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本は彼女を救う、そして僕らを救う——映画「HELLO WORLD」が繰り返す救済の物語

映画「HELLO WORLD」において、本好きの主人公・直実は、恋人である一行さんを守り、事故から救うためにある武器を作り出します。それはずばり「本」。

ではなぜ、本なのか。

本作品を数回鑑賞するうちに、実はこのモチーフが形を変えて作中で何度も何度も繰り返されていることに気がつきました。これは本作品を考えるうえで結構深い意味があるのではないかと思えてきたので、私論ですが作品のシーンを追いながらちょっと書いてみたいと思います(以下、映画本編とスピンオフ『ANOTHER WORLD』のネタバレを含みますので注意。ANOTHER WORLDの視聴方法はこちら)。

本は一行さんを救う①:狐面の撃退

武器としての本が直接的に描かれているのが、まず一行さんの家に近づく狐面を蹴散らすシーン。グッドデザインで作り出した本は、これで物理的に殴られたら確かに痛そうではあるんですが、作品前半特有のゆるめのギャグ路線もほのかに感じられ、先生が「えっ」となってるのも含めて一見笑えるシーンのようにも見えます。

もう一つは作品終盤、京都駅ビル大階段で狐面の第2形態をぶちかますシーン。軸とジェットで砲丸投げのように狐面の集合体を東本願寺まで飛ばすシーンは爽快で、同じモチーフの反復で主人公の成長を示すというストーリーテリングのお手本のような構造でもあります。

しかし、このモチーフはこれだけにとどまらず、さらに手を変え品を変え作品内に何度も現れています。そのなかでもっとも象徴的なのが、次に示す、直実が火事で焼けてしまった本を徹夜で再生するシーンです。

本は一行さんを救う②:失われた本の再生

古本市に向けて、直実が本を再生するシーン。ここでは本は物理的な武器として使われているわけではありません。しかし、直実が徹夜してまで本を作り続けたのは、とにかく失意の底にある一行さんに笑顔を取り戻して欲しかったから。一行さんを救いたかったからに他なりません。原作本ではより明確に「一行さんに」「幸せになってほしい」「一行さんは今、幸せじゃない」という直実の台詞があります。

つまり結局直実がやっていることは狐面の撃退のときと本質的には同じことになります。一行さんに幸せになってほしい一心で、失われた本を再生し、また本で狐面を撃退する。一言で言えば、

とにかく本で一行さんを救おうとしている。

直実、ブレてません。

ちなみに、狐面の撃退時に武器として作り出した本は直実が自ら意図して作ったわけではないようです(原作本参照)。これは、本を再生した時の「一行さんを救いたい」という思いがここで再来することで無意識に本を作り出したとも言えるし、大量の本を作ったことで本を作る能力が突出して鍛えられたというのもあるかもしれません(「よく使う項目」としてグッドデザイン側で既にショートカットができていたのかも)。

本は一行さんを救う③:ナオミの場合

実は、このモチーフの反復性に気付いたのは、スピンオフ「ANOTHER WORLD」の1話「Record 2027」でした。

ANOTHER WORLDにおいて古本市の本が燃えてしまったとき、高校生だったナオミは全くの無力でした。直実と違ってグッドデザインも最強マニュアルもなく、まして本を再生するなんて想像すら及ばない状態。落ち込む一行さんになぐさめの声をかけることすらできないヘタレ(このシーン、晴れていた直実の世界と違って土砂降りの雨なんですよね)。

しかし彼はある行動に出ました。あの青信号の印象的なカットとともに、直実以上にストレートに例のモチーフを宣言します。

だから、本を探した。
僕じゃ彼女を救えない。だけど、本なら。
本なら。
きっと。

ナオミもまた、本で一行さんを救おうとした。

結局、グッドデザインを持たないナオミも、直実と同じことをやっていたんです。直実が徹夜したように、ナオミも教室でうたたねするほどに睡眠を削って本を探し、読んだ。それが一行さんの心を動かした。

だからこそ。直実が真夜中に本を作りに家を飛び出したとき、先生は止めなかったのではないか。それどころかシステム権限で書棚の記録データを探しだし、直実の前に投影までしています。原作本には丁寧に書かれていますが、この行為によってこれ以降は最強マニュアルが意味をなさなくなること、計画が失敗するリスクが大きく高まることは先生は良くわかっていたはずです。それでも、過去の自分と同じことを直実がやろうとしている、同じ思いに動かされていることにナオミは気付いてしまったのでしょう。一行瑠璃を奪うという卑劣な計画を温めていてもこの時ばかりは止められなかったのか、あるいは「過程が少々違っても最終的には同じことをしているのだからマニュアル通りうまくいく」と冷静に判断したうえの行動なのか…そこはわかりませんが。

そして花火大会の日の夜、直実が咄嗟に作り出した本を見た先生が一瞬驚いた顔をするのは、若干あきれつつも過去の自分自身との類似にここでも再度気づいたゆえのカットかもしれない。そう思うとシーンの見え方もちょっと変わってきます。

あるいは、ANOTHER WORLD 3話「Record 2036」はまた、本がナオミを救った物語とも考えることができます。本で一行さんを救い(1話)、そして本で一行さんに救われた(3話)。10年間の断絶の裏に、お互いに本で相手を救済し合うという円環構造があったことになります。

「本=最強の武器」:物語を作る、セカイを作るということ

もう少しだけ話を広げてみます。本を作ることは物語を作ることに他なりません。直実が最初に作った本も文字化けしていましたが、先生の用意した記録データを書き写すことで、文字化けの混沌の中から秩序ある物語を作り出していきます。

その物語自体は直実の想像力が生み出したものではなく、教えてもらった記録データをただ書き写しているにすぎません。しかし、現実世界の完全な複写がアルタラ世界を作り出したように、本の完全な複写はもう一つの物語を生み出したと言えるのではないでしょうか。

さらに直実はその複写データに、たったひとつオリジナルな要素を付け加えます。それは貸し出しカードに追加された新たな「一行目」です。このたった「一行」が、作られた物語を決定的に新しいもの、「新世界」にしている。

別項でも書きますが本作は「世界は記録であり、たくさんの物語(ALL TALE)である」という世界観に基づく作品です。この文脈においては物語を作る能力はまさに新しい世界を生み出す能力に等しいことになります。ゆえに「本=最強の武器」というのは極めて自然な帰結であり、後半で新世界を生み出す存在である直実が本を武器にしたのは、必然であったように思えます。

本は人を救い、現実さえも変えていく——フィクションに救われたことのあるすべての人へ

最後に、本が救うのは一行さんだけではないということを強調させてください。武井Pのツイートを引用します(スレッドの最初と最後だけ引用しますが、できればぜひリンク先に飛んでスレッド全体を見てほしい)。

フィクションによる救済(*)。物語は、人を、僕らを救うんです。直実(あるいはナオミ)は自身のそれまでの読書体験できっとそれをよくわかっていた、フィクションに救われた経験があったに違いありません。だからこそ、本で一行さんを救うことを思いつき、それに賭けたんです。

本が人を救い、現実さえも変えていく。そのモチーフを形を変えてひたすらに何度も繰り返し発信し続けるのがこの「HELLO WORLD」という作品です。本作品の制作陣も、これまで数多の本に救われてきたのかもしれません。だからこそ本作は、本で一行さんを救い、直実を救い、ナオミを救い、僕ら観客をも執拗なまでに救い続ける。

物語に救われた事のある人、物語にまつわる幸福な記憶を持つ人なら、直実(ナオミ)の、そしてさらに本作の作り手の「本」「物語」に対する強い思いを少しでも感じ取れるんじゃないでしょうか(本に限らず、映画、アニメ、音楽など含めたすべてのフィクションがそうだと思います)。本を買って帰る時のわくわくする気持ち。寝る間も惜しんでページをめくった記憶。本を読んでいる間だけ訪れる、現実から解放される時間。映画館を出た後の、世界が違って見えてくる感じ。フィクションの持つ力によって現実までもが書き換えられ、新しい世界が開ける体験。

自分にとっての「HELLO WORLD」はまさしくそんな映画でした。本が一行さんを救ったように、このたった1本の映画に自分は確かに救われた。そしてこれまでの人生で、自分はどれほどたくさんの物語に救われてきたことか。本好きで良かった。これからも僕らにとって幸福な体験や記憶が本と共にありつづけるように、そう祈りたくなるような作品に出会えたことに心から感謝します。

(注)この考察はあくまで(自分なりに納得できる)解釈の一例であり、異なる解釈を排除したり反論する意図は全くありません。また、今後考察を深めていく過程でこの考察がひっくり返る可能性は十分にありますので、何卒ご承知置き下さい。

本作の制作陣がこの作品に自由な解釈の余地を意図的に残している以上、観客の数だけ「ALL TALE(すべての物語)」が存在し、それらはすべて肯定されている、それぞれがこの作品世界において「観たい物語」を紡ぐことができる—「HELLO WORLD」は、そんな作品だと思っています。


(*)武井Pの「フィクションによる救済」発言は、実際には「フィクションによりフィクションの登場人物を救う」ことを指しており(たとえば『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のシャロン・テートであり、『トップをねらえ!2』のノリコであり、『ANOTHER WORLD』のカタガキナオミであり)、この記事でいう「フィクションにより僕らを救う」とは少しニュアンスが異なります。ややミスリードな引用をしてしまっていることは申し訳ないです。ただ、フィクションの登場人物を救いたいという想いが回り回って僕らをも救っている、という側面はたしかにあると思っています。現実と虚構を区別せず等価なものとして扱う本作品において、本はきっとどちらのセカイの登場人物もひとしく救ってくれると信じています(2021.5.9追記)。

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よろしければこちらもどうぞ:考察はここ、ストリートビュー聖地巡礼はここにまとめています。


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