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やらなくてはいけないことをやるために、初めてカウンセリングを受けてきた

カウンセリングを受けたの。

必修の単位を落としてしまったことと向き合って、自分の行動をコントロール出来ていない問題に対処しなくてはと思った。
そのために有効な手段としてカウンセリングにたどり着いたので、大学の相談室で色々話させてもらってきた。


その中で私のこれまでの選択を振り返ってみると、やらなくてはいけない事に対する意識がほとんどないことに気が付いた。
高校受験も、勉強も、部活も、大学受験も、「やらなくてはいけない」と周りから言われたとしても、それを機にそこに向かうことはなかった。
自分の中でやった方がいいと受け入れて初めてそこに向かおうとしてきた。その点を踏まえると、私の行動には意味や理由が大きく関わっているようだ。


ところでしばらく前に、意味や理由に対して抱いていた絶対的なイメージが揺らいでしまった。
自分と他の人では同じ物事に対しても受け取る意味は異なる、という当たり前の事実や、必ずしも明確な目的を設定できない場合もあるよねということがきっかけだった気がする。
そういう小さな事実を勝手に押し広げていったらよくわからない結論にたどり着き、「目的や手段、意味や理由というのは曖昧なものだ」という所に来てしまった。


簡単にまとめると、意味や理由、目的がどういうものか分からなくなり、その結果、私の行動のプロセスでは必要だったものがなくなってしまった、ということである。

それに対して対応の方針は大きく2つ。
意味や理由を再定義するか、それらを必要としないプロセスを身に付けるかである。

意味や理由の再定義というのは、文字通りに「意味とは何か?」「理由とは何か?」という問いに対する私なりの答えを導くことである。
本を読んだり、他の人の考えを教えてもらったり、それらを自分なりに整理したりして、受け入れるということが求められる。
こちらは根本療法であり、時間がかかるアプローチだ。

一方で意味や理由を必要としないプロセスを身に付けるというのは、「やっておいた方がいいかもしれない」と明確な理由なく物事に取り組む習慣を身に付けることだ。
気分がいいときは腰が上がらない仕事も軽々と出来たりする。
そんな風に、「人に迷惑はかけたくないよね」「多少はやってもいいんじゃない?」と自分と話し合ってみるような試みである。
こちらは対症療法であり、即効性のあるアプローチだ。


まあそんな感じで、色々暮らしの中で起こる問題になんとか対処して行ければいいなと思う。

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