日々是雑感2017/8/24

風が蒸し暑い風でなくなった。蜻蛉が空を舞い、鈴虫や蟋蟀が夜の競演を奏でるようになった。季節が変わりつつあることがよくわかる。

こうも立ち止まって季節を感じることは今までそうなかった。これはある種発見である。

そういえば職業適性検査で感受性が高いと書いてあった。でも現実は季節のように適応しようとしても人間の可能性を否定している。

時代は冷たく、人間の交流はあれど、人間味や人間としての可能性が低くなっているように感じている。能力の低下というより、能力の限界を見ているきがする。人間としての可能性は非常に可能性を感じていても、である。

スマートフォンやタブレット端末など、機械文明が発達している中で、人間としての感覚が鈍っていると言えなくもない。本能が失われ、生きる希望を失った抜け殻のように感じるのだ。

自分でありたい。人間であり続けたい。リアルな世界でなく諸業界・諸世界を彷徨い旅を続け、芸術的な人生を死ぬまで歩み続けたい。

見上げた空はどう見守ってくれているのか。自分には知る由はない。

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