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めんどくさい仕事に「ココロのタイマー」発動

時間がない。
毎日思う。

今、17時40分。

届いた手紙に返事が書きたい。
noteも書きたい。
見逃し配信のドラマが見たい。
クッションカバーに刺繍がしたい。

でも、そんなことの前に

洗濯を畳まなきゃ
アイロンをかけなきゃ
夕飯を作らなきゃ
お風呂掃除しなきゃ
明日のゴミの準備しなきゃ
明日の仕事の準備もしなきゃ
家計簿つけなきゃ
なきゃなきゃなきゃなきゃ

そんな時に思い出すのは、中学生の頃父に言われた言葉だ。

「数分の手間を惜しむな。
その数分が未来の自分を助けるんだから。」

中学生のわたしはよく弁当箱を出し忘れた。
弁当箱を台所に持っていくのも、
弁当箱を洗うのも、
面倒で仕方がなかったし、よく忘れていた。
そのことで母にはよく叱られた。
何度叱られても応えなくて、
朝の忙しい台所で母にどやされながら弁当箱を洗った。
洗う時間がなくて弁当を詰めてもらえない日もあったし、
夏場に残り物を放置した弁当箱は匂いが取れなくて
朝から絶望感に襲われたりもした。
それでもわたしは帰宅してすぐに弁当箱を出すという
当たり前のことができなかった。

ある夜、いつも帰りの遅い父が珍しく家にいて
「弁当箱、洗っとけよ」と言った。

面倒で生返事を返し、わたしはそのまま自室に入った。
しばらくして父は部屋に来て言った。

弁当箱洗うのに、何分かかると思う?
簡単な謎々を出すような、
ちょっとからかうような笑顔だった。
ん?10分とか?
ほんとか?そんなにかかるか?
え?じゃあ5分とか?
どうかな?

測ってやるから、やってごらん。

よーい、スタート。

弁当箱を持ったわたしは階段を駆け降りて台所へ行った。
びっくりしている母を押しのけて弁当箱を洗った。
スポンジに洗剤をつけて、
弁当箱と蓋と箸を洗って、
水で流して、網にふせて置いた。
終わった!
何分?

2分と数秒だった。
驚いた。
カップヌードルができるよりもずっと早かった。

「これで、お前は明日の朝叱られない。
いやな気持ちで慌てなくて済む。
母さんも気持ちよく弁当を作れる。
父さんもひじょうに平和な朝を過ごせる。」
父は笑っていた。

「たった2分だ。
たったそれだけの手間を惜しむことで
お前は未来の自分を苦しめてるんだ。
たった2分だ。
やってみれば苦労ってほどの苦労じゃない。
その手間が未来の自分を助けるんだ。
未来の自分をいい気分にできるのは
今の自分だってことだよ。」

その日から今日まで40年近い時間が過ぎた。
父は認知症になって数年が経つ。
今でもわたしは小さな家事に取り掛かる時
時間がない!と焦っている時、
めんどくさい!とげんなりする時、
「測ってやるから、やってごらん」
父の声を思い出して
ココロのタイマーを発動する。

さあ、今から
洗濯を畳むのは10分くらい
夕飯の支度は約1時間
それと並行して風呂掃除ができる
明日のゴミの準備は5分
アイロンは急ぎのものだけなら10分。
家計簿は今日の分だけなら2分。
明日の仕事の準備は30分ってとこかな…?

自分の自由時間を作れるのは自分。
数時間後の未来の自分を気分よくしてあげられるのも自分。
なきゃなきゃはココロのタイマーでサクサク潰して行こう。
さあ、

測ってあげるから、やってごらん。

よーい、スタート。

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