拝啓、素敵なnoteありがとうございました——映画『HELLO WORLD』にまつわる勝手に往復書簡note的なやつ
(ネタバレ注意)先日、noteで映画『HELLO WORLD』に関する非常にすばらしい知的な論考を見つけました。kqckさんという方が書かれた記事です。
何しろ映画が公開されてもうすぐ4年なので、新鮮な感想に飢えていたところにこの熱量の高い記事を出されたら感激しかありません。大喜びで調子に乗ってめちゃくちゃ偉そうなツイートをしてしまいました。
そうしたらなんと、kqckさんからまるでお返事のようなnote記事を頂いてしまいました…!! しかもご自身のポッドキャストで『HELLO WORLD』を扱われたらしく、kqckさんと一緒に出演されている「相方」さんからことづかったという文章付きです。
kqckさん、「相方」さん、ありがとうございます!!
この記事が多少なりとも自分に宛てて書かれた成分を含んでいる、というのはあまりにおこがましい幻覚かもしれません。が、たとえそうでなかったとしても自分のクソツイを紹介いただき、わざわざことづかった文章を共有頂いた時点で、これはぜひともポッドキャストをお聴きし、さらに何かレスポンスを返すのがオタクとしての礼儀ではないか、と勝手に都合よい解釈をしてしまいました。それに、あまりに非礼な自分のツイートをまずお詫びしたいとも思っていました。
長文noteには長文noteを(文章の質と格が違いすぎてお恥ずかしいですが、ええいままよ)。
というわけで、勝手に往復書簡めいた展開にドキドキしつつ、この記事を書くことにしました。といってもレスポンスに見せかけた、ただの厄介オタクの自分語り怪文書ですので、基本スルーいただければと思いますし、さらなるお返事などのお気遣いはまったくの不要です。ええ、頭のおかしい記事がまた1本増えただけのことです。kqckさんの格調高いnoteと比べてちゃらんぽらんすぎて落差が激しいですが、ご容赦下さい。
まずは非礼のお詫びを
まず、これは直接kqckさんの記事へのコメントにも書かせて頂いたのですが、自分の非礼なツイート、大変失礼いたしました。どうかお許し下さい……。どう見ても典型的な厄介オタクのクソツイでした。
超絶上から目線で「ラスト解釈違うやろ!」的な発言をしてしまいましたが、noteとポッドキャストから、kqckさんはラストを理解された上であえてあの記事を書かれたのだと感じました。それに何より本作の世界観的にも、あらゆる解釈が肯定されるべきで、それに他人が文句をつける筋合いはまったくないんですよね。この物語に「唯一解」なんてものは存在しない。
いやもうほんとにその通りでお恥ずかしい限りです……。最初の記事の「ラストのエピローグ的な描写は全然わかんなかった」という部分に「こんなに深く考察しておられる方なのに! なぜ!」と脊髄反射的に反応してしまったわけなのですが、ポッドキャストを聞く限り、kqckさんはそんな次元の話をされてるのではなかったし、「相方」さんもちゃんと説明をしておられるので、完全にイキリオタクムーブでした。すみません。なのにそんな蛮行を、「わかる」とただにやりとしながら肯定してくださっているという、人格者としての余裕…! 見習いたいです。
kqckさんのその姿勢に最大限に賛同します。逆の立場を考えればよくわかることで、もし自分がnoteを書いた後に「それは違うよ〜! 実は○○は○○だったんだよォ〜!」などと言われたら、めっちゃイラッとして元のnote記事はそのままにするだろうと思います。「初見感想」を他人が侵してはダメですよね。反省です。こんなクソツイに対して怒るどころか、わざわざ別記事を起こして真摯な意見表明をしてくださったkqckさんの姿勢には、ひたすら感服しかありません。noteコメ欄でも寛大なリプライを頂いてしまい、本当に感謝しております!
ポッドキャスト聴きました
というわけで、ご紹介頂いたポッドキャストを拝聴しました。
お世辞でなく、めっちゃ面白かったです! いやほんとに、共感と発見の嵐でいくらでも楽しめるんですよね。2時間も『HELLO WORLD』の話しかしてないなんて最高じゃないですか。特に自分のリアルワールドには『HELLO WORLD』好きが全然いないので、この手の談義が音声で聴けるというのは非常に新鮮でした。
SpotifyだけでなくYouTubeでも聴けるようですので、よろしければ皆様もどうぞ! ちなみに主要な論点はkqckさんの2本のnoteに(「相方」さんの寄稿も含めて)すでに的確に整理されているので非常に助かりました。
記事と突き合わせて、前半で発言が多めの方がkqckさん、もうかたほうの方が「相方」さんなのかなと勝手に思って聴いてました。
kqckさん、「SF嫌い」「ラストが嫌い」とおっしゃってますが、ちゃんとSF部分をSFとして楽しんでおられてその解像度がすごいですし、ラストに関しても解釈のあまりの深さに、たとえそれが酷評だったとしてももうそれは一種の愛なのではないかと思っていますw
いや、実際ラストが気に食わないというのはポッドキャストをお聴きしても非常によくわかりましたし、嫌よ嫌よも好きのうちなどと茶化すつもりもないのですが、その嫌いという感情に真摯に向き合って深掘りしていく姿勢、そして好きなシーンに対する熱量と解像度は見習いたいと思いました。まさに「『しっくりこない』を深掘りすると世界の在り方が見えてくる」の典型で、絶賛ベタ褒めレビューよりむしろ核心を突いていると思える考察でした。
たしかに「相方」さんのほうが自分の考えに近いところが多かったです。でも逆に「相方」さんよりkqckさんの言い分のほうがわかる部分もあったり、自分がまったく考えたこともなかった新鮮な視点があったりで、どちらの視点も本当に楽しませていただきました。そして最初のnote記事がどういう議論を経て書かれたものなのか、がよく分かって大変刺激的なポッドキャストでした。
この辺めちゃくちゃ納得しながら聴いておりました。この、一般的な並行世界モノとも少し違う、包含関係はあるけどそこには優劣がないという関係性は本作品の好きな点です。非セカイ系なのはご指摘の通りだし、『君の名は。』へのカウンターパンチという見方もすごく面白い。
ここもさすがだなと思いました(そういえば小説版は、野﨑まど先生作品には珍しく三人称で書かれています)。映画という媒体に最適化された物語だと思えてしまうし、「映画の登場人物は自分が映画の登場人物であると認識しているか?」というメタ方向にも転がっていくのがおいしい。水面に映るキスの虚構性というのもすごく好きな解釈です。
貸出カードの件もカラスの正体も、自力で気づいておられるのすごいです。自分はnote記事でえらそうに書いてますが、数回見ても気づかず当時5ちゃんねるのスレで初めて知りましたw
ラストシーンについて
Wikipediaの記述から生じる矛盾
ラストシーンに関する談義が一番面白かったです。お二人とも互いにまったく相容れない主張を続けておられるのだけど、どちらもすごく理解できてしまうというか、妙な説得力があって、うなずきまくりながら聴いてました。
で、お二人の談義には基本全面的に同意なのですが、一点だけ野暮を承知でコメントさせてください。それは、もしかしたらお二人のモヤモヤしている部分はWikipediaのちょっとミスリーディングな記述から生じているかもしれないということです。
以下はあくまで自分の個人的な解釈なので、正しくない可能性がおおいにあるという前提で読んで頂ければと思います。
ポッドキャスト中では、Wikipediaを何度か参照されたうえで
ラストの世界のナオミは20年前に(花火大会で?)脳死になった(らしい)
ラストの世界は2047年である(らしい)
ラストの世界では「アルタラII」が使われている(らしい)
ということを前提として議論が進んでいます。しかしこれらはあくまでメディアミックス作品であるスピンオフ小説『HELLO WORLD if——勘解由小路三鈴は世界で最初の失恋をする』に出てきた設定であって、映画本編では一切語られていません。そしてこれらは映画本編の世界においても真実である可能性は確かに高いのですが、100%「断言」はできないのではと個人的に思っています。
というのも映画公式が、あのメディアミックスが「パラレルワールドであり本編を補完するものではない」という趣旨のことを明言しており、また本編と同じ世界線だとするといろいろと謎が生じる部分があるからです。真実はこう「かもね」くらいの、あくまで非常に蓋然性の高い仮説のひとつ、なのかなあと。
詳しくは過去記事にもぐだぐだと書いてますがWikipediaの前提に立つと「相方」さんがまさに指摘しておられたような
2047年の一行さんの戦術が2037年のナオミと違う点は、花火大会で脳死したナオミに対して〝育成したナオミ〟をインストールしたことだが、これだと10年分の誤差が乗ってしまうのでは。
2047年の一行さんはなぜ過去の自分を雷に打たせる必要あったのか? 正規のルート(アルタラ2)を使っているから制約はないはずなのに、なぜそのシナリオを選んだのか。
という問いが必然的に出てきてしまうんですよね。そもそも
とあるように「アルタラは現実の正確な記録」だと仮定すると、なぜ「記録」なのに落雷に遭った人物が異なるのか、という矛盾が発生します。自分もここは以前すごく悩んだことがあるだけに、お二人の談義に「そうだよなあ…Wikipediaの書き方に沿うとここがすごく謎になるんだよなあ…わかる…そして一回見ただけでこれを看破できるお二人はすごい…」と思いながら聴いていました。
ちなみにメディアミックスの設定を否定したいわけではまったくないです。というか、あれが映画本編においても「真実」である可能性は実際かなりありうるとさえ思っています。そもそも自分自身も本当に大好きな極上のスピンオフなので、機会があればぜひ読んで頂きたい逸品だったりします。
ただ、映画公式が本編の補完ではないと公言しているメディアミックスの設定をWikipediaが「断言調」で本編にも適用しているのはちょっと個人的にモヤモヤしています。それが真実であるかどうかという以前に、まるでメディアミックスが「真相」であり、補完されることで初めて完成するタイプの作品のように見えてしまうからです(他にもアルタラが記憶装置ではなくシミュレーター扱いになっているとかいくつか正確性に欠けるところが散見されるのですが、これ以上やるとハロワ警察になってしまうので自重します)。個人のブログやSNSで書くぶんにはまったく気にしないのですが、Wikipediaなので……。
ちなみにラストが「現実」とは限らないということも公式から明言されていますが、kqckさんの「ラストシーンが現実じゃなかったらまた狐面が襲ってくるはず」というご指摘は非常に鋭いと思いました。自分もここはまだ納得いく理由を見つけられていません。ただ、自分のフォロワーさんがかつて語っていた「ラストシーンの世界も元は現実ではなくデータだったけど、『開闢』によってこの世界も含めて全階層がいっぺんに開闢し、自動修復システムの軛から自由になったのでは」という説は結構気に入っています。
「ラストシーンが嫌い」な理由はすごく納得できる
kqckさんはラストシーンがけっこう「嫌い」であるとお話されていましたが、その根拠として
「受動的ヒロイン」が90分の最後の最後に「能動的な主人公」という構造に書き換えられると思っているのがずるい
実は一行瑠璃がずっとナオミを救おうと頑張っていた、というのはナオミにとっては都合が良すぎる展開である
という主張をされていたと認識しました(もし不正確なところがあればお許し下さい)。一方で「相方」さんはラストシーンに特にもやもやは感じておられず、最後の最後に「主人公」となった一行さんに普通に興味を惹かれておられるように聞こえました。
自分もどちらかというと「相方」さんに近い見方で、このどんでん返しにむしろカタルシスを感じていたほうですが、「相方」さんがkqckさんの心境を想像して
と書かれている部分については、あらためて提示されると非常に納得できる気がしました。
あえてタイトルは伏せますが、過去にあるアニメ作品のラストシーンが唐突すぎて賛否両論となったことがあります(ラストに出てきたぽっと出の新キャラがすべてを解決したというプロットでした)。自分はそのラストは非常に好きだし物語上の必然性もあると思ってはいるのですが、それは反則技だと憤る人々の気持ちももっともで、翻って考えると『HELLO WORLD』のラストはそこまで極端ではないにしても非常に共通項があるなとも思いました(一応、それまでの一行さんとの共通項を描いて「ぽっと出」感を抑えているだけ某アニメよりマシなのですが)。kqckさんのような意見は実は結構多くの人が持ちうるのではと。そしてそれはフィクションに対する強い信頼と期待があるからこそという気もしました。物語としてそれまで積み上げてきたものが、ある意味、一瞬にして否定されるわけですから。夢オチに近い一種の暴力性がある。
ハロワ厄介オタクである自分から見ても、自分もラストがもっと極端だったら同じ感想を持っていたかもしれないと思うところです。
とはいえ、これは完全に好みの問題であって、どちらの主張もありよりのありという気がしました。どんでん返し系の話ってわりと好き嫌いが分かれますよね。
本の文字化けについて
kqckさんの
という部分もめちゃくちゃ面白かったです。自分もグッドデザインは物理的な書き換え装置と解釈していて、文字化けになるのは不思議だよな、と思っていた口なので、まさにそれを的確に言語化していただいた! という感じでした。SFとしてもいくらでも妄想できる部分ですね。
ヒロイン像について
「相方」さんの寄稿にあった「好みのヒロイン像」の話も非常に示唆に富むものでした。「因果の彼方に一抜けした」碇ユイや「宇宙の秩序を担っている」まどマギのまどかとの対比はすごく腑に落ちるものがありました(図らずもシンエヴァの解像度が上がってしまったw)。一行さんは野﨑まど先生作品のなかではわりと大人しめではありますが、「好き勝手するヒロイン」としてなかなかいい線いっている気がしました。
自分はあまりキャラに興味を持たないほうなので自分の「好みのヒロイン像」も正直よくわかってないのですが、一行さんは刺さる人には刺さるキャラであるというのは強く感じています。
また『メランコリア』と『百万畳ラビリンス』のオススメありがとうございます! まだ無料公開分しか読めてないのですが、なるほど淡々と好き勝手していく感じが一行さんに近い気がしました。メランコリアは一話ごとの余韻がすごく面白いし(え、そこで終わるんだ的な)、百万畳ラビリンスは世界の理解の仕方が妙にロジカルで良いなと。楽しませて頂きました!
というわけで長々と駄文を書いてきましたが、最後に。
kqckさんと「相方」さんの、お互いの物の考え方や好みを言語化してその決定的な違いを尊重し、だけど持論を譲ったり迎合したりするわけではなく、互いに考えをぶつけ合うことで自らの考察をより研ぎ澄ましていく、という談義の仕方はすごく知的興奮に満ちたものであり、ちょっぴりうらやましくもありました。普段からこの熱量と解像度でいろいろな映画を語り合っておられるというのは本当に素晴らしい営みだと思っていますし、その一端を垣間見させていただいたことで、自分も大変刺激を受けました。今後の記事やポッドキャストも楽しみにしております!
追記
なんと、kqckさんからさらにお返事が! うれしすぎます。
勝手に往復書簡ごっこしてかなり迷惑なんじゃないかと思っていただけに、「幸せ過ぎて成仏してしまうかと思いました」って部分に泣きそうになるくらいうれしかったです。成仏はしないでくださいw
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