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ふつうの意味。

ふつうってなにか。
「数多ある項目が平均値に近いかどうか」だと思う。
もうすこしいうと、±1σ(標準偏差)くらいに収まるかどうか。

じゃあ、ふつう = 平均値の近さになにの意味があるのか?
「その人に共感しやすいかどうか」だと思う。
共感は人間という動物の本質である社会性に大きく影響する。

年齢から推測できる値が平均値に近いほど、歩んできた人生に共感がしやすい。
たとえば、小学2年生だったら九九ができるとか。
30歳男性だと年収450万くらいとか、恋人が過去に3〜5人くらいとか、いろんな場所を知ってるとか。
年齢とともに項目は多角的になる。

共感ができるということは共に過ごしやすい、共に何かをしやすい。
平均値に多くの人が集まることも相まって、必然的に社会性が高くなる。
確率論的に生きやすくなる。

平均から大きく外れる意味

反対に平均から大きく外れることになにの意味があるのか?
疑問 or 魅力のどちらかを相手に抱かせることだと思う。

たとえば、年収などは平均値より大きく上だと魅力に、大きく下だと疑問に映る。
こういった「疑問 - 共感 - 魅力」の構造を正規分布にできる気がしてる。

平均値から大きく上に外す項目は戦略的に選択

平均値から大きく上に外れることは、いわばオタク化に近い。
平均よりも修練度が高い状態なので、項目の選択が大事
だと思う。

先ほどの年収などは大きく上に外れると、魅力に映るのに対して、
たとえばアイドル分野などは大きく上に外れると、反比例的に疑問に映りやすい。
どちらもオタクだと思う。仕事オタクだし、アイドルオタク。

平均値から大きく外れると、基本的にその項目を重視する人生を選んだことに、なぜ?という疑問が生まれる。
そのなぜ?を払拭できない項目は疑問を抱かれたまま社会性を下げる。
コミュニケーションに大きく影響する。

なぜを払拭しやすい=魅力かどうかは、対象人数(汎用性)と役に立つ(貢献性)の四象限でだいたいが判断できる。例外もあるけど。
大きく上に外すのであれば、この2つを満たすほうが基本的にはいいと考えている。

平均値から大きく下に外す=疑問

平均値から大きく下に外れることは、基本的には疑問を生む。

多くの人が人生において自然に必要と感じる項目の値を大きく下回るということだから。
その人生を選んだのはなぜ?を払拭しづらい。
共感しづらくなり、社会性を下げてしまい、コミュニケーションが取りづらくなりと負の連鎖を生む。

ただし総合格闘技的な側面もあるので、魅力のある項目と相殺ができる。
それができないと、人生のあらゆる選択肢を減らすことにつながる。

人は平均値(ふつう)に自然に収束する

たとえば、身長に応じた体重。何も考えずとも、多くの人が平均値に収束する。

数多の項目が平均に収束する。
ざっくりでいうと、学力も生活力も経済力もコミュニケーション能力も恋愛力も努力も意志力も。

すこし雑な言い方をすると、深く考えずとも作られる自然な数値。

自然にふつうになりづらい人は生きづらい

ふつうの人が考えずともふつうに出来ること、あるいは自然に考えてることが、考えようとしないと考えが及ばないし出来ない。

つまり疑問となる値を作りがち。
重要な項目の平均値を下回る。
重要じゃない項目の平均値を上回る。

そんな不器用な人間は、ふつうの人が躓かないとこで躓いてしまう。
躓くってことは痛い。ふつうの人が知らない痛み。
でも、痛いってことは社会からフィードバックをもらう行動をした証拠でもある。
そうして平均値と自分の差分を知っていくことには大きな意味がある。

別に好きに生きたっていいけど、せっかく痛いと思えるなら、
痛みを解剖して「自分なりの人生のコツ」「痛みのわかる人間性」にトレードしていきたい。
痛みを自然治癒させるだけだと、ただ不器用で終わる。
ギャップの要因を明らかにしていくために、傷口を広げる。

そうして、たどりついた「ふつう」への考えを巡らせた記事をツラツラ書いてみた。
ふつうの意味。
確率論的に生きやすくなるためのコツ。
人生を不自由にしないためのコツ。

今回はここまで。
次回は「不器用な人のふつうの作り方」「不器用な人の選択と集中」とかを書く予定。

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