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「特別な1日」をくれる小さな映画館

note初心者のわたしのホーム画面には毎日誰かが書いた自己紹介noteが流れてくる。
初心者ははじめにこうして自己紹介をするのですよと
暗に促されているような気がする。

でも、ここでわたしの出身地や年齢や家族構成や血液型を並べても、
興味を持って読む人がいるのかな?いやいないでしょうと思ってしまう。

だから、自己紹介としてわたしのスペックや属性を並べる代わりに
日々少しづつ好きなものや考えたことを書いていこうと思う。
わたしが生きていた時間が文字になってここに残ればいいな、と思う。
今日はわたしの普通の1日を「特別な1日」に変えてくれる
大好きな場所についてのnote.

「シネコヤ」鵠沼海岸の小さな映画館

先週の月曜日は映画を見に鵠沼海岸まで出かけた。
鵠沼海岸駅は小田急江ノ島線の終点江ノ島駅のひとつ手前の駅。
わたしの家からは何度も電車を乗り換えないと辿り着かない場所だ。

何度も電車を乗り換えて、縁もゆかりもないこの場所に足を運ぶ日は、
毎回「今日は特別な1日だ!」という弾んだ気分になる。
わざわざ1本の映画を見るために、こんな小さな駅にやってくるのが楽しい。
一人で秘密の遊び場にやってくる気分だ。

駅の改札を出ると、車も通れないような小さな道が折れ曲がって小さな商店街に続いている。
わたしが生まれ育った神戸の街も海沿いで、
駅前はこんな風に車が通れないような小さな道だった。
だから、街の空気が肌に馴染む。
足取りは軽くなる。

駅から数分のシネコヤは、懐かしい雰囲気の店構え。
映画館になる前は写真館だったらしい。

シネコヤは映画も見られるけど、貸本屋でもある。
お茶も飲めるし、美味しいパンも売っている。
だから時間に余裕がある日は映画が始まるよりずっと前に着くようにしている。
受付の横にパンが並んでいる日はパンを選ぶ。
飲み物は瓶入りのレモネードを選ぶ。
お金を払って奥の部屋へ進む。



アンティーク調なインテリアの中に映画関係の本や小物がどっさり。
来るたびに、「どうしよう!どれから?何から?」と浮き足立つ。
そして毎回、「もっと早い時間に来ればよかった…」と思う。

映画が始まるまでの時間を、この部屋で過ごすのがしあわせ。
ふかふかに温められたパンとレモネードと
読みきれない量の読みたい本の山。
シネコヤがうちから10分みたいな場所にあったら
わたしはきっとくる日もくる日も入り浸って
仕事も家事も放り出してしまうに違いない。
…遠くてよかった。

映画を見る2階の部屋がまた素晴らしい。
いつも映画が始まる前後の限られた時間しかそこにはいられない。
しかも、その部屋は薄暗い。

老眼が始まっている私にはキッツイなぁと感じる程度に薄暗い。
部屋の両サイドは壁一面が本棚になり、本や映画パンフレットや
DVDやなんやかや(よく見えない)気になるものが詰まっている。
座りごごちの良いアンティークソファの前に置かれたローテーブルには
ずらっとなんやかや(よく見えない)気になる本が並んでいる。
気になる!
でもよく見えない!(くらいよ!)
時間もない!
もどかしい!
だからまたここへ吸い寄せられちゃうのかもしれない。
多分これは、シネコヤが作った部屋の形の仕掛け罠だと思う。

映画を見終わった後はいつも、映画の余韻で心身が満たされているので
その余韻がこぼれ落ちないようにふらふらとシネコヤを後にする。
帰り道は時間があれば一駅先まで散歩する。
少しベタつく海風を感じながら江ノ島駅まで歩いたり、
瀟洒な住宅街で建物探訪ごっこをしながら江ノ電鵠沼駅まで歩いたりする。
地元の湘南マダムのふりをして優雅にのんびり歩く。
映画のことを考えながらゆらりゆらりと家路に着く。

近くて便利なシネコンで映画を見るのも好きだけど
シネコヤで見た映画は印象が深く残る気がする。
それは、「シネコヤで観た」という体験が隠し味的な付加価値になるからかもしれない。

わざわざアクセスが悪いシネコヤを選び、
往復の道中やそこで過ごす時間も含めての映画体験。
それは、間違いなく
普通の1日を特別な1日に変えてくれる
私のとっておきの魔法だ。

映画と本とパンの店/鵠沼海岸/シネコヤ


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