「私とは何か」に望むコミュニケーションの捉え方
18:40頃
土曜日。
疲れをリフレッシュしようと思っていたのに、ゴロゴロして時間を過ごしていた。今は図書館で平野啓一郎の「私とは何か」を読んでいる。
途中まで来て、何を考えて読むのかを整理するべくここに来た。
この本を買ったのは主題の「分人論」に関心があったから。受験期に模試の評論文の中で出会って、最近再会した。
<以下あらすじ>
人は一貫した個人でなく、場面ごとに仮面を変えるペルソナの集合体だ。その仮面も「本当の自分」がコントロールする物でなく、そこにいれば自然と形成される独立した存在だ。
そう言った各々の仮面を「分人」という単位とする考えに始まるのが分人論である。
この本に「私とは?他人とは?」という問いへの手立てが見出せないかと期待している。
人間関係を考えるとき相手の中身を知ろうと考えるけど、その存在が不確かな気がする。あくまで会話に現れるものが全てで、その背後に主体を錯覚しているような。
他にも、「本当に自分が考えることとは?」とか、アイデンティティの問いかけをするのに違和感を覚える。正しさを確認できないのは身の丈に合ってないようで落としどころが分からない。
そんな感覚を解決したい。
もし「私」や「あなた」があくまで関係の中だけの存在ならば、「私とは?他人とは?」の問い方も変わってくるだろう。
本を読み進めてみる。
↓日頃の曲を掘る努力が足りないのでお決まりの