見出し画像

祖父が亡くなって感じた3つのコト

つい先日、90歳の祖父が亡くなった。水曜日の夕方、呼吸が苦しくなり緊急搬送。翌日の午前中には息を引き取った。あまりにもあっという間すぎて、何が何だか分からなかったのが正直なところ。

祖父自体、入退院は繰り返していたが、普通に日常生活を送っており、まさかこんなすぐに亡くなるとは、という感じだった。

葬儀から1週間が経ち、僕も家族もまだフワフワしている。前のように入院しているだけで、またしばらくすれば家に帰ってくるんだろうなという感じ。「あれ?ほんまに亡くなったんやっけ?」と話しているぐらい。

祖父は90年も生きられたし、病院で長い間苦しむことなく最期を迎えられた。しかも、連休のタイミングで、家族みんなが集まるタイミングだった。「計ったかのように亡くなったね」と笑ってしまうくらい。

言葉としては正しくないかもしれないが、祖父からの最後のプレゼントだったように思う。

僕には今、3つほど思うことがある。今後自分が生きる上で大事にしていきたいこともあるし、参考になる人がいたら嬉しいなと思い、noteにまとめていきたい。


1.写真や動画は残しておこう

葬儀屋さんから「アルバムにまとめますので写真をください」と言われ、いくつかの写真を渡すことに。幸い、僕は祖父の写真をたまに撮っていたので20枚近く渡せた。

また、動画も撮っていたため、祖父の声が残っていた。「ああ、こんな声だったなあ」と懐かしく思いながら、みんなで見返せたこともあり、撮っておいて良かったなと思う。

出来事は記憶の片隅にすらなかったのに、写真を見た途端「そういえばこんなことがあった」と思い出せるのが、写真の強み。

葬式のためだけに撮らなくてもいい。自分や家族、友達と過去を振り返る際、写真があると鮮明に思い出すことができる。ちょっと面倒くささはあるけど、こまめに撮るようにしていきたい。

2.たくさん話そう

葬式に来ていた人たちから「おじいさんはこんな人やったんやで」と教えてもらい、初めて知ることがたくさんあった。

60年以上前に仕事でアフリカへ行っていたり事業所を立ち上げていたり。僕が想像していた何倍もすごいことをやっていたらしい。

特に後悔があるわけではないが、もっと本人の口から聞いておいても良かったなと。

「話してみたら意外な情報を知れた」というのは家族に限らず、職場の人や友達でもある話。他人に興味を持って、積極的に内面を深掘るようにしたいい。

3.「良い人」と言われるかどうか

多くの人から「おじいさんは良い人やったでなあ」と言われ、誇らしくなった。上の人からも下の人からも慕われており、人格者だったと思う。

死んだ後に「良い人やった」と言われるのがどれだけ素晴らしいことか。

一朝一夕に自分の人柄が良くなるわけではない。日々の積み重ねだし、周りの人たちにどれだけ貢献できているかが大事。

良い人になることが目的ではないが、良い人と評価してもらえるだけの行動を積み重ねるようにしていきたい。


まだ時間が経っておらず、実感は全然湧いていない。心の底から実感するのはもう少し後だろう。

僕は僕らしく、自分の人生を生きられるように。

目の前のことをコツコツ頑張っていきたい。


読んでくださる方のプラスになるような記事を書くための活動費として使わせていただきます!