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烏ヶ森、赤田山

 烏ヶ森、赤田山は栃木県北の那須野が原西部の分離丘陵群である。今回辿ったのはこの二つを中心とした丘陵地、及び神社である。那須野が原開拓史の一端をうかがうことができた。


基本情報 

烏ヶ森 標高 287m                                                                   

赤田山 標高 310.8m (三角点)


烏ヶ森~赤田山~上赤田保食神社~和光稲荷神社~烏ヶ森

歩行距離 11.31km              

標高差    269m               

歩行時間     1時間57分


 烏ヶ森は栃木県北の西那須野の町の西側にある小高い丘で、西那須野や野崎からは望むことができます。南側は烏ヶ森公園として整備されており、歩道が多く、歩きやすいです。

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烏森神社は烏ヶ森の頂上にある神社です。前身の烏ヶ森稲荷神社は、延喜二年(902年)に、上石上村(現大田原市)の住民によって設立され、那須西原を入会秣場として利用した村々の鎮守でありました。明治二十一年(1885年)に那須開墾社(印南丈作、矢板武ら)、三島通庸、上石上村らによって社殿が竣工されました。この時に表記が烏森に変わったようです。特に意味はないと思うのですが。。。

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烏ヶ森からは稜線に沿って下り、墓地に出ました。そこから、那須疏水の分流に沿って北上します。国道400号のすぐ西側に小さな丘の連なりがあります。その南側にあるのが赤田山です。

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赤田山は麓から参道を登ります。斜面を半周横切る歩道もあります。赤田山は三島通庸率いる肇耕社の開拓地を見渡せる位置にあるようで、その中心になりました。三島通庸は、栃木県知事、福島県知事時代にその辣腕を振るった土木知事として有名ですが、出身は薩摩でした。三島は、宮崎県都城市の母智丘神社を赤田山に勧請しました。

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ちなみに、本堂裏手の赤田山頂上には三角点があります。

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かわいい。

これで今回の目的は達成ですが、地形図を見ると、すぐ北に丘と神社が示されていました。しかし、グーグルマップには記載がなく、行動中には、神社の名前はわかりませんでした。:保食(うけもち)神社であると分かりました。祭神の保食命は、食物の神であり、ツクヨミに殺されたようです。

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また、烏ヶ森に戻る途中に、雲照寺に併設されいる和光稲荷神社に立ち寄りました。

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この神社の参道は雲照寺の参道と直行しているのですが、その先の参道は道の両側に複数の仏像があります。そして、その突き当たりには、

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大きな観音様がいました。ここを経由して烏ヶ森に戻り、今回はフィニッシュです。

まとめ

今回は、西那須野西側を北上しながら、丘陵と神社をたどりました。神社においても開拓の影響を色濃く残しており、やはり西那須野は明治期の開拓と切り離せぬものだなとおもいました。

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