましい存在、「ずるい」存在なはずなんです。仮にそれまでは知らなかったとしても、オプショナル・シフトすれば、自分が暦と結婚して孫にも恵まれ幸せに暮らしていることに気づくはず。人によっては嫉妬に狂ってもおかしくない状況。かつて13世界の和音がそうだったように。

そんな彼女は手紙でいったい何を伝えようというのか。文面を見る限り何か頼み事があるらしく、単純に考えると暦の幸せを託したいのかなとも思うけど、託された和音が余命一ヶ月の暦に今からできることは限られる。またもしすべての経緯が栞のことまで含めて赤裸々に書いてあるとしたら、僕愛の和音としては非常に複雑な気持ちになるだろうとは思うんですよね。最愛の夫が実は別の並行世界では知らない女の子と相思相愛で、一緒にこの世界に逃げてくるんだって言われてもですね……。

でも。だからこそ気になるんです。

彼女は何を思ってオプショナル・シフトしたのか。
そこで何を伝えようとしたのか。

それを映画はどう描くのか。

映画はきっと、小説版とは違う「もう一つの並行世界の物語」。自分はいま、小説も映画も含めて僕愛君愛という作品のすべての可能性をまるごと愛する覚悟ができています。スクリーンで見届けるのが今から楽しみです!

(追記:映画でこのシーンを見ましたが、事前の心配はまったくの杞憂でした! かえって暦の行動がよりストイックになった気がします。別の並行世界として、納得のいく改変でした。小説、映画どちらの展開も気に入っています。映画版の感想はAnnictにもファーストインプレッションを書きましたが(僕愛君愛)いつかどこかでちゃんと語りたいですね)

追記:そして出来の悪い生徒は追試を受ける

(2022−10−07)この記事書き上げてアップしたわずか数時間後に宿題(実質的な追試宣告)出してくる鬼教官・乙野先生……(ここでいう「鬼」とはスピンオフの「八百万の鬼」的な意味です。つまり、乙野先生は「ものすごく先生」ということです!)

それにしても今回もまたタイミングが神懸かってますね……虚質科学のことをずっと考え続けてようやくそれをネットの海に流したその日にこんなツイートが出てくるなんて。どういう伏線の張り方してるのか自分の人生。

ただ、このツイートを拝見したとき、自分は虚質科学という架空の学問にまるで実在の科学の営みのような「発展途上」の匂いを感じてめちゃくちゃ興奮してしまったんです。新しいモデルや概念を導入して試行錯誤することで世界のより精緻な描像を手に入れようという、不断の営み。いまいちスッキリわからなかった虚質科学に量子もつれのモデルを導入し、量子情報科学の言葉で再解釈することでより世界の秘密に近づけるとしたら、もうそれは科学の方法論そのものなんじゃないかと。

とはいえ量子力学といえばシュレディンガー音頭という程度の知識しかない自分にとって、この実験が虚質科学の何を説明してくれるのか、まだまったく見当がついてません。なんだろう……エンタングルしてるのは物質と虚質か、栞の虚質と暦の虚質か、それとも僕愛世界と君愛世界なのか。交差点の栞が消えたのは、波動関数が収縮して可能性の世界が消えたから? でもこの作品世界ではコペンハーゲン解釈は否定されていたし……。再度考えて、また追記したいと思います!
(追記:映画を観て、エンタングルもつれしてるのは栞の虚質と暦の虚質であると確認できました!)

追記2:記号論理学でわかる『僕愛君愛』のタイトルの美しすぎる対称性

(2023/12/24追記):先日Twitterで、記号論理学の「∀」(任意の〜、すべての〜)と「∃」(ある〜、存在する〜)という記号について雑談してたのですが、sshさん(@ssh_hull)と沖黍州さん(@sierrahotel920)さんに記号の意味を教えてもらった際、ふとこんなツイートをしました。

つまり、『僕愛』は、「すべての和音」に向けたタイトルであり、『君愛』は「すべての暦」のうちたまたま和音を愛した「とある暦」に向けたタイトルで、ちょうどそれが「∀」と「∃」に対応してるんじゃないかと。

自信なかったんですが、なんか意外と評判よくて、意外といい線行ってるらしく(本件、お二方との議論がなければ思いつかなかったので、上記3名の共同発見ということにさせていただければw)。

で、古典述語論理でタイトル全体を書き下そうとして「〜へ」の部分でとち狂って挫折して、最終的にsshさんに整理いただいたのがこれです(あ、P(x,y)は「xはyを愛する」という命題です)。

……いや、この対称性、めちゃくちゃ美しいですね!?

確かに日本語だといまいち対になっているのかがわかりにくかったのが、こうして見ると完全に対になってるんだなってのがわかります。完全に腑に落ちました。ちなみに英語タイトルだともはや対構造が原型をとどめてないので、もういっそこの式をタイトルにしていただきたいくらいw

で、まあ乙野先生はかなりミステリへの造詣が深い方なので、記号論理学くらい朝飯前だろうなっていうのと、そもそも『ミニッツ』3巻でばばーんとめちゃくちゃプッシュされてる本がその名も『逆説論理学』という実在書籍なんですよ。

ああ、もうこれは、きっと意図的にやっておられるんだろうな。絶対、∀と∃を念頭において考えられたタイトルなんだろうな。

……と勝手に妄想してニヤニヤしております。もちろん、真意は作者のみぞ知るですが。「並行世界にいる同一人物」が一種の集合であると考えて、集合論で僕愛君愛を解釈したら絶対面白いことになると思うのですが、あまりに自分の知識がなさすぎるので詳しい方にお任せしますw

付録:虚質科学をがんばって勉強してみたよ

この章は「虚質科学」を肴にギネスを飲むだけの内容です。完全に単なる趣味なので、当初は記事の真ん中にあったものを付録に持ってきましたw 虚質科学に深入りせずとも十分楽しめるのが本作品の良いところです。

この作品世界の根幹にあるのが「虚質科学」という学問体系。もちろんそこに深入りせずとも十分に楽しめる作品なのですが、架空の学問とは思えないくらいよく考えられた、強度のある設定になっています。ガチSFとして絶対楽しいやつですこれ!

そこでこの作品をより深く理解するために、作品中の限られた描写をもとに、虚質科学の初歩の初歩を勝手に図解してみました。

とはいえ何しろ教科書もなく、登場人物の台詞を聞きかじってるだけなので、自分の解釈が合っている自信はまったくありません。イメージも完全に独断です。そこでぜひ「ここはこう考えた」「ここは違うんじゃね?」っていう皆様の解釈を教えていただきたいです!(映画『HELLO WORLD』のときはすでにネット上に多数の説が群雄割拠していて、淘汰圧を受けた解釈だけが生き残ってたのですが、今回あまり他の方の解釈が見つからなくて、ピアレビューをまったく経てないんですよね。なので内心、大間違いしてるんじゃないかとすごく怖いのです……)。あと映画できっとかっちょええビジュアライズがなされているだろうと想像するので、そちらに期待です。

またもちろん、論理のアラや矛盾をあげつらう企画でもなければ、科学的真理と本気で信じて布教する企画でもありません。あくまで架空の理論と認識したうえで、あえて虚構と現実を等しく信じてみようというただの楽しい一人遊びです。

なお図解に際し、乙野先生の『黒歴史ノート』の図を無理やり参考にしてますが、これも自分の解釈が合ってる気がまったくしてません。

虚質空間とは?

まず、「虚質空間」という概念上の空間から。

・この世界は物質空間虚質空間が重なり合ってできている
虚質(Imaginary Element)変化を作り出そうとする性質。「それ」がより「それ」であろうとする性質。虚質空間は「変化するための場」
・物質空間は素粒子で構成され、虚質空間は虚質素子で構成される
・虚質の変化が素粒子に形を与え、時間の流れを作り出す
・世界がノートだとすると、虚質は紙、物質はそこに描かれた文字や図形。時間移動は違うページへの移動
IP(Imaginary Element Print、虚質紋):虚質素子が描き出す模様
物質が体なら虚質は魂

直接知覚できる空間(物質空間)とは別に、虚質空間という空間があるようです。虚質の変化が物質に形を与えるというのは超弦理論で弦の振動が素粒子として現れるとかなんとかいう話みたいで面白いです。

どちゃくそ適当な図を描いてみました。こんな感じですかね……適当すぎてわかったようなわからないような。

興味深いのはこの世界、完全に心身二元論なんですよね。人の虚質は、いわゆる「意識」とか「魂」のような概念に近いようです。虚質がパラレル・シフトすると記憶や人格もそれに付随してシフトする。物質から離れた虚質が物質に戻れなくなってしまうと、体は脳死状態になるし、虚質は幽霊になる(虚質素子核分裂症)。この作品は「幽霊」とか、スピンオフの「隠れ鬼」などちょっとオカルト風味な要素をうまくSF的に料理してるのですが、そういうのと相性がよい概念ですねー。

ちなみにノートのモデルは虚質科学の黎明期によく使われていた不完全なものなのか、このモデルだと後述する時間移動の概念をうまく説明できません(ノートのページを突き抜けることになり、世界が崩壊すると予測されている)。時間移動を考えるには、あとで出てくる海と泡のモデルのほうが整合的みたいです。

並行世界とは?

・虚質素子は常に揺らぎの状態にあり、その「変化の仕方」の違いが分岐を作り出す。これが並行世界
・並行世界はすべての可能性の世界
・自分のいる世界(ゼロ世界)を基準として、並行世界との距離はIPを用いて定義できる。IPが大きいほど並行世界の差異も大きくなる
SIP(シュバルツシルトIP):不可避の事象半径ともいう。ある事象を起点として同じ結果に辿り着く並行世界の範囲(例えば「必ず栞が不幸になる世界の範囲」)をIPの単位で表したもの

並行世界という概念を虚質科学の言葉で説明してるのが面白いです! いわゆる「エヴェレットの多世界解釈」に近い考え方みたいですね。虚質の変化そのものは時間になるけど、その「変化の違い」が並行世界になるというのはなるほどという感じです。

パラレル・シフトとは?

アインズヴァッハの海と泡のモデルでは、虚質空間が海、海底から浮上する泡が世界にたとえられる。泡は途中で分裂して無数の並行世界に分岐する
・一つ一つの世界はマクロな泡、その中で生きる人間や物体がミクロな泡
・虚質密度が高いミクロな泡はマクロな泡を横方向に飛び出して、他の泡と入れ替わることがある。これがパラレル・シフトである
人は日常的にパラレル・シフトを繰り返している。しばらく経つと自然に戻る。IPが近い世界にはシフトしやすく、また戻るまでの時間も短い
・IPを測定することで、自分がどの世界にいるかわかる(IP端末、IEPP)
虚質密度が小さい(虚質が不安定)→物質と虚質の結びつきが弱くなって虚質の揺らぎが大きくなり、パラレル・シフトを起こしやすくなる。虚質密度は存在感に比例し、あまりに虚質密度が低下すると時間の流れに取り残される。存在を確立させ、自我を固定する(たとえば名前を呼ぶ)ことで虚質密度を正常化することができる
・虚質密度が高い(変化しようとする性質が強い)→移動を強く望むとパラレル・シフトを起こしやすくなる
オプショナル・シフト:人為的に任意の世界にパラレル・シフトすること
IPカプセル(正式名称はアインズヴァッハの揺り籠):オプショナル・シフトを起こすための装置。磁場により素粒子のスピンのベクトルを変えることでIPを強制的に書き換え、その世界にシフトできる
IPロックIP固定化)重ね合わせ状態にある虚質素子を常に観測し、揺らぎをなくすことでパラレル・シフトが起きないようにすること

いよいよ虚質科学の肝、パラレル・シフトです。難しい用語もたくさん出てきました。はいここ、たぶん試験に出ますよ!

うんとぶっちゃけて言うと、身体と意識の結びつきが弱くなって意識だけ隣の世界に移動しちゃうのがパラレル・シフトってことみたいですね。自分はよく物をなくすのですが、パラレル・シフトのせいだったとわかって救われた気分です。あの失敗もこの醜態も全部パラレル・シフトのせいだったんですねー!

アインズヴァッハの海というのは、エヴァのディラックの海みたいなイメージで勝手に考えてます。あとどうも佐藤所長はこの作品から命名したっぽいです。読まなきゃ!

虚質密度という概念がいまいちわかってません。密度が小さくてもシフトするし大きくてもシフトするってなんやねん! と思ってしまいましたが、たぶん小さすぎても大きすぎてもダメなんでしょう。物質と虚質が1:1じゃないといろいろ不安定になるのかもしれません。また密度が大きいとシフトするというのはあくまで佐藤所長の初期の仮説でしかない可能性もありますね。

暦が学生の頃はパラレル・シフトという現象が発見されたばかりだったのが、間接的に虚質素子を観測するIP端末が発明され、続いてIPを制御することで任意の世界に行けるようになり、それによって虚質素子の直接観測が可能になり、IPロックが実用化されて、IPを利用した犯罪に対する法整備が進み、監督省庁が発足し——っていう「虚質科学の発展と実用化の歴史」が暦の人生一代記とともに語られるのがめちゃくちゃ好きです。テクノロジーによって社会構造や規範が変化していくさまを描く思考実験SFとしてすごく良き良きです。

栞はなぜ交差点の幽霊になったのか?

栞が幽霊になってしまったいきさつは、こんな感じでしょうか。

①君愛世界から暦と一緒に逃げ出そうとIPカプセルの中に入った栞は、暦の虚質に牽引される形で並行世界へ跳ぶ。そこは栞の両親が離婚していない世界(僕愛世界とは別の世界と思われます)

②交差点で事故に遭いそうになった栞が再び跳ぼうと強く念じることで、栞の虚質のミクロな泡がその世界を飛び出す

③飛び出した瞬間、体の方が事故死。対になっていた相手の虚質も消滅

④栞の虚質は元の世界の体に戻れず、永遠にアインズヴァッハの海を漂う幽霊となる

幽霊となった栞は歳を取らず少女のままですが、もしかするとスピンオフの太郎と同じ現象なのかも。存在感が薄くなって暦以外には見えなくなり、時間の流れに取り残されているのかもしれません。もしも交差点に立ち尽くした60年の歳月が彼女の体感ではもっと短いものだったとしたら、それはひとつの救いですが……(ちなみに穂尾付町とか鬼灯家は『ミニッツ』にも出てくるらしい)。

いわゆる幽霊、地縛霊と呼ばれる存在は、このようにアインズヴァッハの海に取り残された虚質なのかもしれませんね。オカルト的な現象を虚質科学で説明しようという試み。うーん、面白いです!

時間移動とは?

いよいよ君愛のメインロジック、時間移動です。

IPカプセルで虚質に外圧をかけて虚質量を圧縮し、IPロックしたのち、周囲の虚質空間のIPを書き換えて下降流を発生させると、質量の小さくなった虚質の浮力が粘性に負けて沈み、釣り合う地点で静止する。泡の分岐点で静止すれば分裂前の泡と融合し、元の泡(下降した泡)のIPは書き換わる。

これ、良い意味で、なんかうまく丸め込まれた気がしてます

そしてその「丸め込み方」は、本作品が極上のSFである証拠にほかなりません。たった一つの「ハッタリ」の周囲をガッチガチに理論武装することで有無を言わさず信じ込ませるのは優れたSFの常套手段です。なんかここまで畳み掛けられるとできるような気がしてくるもん、時間移動

それにしても図がまったく描けない……泡が沈むということしかわからん……ということでギネス・カスケードの動画でお茶を濁します。すごい勢いで泡が沈んでる!

虚質量というのは質量なのか、密度なのか。圧縮して小さくなるのは体積ですが、普通の液体では体積が減るとその分浮力は小さくなる気もする……そう単純なものでもないんでしょう。肝心なところは書いてないんですよねえ。虚質科学難しいね!!

そして時間モノなら誰しも気になるタイムパラドックス。これ、ちゃんと先手が打たれてるんですよね。そしてそのやり方が実にテクニカルなんです。

「……一応、タイムパラドックスの質問よ。あなたが過去へ消えた場合、この世界にあなたがいたことで起きたすべての事象が、消えてなくなってしまわないかしら?」
「虚質科学はその可能性を否定する。俺という人間は一本の鉛筆みたいなものだ。線を引いた後で鉛筆を折っても線は消えない」

乙野四方字『君を愛したひとりの僕へ』


うん、ちゃんと答えてる。和音も納得してる。……と思わせて、実はこれ、君愛世界のパラドックスのことしか答えてないんですよね。僕愛世界のパラドックスは巧妙にスルーされてます。そして和音が自分の世界の暦のことだけをひたすら心配してるのもまたエモいです。

たぶん君愛世界では、虚質が飛び出して縦方向にも横方向にも別の世界に行くだけで、人が死ぬのと大して変わらないし、暦が生きた証はそのまま残るはずです。

でも、僕愛世界は?

これについては直後の会話で、泡が融合すると元の人格や記憶が消えるであろうことが示唆されてます。つまり、僕愛世界は改変されず、パラドックスも生じない、というのが暦と和音の見立てです。そして仮に人格が残っていて改変が行われたとしても、その世界が新しく分岐するだけと考えればパラドックスは起きないということになるのかなと。

なお、スピンオフで7歳の栞が聞いた「声」は君愛世界からやってきて融合した栞の声のような気もしていて、だとしたら元の虚質は完全に消えるわけではなく、残留思念や残響のようなものが消えずに残るのかもしれません。「声」がなければ栞は交換日記をつけ始めることもなかったでしようから、これをささやかな改変と見なせば、もしかしたらその時点で世界が分岐して新しい世界が生まれたのかも知れないな、とも思います。この辺は完全に妄想の域を出ませんが。


(*1) 「ストーリーは両監督のセンスで再構成され」(早川書房によるインタビュー)、「ストーリーとかも、どんどん改変してくださいとお伝えして」「別の並行世界の物語が映画になったと考えると、どう変わってもいいなと」(『鷲崎健のヒマからぼたもち2022年10月2日放送分)など

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