自己決定から探求の航海へ
転職という決断から考えること
一般企業勤務
フラッグフットボールコーチ
千代田区子ども園支援員
公立小学校教員
教育と探求社
色々な異なるキャリアを積んできた。
キャリアというとなんかカッコよく聞こえるけれど、
20代後半からずっと子どもと最前線で関わってきた。
フラッグフットボールを教えに、週5日色々なクラブへ
子ども園で、年中、年長さんと一緒に過ごし
公立小学校教員として学校に。
最後に後悔しない
自分自身が何かを判断する時に必ず指針としてきたのが、「最後に後悔しない」
やっておけばよかった…それだけは嫌だった。
結局、その思いが様々なことをつなげてくれている。
出会うべき人と出会い、自分の価値観を磨き、自分なりの答えと近付き、少しずつ前に進める。
人生の指針
今までの人生の中で、
「自分の決断で自分の人生を歩んでいる」
その感覚がとても好き。
逆に
「人の決断によって、自分の人生が動かされている」
その感覚がとても嫌い。
先生をやっていて、
「先生、トイレ行ってきていいですか?」
「先生、図工の作品これでいいですか?」
確認作業がたくさんあった。
これは、教室の中で、指導をする側とされる側という明確な線引きに子どもたちも先生も慣れすぎてしまったから起こること。先生として、私自身も慣れすぎていた。
子どもは自分じゃ判断できない?
よく耳にしてきた。
果たして本当だろうか?
今までの教育環境に効率的に形にはめようとすることで、大人が楽になるからなのでは。
だから、子どもは自分じゃ判断できない。
じゃなくて、判断できないようになってしまったなのでは。
他人の決断によって、自分の人生を決めていくのは、苦しさを生む。自分にも周りにも。
子どもは子どもなりに決断している
1年生でも、公園で遊んでいるとき、相手によって接し方を変えている。小さい子には小さい子に対する関わり方。大きい子には大きい子に対する関わり方。※幼稚園のときからできていた。
3歳児でも、自分でできないと判断したら大人に助けを求める。
きっとそこまでの自分自身の決断が、少しずつ自分に積み重なっている。こうやったら、うまくいく。こうやったらうまくいかない。
決断して成功も失敗もしてきたから、決断できる。
小さい決断が大きく人を変えていく。
今よく教育現場で言われていること。
形にはめこまれたら、誰だって息苦しい。
小さな自己決定から、探求の航海へ