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誰かと囲む食卓のご飯は美味しい。急に生まれた時間と寄り添いの話。

一、二杯しか飲んでないのに二日酔いの朝を今週はニ度も迎えてしまった。テレワークに感謝しながら出勤1分前に起きてPCのスイッチを付けるくらいにはへろへろ。お酒が弱いのに「人並みには」という嘘をついていると、この春から異様に酔いの回り始めるスピードが早くなった。浮腫みすぎて整体に行くくらいなので、他人にいい格好をしないほうが良い。

社会人4年目。最近は残業しても30分。平日の夜がとても暇で時間を持て余している。なぜこんなにも虚無で孤独な時間が生まれているか、原因は自分でもよく分かっている。特定の人と連絡を密に取りすぎたからだ。なんでも、いつかは終わりが来る。非日常の魔法が解けないことはない。この魔法の青さや苦さ、脆さ痛さは映画「明け方の若者たち」で丁寧に描かれているのでぜひ観てほしい。短編「ある夜、彼女は明け方を想う」も素晴らしいので忘れずにどうぞ。

さて、ともあれ日々あった習慣や日常を失ったことによりこんなにも時間はあったのかと気付く。急に生まれた時間はどう使えばいいのだろう。
勉強、家事、買い物、趣味発掘、誰かと予定を入れる、映画を観る…選択肢は山ほどあるのに結局YouTubeを永遠に垂れ流すか天井を眺めるだけになってしまうのはなぜだろう。やる気が出ないのか、依存なのか、逃げているのか。

「やっぱり無理にでも誰かとご飯食べたり喋ったほうがいいのかもしれない。この時間、いつもだったらずっと家でTikTok見て過ごしちゃうもん
ある日、濡れたグラスを見つめながらともだちが呟いた。
確かにそうなのかもしれない。一人は好きだが、独りは寂しい。誰かといたほうが、自分という存在の承認にも繋がる。たわいもない話で笑い、新しい発見と繋がりに驚き、自分を見てくれている人はちゃんといるんだと心なしかホッとする。心が浄化され、明日も頑張ろうという原動力に繋がる。孤食より誰かと囲むご飯が美味しいに決まっている。

いろんな人と食卓を囲むなかで、年末から2つのタイプが存在することに気付いた。悩みや体験談を打ち明けた時の反応がこちら。

A:「心臓が縛られてるような気分なった…大丈夫だったかな?」など自身の感想をすぐに言う。電話やLINEなど連日連絡をしてくれる人。

B:くすっと笑い、話の深掘りをしてくる人。ポジティブ思考。「切り替えて次いこうよ!ドンマイ」と声掛けする。

どちらが正解かはないが私はAのタイプの人間に救われた。見返りを求めるであったり、相手を気遣う姿勢より自身の欲求を優先してしまう人は、受け取り手側からするとやはり良い印象は受けない。

自分がその立場だとどう感じるか、立ち止まって考えることは何歳になっても変わらずでありたい。

ちなみにAタイプの人間は出来事に対し
その一瞬を幸せにしてくれた人でもあるんだから感謝しなくちゃね」や「人って誰かに出会う度に何か発見や学びがあって、その人を作っていくと思うから、悪い出会いもいい出会いも自分にとってプラスにして大切にできるといいね」と言ってくれて思わず涙が出た。

辛い時こそ、人に頼って良かったと思う瞬間が生きていると何度かある。優しさに触れる瞬間でもある。だからこそ、ここぞという時に支えてくれる人を大事にしたほうがいいし、私も相手に対してするべきだと考え直すきっかけとなる。寄り添いに限度はない。

人に優しく、奉仕の精神に溢れる人であり続けたい。

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