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言葉の奥にある熱を感じる
言葉は便利なようでいて不便だ。
私たちは話したり書いたりすることで他者とコミニュケーションをとっているけれど、言葉に重きをおき過ぎると本当に伝えたいことは伝わらないと感じている。
なぜなら言葉につけている解釈は人それぞれで、100%同じ人など存在しないからだ。
そこにミスコミュニケーションの発端があり、人間関係にねじれを生じさせる原因があるように思う。
高校生のころ、仲良しグループ内に自分の意思をハッキリ言葉にする友人がいた。
私は彼女のことを「すごいなぁ。私もああなりたいなぁ」という憧れの氣持ちで「〇〇ちゃんはハッキリしてるよね」と言ったら、次の日から仲間外れにされたことがある。
最初はなぜそうされるのか意味が分からなかったけれど、後になって知ったのが私の言った「ハッキリしてる」が、「ズケズケものを言う人」という意味に変換されて受けとられたのが原因だった。
今となっては「なんじゃそりゃ?」なのだけれど、思春期の多感な時期にそんなことがあると、「思ったことを言ってはいけない」「思ったことを言うと私も相手も傷つく」というトラウマとなる出来事だった。
これは私に限ったことではないと思う。
こんな経験をしている人は山ほどいて、それによりホントの自分の言葉を閉じてしまっている人もきっと沢山いるはずだ。
ではどうすれば言葉による「誤解」を生まずにすむか?
それは「言葉を信じない」ことではないかと思う。
そこに発せられた言葉や文字を頭で「理解する」のではなく、
それらの奥にある熱をハートで「感じる」。
相手が話している声のトーンや表情、ラインやメールに綴られている文字の行間から感じるもの。
そこにその人の本意がある。
それは時により言葉とは裏腹のこともある。
だからこそ言葉だけを信じていてはいけないのだ。
信じていいのは自分の感性。
言葉の背景にあるものを感じる心。
これが何より大切なのだと思う。
私も今ここを絶賛養い中。
ハートで感じられる人が増えれば人間関係はもっとスムーズになると思っている。
あ、言葉を信じるな、なんて言っておいてあれですが、これは本意で書いてます笑。
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