見出し画像

意味不明な言葉にこめられた願い

最近合奏をフラットに楽しむことが出来ている。
プロの方など圧倒的な演奏に触れる機会をもらって、上手いとはどういうことかをわからせられている。
その上で私がなぜ楽器を弾くのかを考えたとき、その時々を楽しむことは重要な気がした。
というか今まで、クオリティへの志ばかりだったから楽しむ意識も深めていきたい。

今は二重奏の中で相手とのかけ合いを感じることに夢中になっている。
あまり人の音が聞ける方ではないから、まずは一人からという思いで、いろいろな人に二重奏を持ちかけては、セッションを楽しんでいる。
やっぱり音に人の違いが表れるので、その違いを味わいながら自分と相手と曲の3つを擦り合わせていくのは楽しい。

合奏はコミュニケーションで、今の私には相手の考えを伺い知る最大の場である。
しかし、人によっては波長が合わないというか、上手く考えが読めない人もいる。
私は「目的!」「手段!」「理由!」のように論理的なフォーマットで考えがちだが、そうでない部分を多く持っている人のことはうまくつかむのに時間がかかる。
そういう人とも一歩ずつ時間と考えを交換しながら、お互いの解像度を高めて行ければなと思う。

そうやってやりとりを重ねることで得られる価値の一つに共通点があると思う。
会話の中で一番楽しいのは相手と自分の共通点を見つけた時だと思っていて、それを探っていくことで自分と相手の間に言葉を介さない前提というか、形のない確かなものが得られる気がする。

共通点を積み重ねていって、独自の符号を増やしていって、その先にあってほしいのは以心伝心のコミュニケーションである。
簡単なものでいえば、同じメッセージを送って他人より多い情報量を受け取れたり、何も言わなくても何となく考えていることがわかったり。
最近良いなと思うのは、脳内のイメージを言葉が足りない状態で話して、最小限の言葉で伝わるやりとり。
自分も相手もなんで伝わるかを説明できないけど、きっと伝わっているだろうという感触が楽しい。

そういうことをやろうとしてみると、必然的に意味をなさない言葉が増えていく。
たまに会話を録音してみて聞くと、意味不明な例えをしていることに気づく。
「物が欲しいわけでないけど、ただじゃんけんがしたいからじゃんけんする気分」とかは、伝わるかどうか微妙なラインだと思う。
それが伝わった瞬間にふとテンションが上がる。

何かその方面で実験してみたいなと思うけど、コミュニケーションの中で一人で遊ぶことに若干の心配がある。
ちょっと今は燥いでしまっているけど、もう少し楽しみの対象と価値を丁寧に整理してあげたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?