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母親>父親

小・中学生にアンケートか何かを取ったところ、両親のどちらをより尊敬しているかという問いに、母親と答えた割合が多かったというニュースを義実家で観た。

姑『そんなもんかな〜。
あんた、尊敬とかしてないやろ?』
夫『尊敬してるよ!』

そんな親子の会話。
躊躇いなく真っ直ぐに、親を尊敬していると言える夫は、やはり素直なんだなぁ。そして、注がれた愛情をしっかりと受け取って育ったんだろうな。

かたや私は、真っ直ぐに『尊敬してます』とは言えない。父は自分が世界の中心で、ひたすら私に厳しく、決して褒めない。通知表で10段階評価中10を取ろうが、テストで学年5本の指に入ろうが、決して褒めない。
娘が幼い頃に抱くような『パパ、だいすき♡』なんていうことは思ったことがなく、スパルタな父は重たい岩のような、高すぎて天井が見えない壁のような存在感だった。

母はとにかくいつも余裕がなく、イライラしていた。『おかあさん』と呼んだだけで、どんな時も返事は(嫌なトーンの)『ハァ?』である。覚えていないだけかもしれないが、同じく『ママ、だいすき♡』とか思ったことはない。

小学3年生の頃は、わざと宿題をやらなかった。宿題やってこなかった児童は、黒板の前に立たされるんだけど、それを良しとしていて、立たされてもヘラヘラしているロクでもない小学生だった。妹たちのことも可愛いと思えなかった。自転車の後ろに乗せて、わざと変な漕ぎ方をして末妹を落としてしまったり、もっと遊びたいからと妹をダシにしたり、とにかく姉としてもロクでもなかった。

記憶の中を漁っても、厳しすぎる躾に泣く私や、仏頂面の父母、それと土日の昼食のナポリタンと紅茶が好きではなかった、とかばかりで、温かいものが出てこない。家族旅行には年1回連れて行ってくれたけど、旅行が嬉しくてはしゃげば五月蝿いと言われるから黙りこくっていたら、気持ち悪くなって吐くし、とにかく親の顔色ばかりみていた。

それでも、貧困や暴力に晒されていた訳ではないので、そんなに悲観するようなこども時代ではない筈だが、小3あたりはやはり心に抱えた闇が滲み出ていたように思う。18の頃は、私が消えていなくなってもどうってことないと思いながら働いていた。

きっと、親は親なりに愛情を持ってくれていたんだろうけど、そこに私は自信を持てない。
どんなに愛情を注いでいるつもりでも、相手がしっかり受け止めてくれなくては、注いでいないのと大して変わりがなくなってしまうのだ。
穴の開いたバケツに水をいれても溜まらないように。

愛情は判りやすく注がねば、と小さなことでも、子らを褒め、叱り、認め、抱きしめ、感心し、してくれたことには礼を言い、大好きだよと言う。こどもだからと馬鹿にせず対等に話をする。

私は優しいおかあさんではないけれど、愛情を受け止めてもらえるように、一生懸命毎日を過ごしている。

#コラム #エッセイ #愛情 #子育て #子ども #家族

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