日々是雑感2023/01/03(2)

富士山遭難のニュースを見ると、中学時代の同期の滑落死のことを思い出す。

富士山登山は中学時代の夏の学校イベントで登ったことがあり、それに感化されたのだろうと今も思っているが、家族や親友を残して先に旅立ったことを思うと、気軽に富士山を眺めることはできない。過去東海道新幹線でE席窓側をいつも指定しても静岡駅から三島駅までの間は富士山を望むことはできても、上述した経緯があるせいか、富士山を気軽に眺めることができなくなったのだ。幸いなのかどうかはわからないが、ここ数年の東海道新幹線の利用は往復ともに夕方出発、夜到着の行程が多く、富士山を直接見ることは少なくなった。昨今はコロナ禍の影響も残るせいか、E席が取れないことが多く、渋々グリーン車でD席を押さえることも多いが、静岡三島間は気が気でない。

自然とは時に脅威なのだ。

自分自身富士山に限らないが、外出中は細心の注意を払うことの方が多くなった。東日本大震災以降特に持ち物に関しては、生存確率を上げるための物をよく持ち歩くようになった。

特に自分の今の職場は残念ながら津波1m来たら明らかに即死間違いなしの環境である。他の職場の同僚たちは諦めも少し感じているが、自分は1mだろうが10m以上だろうが、そう簡単に天界や地獄や冥府の世界に招待されたくない。それはそれらの主たちも同じだろうと思っているに違いない。だから1秒でも長く生き延びる行動を取れるよう、最悪自分だけでも生き延びる手段を取ろうと考えている。

先ほど「自然とは時に脅威」と書いたが、我々には知恵と情報があるのだ。それらをもとにどうするか判断して「無理しない」ことも重要だと思っている。要は「諦める勇気」も必要である。

中学時代の同期は富士山登山を通じてさらなるチャレンジを図っていたようだが、今思えば状況判断に隙があったのだろうか、足元に対して何か油断があったのだろうか、歴史心理学的要素のたらればが多く出てしまうが、厳然たる事実である現在の結果に変わりはない。

今年は何度富士山を眺めることができるのだろうか。せめてもの冥福を新幹線の車窓から敬礼にて祈りたい。

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