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私が黙るのをやめた理由〜教師への抑圧とブラック校則の関連性

以前からずっと感じていて、でもずっと黙っていたことをようやく書こうと思います。

大学を卒業してしばらくした頃、近況が知りたくなってフィードを検索したら、あれ、そもそもアカウント消えてる…?という友人が少なくとも2人いました。彼女たちの進路は「教員」でした。生徒や保護者に見られたりするといろいろまずいのかな、先生って大変だな、くらいに当時は軽く考えてました。

その後2019年から私も通信制高校で働くようになり、今になってそのことがものすご〜く身に染みています。私自身も「高校の職員」という立場になった途端に、うわあSNSでヘタなことなんも言えない!「全裸監督おもしれ〜」とかうっかり言えない!なんてびびってしまったのです。
全裸監督は別にいいんですが、でもそれって、もしかしたら世の中にとってあんまり、いやすごくよくないことかもしれない、と思っています。

この感覚は、他の職場にいた頃には全くありませんでした。ベンチャーにいた頃は、SNS上でいろんな人と交流することがとても楽しくて仕事にも活きました。大企業にいた頃は、コンプライアンス上業務のあれこれをSNSに書くわけにはいきませんでしたが、それでも他部署の同期や他業種の友人との交流でいろいろ刺激をもらいながら、SNSは趣味のことなど「仕事以外の自分の顔」を見せる場所になりました。
でも「高校の職員」という肩書きになってからそのどちらもすごくやりづらくて、それどころか、ちょっとした個人的な考えや趣味・嗜好、思想・信条を表明することさえ難しく感じてしまう自分がいました。「思想・信条」といってもそんな大げさなものではなく、「夫婦別姓いいよね〜名前いちいち変えるの不便なんだよなぁ」とかそのくらいの話なんですが。

サラリーマンだったら、仕事さえちゃんとしていれば、業務時間外の趣味とか価値観のことまでとやかく言われることはないですよね。(法に触れることや反社会的なこと、よほどその企業の名誉を失墜するようなことをしたなら別ですが…)

でも例えば、学校の教職員が休日にど派手なファッションで街を歩いていたらなんて言われるんでしょうか…?あるいは同性パートナーと手を繋いでいたら?政治的な運動やデモに参加したら?
「うちの子に変なこと教えないでほしい」とか思われるのかな、あるいは、「教育者としてあるまじき行為」とか思われるのかな?なんか、「学校の先生(や職員)」に対する世間の目って、めちゃ厳しくない…??
少なくとも私自身は、そんなふうに感じてすごく萎縮してしまっていたのです。

多くの(というか、ほとんどの?)社会人と同じように、教職員・教育関係者だって仕事とプライベートは別です。休日には自分の人生があります。また個人の思想・信念と、生徒に何を教えるかは全く別のことです。もちろん人間なのでバイアスはあるだろうし、そのことには常に自覚的でありたいと思っています。でもだからこそ、教育に携わる人たちがもっとたくさん自分の意見を世に問うて、自分のバイアスを知り、考えを磨いていけるような世の中である必要がある…はずなのですが、でも現実は逆だと思うのです。
(もちろん、それでも発信されている教育関係者の方はたくさんいらっしゃって心から尊敬しています。少しずつそうした声も広がっていますが、多くの方は匿名であることもまた事実かと思います。匿名でもものすごく勇気がいることだと個人的には思っています)(だって怖いんだもん)

学校は時代遅れとか社会から取り残されているとか言われたりしますが、それって、教育を担う人が、社会と関わって自分の視野を広げられないことも原因の一つなんじゃない?…と思ったりするのです。

それまでは不登校の元当事者として、学校教育は閉鎖的だ!なんてただ批判していただけなのですが、いざ自分が働いてみると見える角度が変わり、世間の強すぎる要求が学校を閉鎖的にしている側面もあるのでは?と思うようになりました。

そして、そうした教育関係者(特に教員)に対する世間の厳しいまなざしは、いずれそのまま生徒に返ってくると思っています。ブラック校則がいい例です。教職員が世間から受け取る抑圧が、そのまま校則となって反映されているんだと思うのです。教育関係者にとって世間は抑圧の塊で、ちょっと何かしただけですぐに叩かれる厳しい世界です。なので叩かれそうな要素をあらかじめなくして子どもを守ろう…という発想になってしまうんじゃないでしょうか。

「多様性」が大切だと言われるこの時代、多様性を保証することは子どもの心の安全のためにも絶対に必要です。子どもたちが心から多様性を享受するには、まず身近な大人たちが多様である必要があると私は思っています。が、では教職員の多様性は果たして認められているのでしょうか。
ブラック校則(というか校則ぜんぶ)をなくすことには私も全面賛成ですが、ただ校則を批判するだけでは事態は変わらず、もっと根本から考える必要性を感じています。

自分に何ができるかわからないし無力なので全然大したことはできないけど、とりあえずもう黙るのはやめよう、と思った次第です。教育以外にもいろいろ思うこと言いたいことあるけど、これからは全部我慢しないでいちいち言おうと思います、くだらないことも。シン・ウルトラマン見てぇ。
あと自分も「保護者」として学校にお世話になる日がそのうち来るけど、先生のバックグラウンドにまでとやかく言うのはやめよう、と肝に銘じています。


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