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きみの色、愛するということ、余裕について

9月の間続いていた毎週の集中講義を抜けた。苦労とは思わないけど、余裕は擦り減っていたので「その分何かになったのかも」と。
今日はそのリフレッシュの日、のはずが眠るのが心地よくて遅起きになった。バイトまでの5時間ちょっとで何をするか。


自分の余裕(=キャパ?)に目を向けることが多い。心のゆとりというか、やらなくてもいい部分をどれだけ出来るかみたいなポイント。
フロムの「愛するということ」を最近読み終えて、いくつかの視点を得た。特に配慮と知、客観の役割が考えに残る内容になった。
そうして、そんな気遣いや注意を周りに向けられる状態でありたいと思うと、余裕をもって物事に向かうことを意識するようになった。

この本の中の「与える」ふるまいへの記述は面白かった。
例えば、豊かさの指標がどれだけのものを与えられるかで計られる、という考え方。頭でも経験的にも納得がいって、すぐに腑に落ちた。

ある形の優しさとか気配りを渡せないときは余裕がない、即ち貧しい状態だと思える。そして私はどちらかでいうなら人に気遣いを渡せるようでありたい。
だから、余裕がないときは優先して何かを受け取ることを心がけたい。美味しいご飯、素敵な物語、深い人格、楽しい時間など。


先週くらいの少し気にかかることが重なったタイミングに、リフレッシュを決意して、その手段に映画「きみの色」を選んだ。
2回目、ほんとうによかった。

リズ同様、感情的に受け取りすぎて、言葉の表現が難しいんだけれども。
ひたすらに心地よさ、素敵さに包まれるようで。描かれるキャラクターや状況の切り取り方など、作品を構成するものに通底した優しさを受け取って、それを噛みしめる作品だと感じた。

細かなところまで気が配られた映像、微かに確かに物語を刻むサウンドトラックは今回も無責任な期待を上回ってくれて、とても幸せだと思えた。

最後のGiselleの場面が特に好きで、もともと無邪気に回る少女の際限ない楽しさと多幸感みたいな表現が大好きだったので、それをぶち抜かれるようで「ああ、もう…….!」みたいに涙を流していた。


今も少しだけ余裕を不足している。今日リフレッシュには何をしていこうか。
↓私の脳天 土天アーメン

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