浅い緊張の呼吸から、太い光の巡りへ ~ヨガと瞑想を10年続けて変わってきたこと~
「そんなに肩の力、いれなくていいよ」、と言われて、“うわ、緊張していたんだ”、と気づく、そんな身体と共にあった私の10代。
ヨガや瞑想と出会って、少しずつ、太く心地よい呼吸、そして、単に空気ではないような、エネルギーの流れを感じるようになってきました。もちろん、いつも100%できているわけではなく、今でも考えすぎたり、感情が揺れたりすることはありますが、前よりも自分の状態に気づきやすくなっていると思います。
ヨガを続けているのは、大丈夫、と思い出せるから
ヨガをなぜ続けているのか。ヨガを通して、人と共有したいことは何なのか。
それは、「大丈夫、と思い出せる」ということ。
現実の状況も、頭の中の思考も、体調も、日々いろいろ、紆余曲折することもあるけれど、最終的には大丈夫になるし、今ここも、大丈夫。必要なことが起こっているだけ、と、身体や呼吸が教えてくれる感覚を、ヨガや瞑想の時間に覚えることがあります。
深い呼吸が分かると浅い呼吸にも気づける
私が初めてヨガに行ったのは、10年以上前。何か新しいことをしてみたいな、運動不足だし、身体を動かすことがいいな、と思い、近所のヨガクラスに行ってみました。初回のクラスでどんなことをしたのか、あまり覚えていないのですが、日常でやらないような、慣れない動きに、右往左往していたような気がします。先生が終始優しくて、「呼吸してね」、「自分のペースでね」と繰り返し言ってくださっていたような記憶。そのスタジオは、クラスが終わった後に短いお茶の時間があって、ほっこりとした感覚がありました。
ある時、ヨガをしていて、すごーく深く呼吸ができて、自分の普段の呼吸がいかに浅かったのかに驚かされたことがありました。それまでは、自分の呼吸が浅いことは知っているけれど、「今、浅くなっている」、と自覚する力が弱かったのではないかと思います。深い息が身体で理解できると、その深い呼吸を再現することも、少しずつ上達していく感じがあります。
重力と仲良しの姿勢が分かると、呼吸も深まる
もともと座禅は好きで、お寺に時々座りに行っていたのですが、呼吸の前に、座り姿勢でつまずきが。慣れないうちは、足を組んで座り続けるだけで辛くて、「早く終わらないかな…」と思い、終わったら終わったで「全然集中できんかった…」と悔しさと反省が混ざったような気持ちになっていました。
重力を活かせる本来の姿勢、つまり、地面(床)に坐骨がしっかり根差していて、坐骨の真上に肩と頭が乗る位置感覚が掴めてくると、とても楽に座れるのだと、いつの間にか分かってきました。そこから、ヨガで動くときも、座って瞑想する時の呼吸も、とても心地よくなってきました。
(ヨガと瞑想を便宜上分けて書いていますが、ヨガも、動く瞑想と言われていて、最終目標は瞑想だったりします。)
呼吸は空気というより、微細なエネルギーの流れ⁉
呼吸は単に、空気だけではないのかも、と感じ始めたきっかけが、ヴィパッサナー瞑想でした。
2017年に、初めてヴィパッサナー瞑想の10日間コースに、コルカタで参加しました。早朝から夜まで瞑想三昧の日々。ガイダンスに沿ってひたすら身体に向き合っていると、呼吸と共に、身体の表面や内部に微細なエネルギーがいきわたっていく、ということが少しずつ感じられるようになってきました。吸う息とともに、坐骨、丹田から背骨を通って頭頂までエネルギーが昇る。吐く息で、身体の硬いところ、緊張しているところに、そのキラキラした光の粒のようなエネルギーが送り込まれて、余白が拡がる……
これが私の中ではとっても面白い発見で、他の人とも共有したい気持ちに駆られます。一方、身体感覚は人それぞれで、この感覚はあくまで私自身のもの。また、それを感じることを渇望するのも違うのだろうな、とも思います。
ヴィパッサナー瞑想でもう一つ感じたのは、「思考は湧くけど、時間が経てば必ず去っていく、終わりがある」。ということでした。これを身体的に学ぶ時間でした。現実の状況も、頭の中の思考も、紆余曲折するけれど、永遠ではない。だから大丈夫になっていくし、今も、大丈夫なんだ、という感覚。
お寺やヨガのクラスでも繰り返し聞いていたことだと思いますが、いろんな角度から瞑想やヨガに取り組んでいるうちに、少しずつ腹落ちしてきた感じです。
飽きっぽいけれどヨガが続いているのは、日々の練習や色々な先生のおかげで、微細な発見が時々訪れて、「うわ、おもしろい…」とジワジワ感じてしまうからだと思います。
言葉での表現は分かりづらいかもしれませんが、これは本当におもしろくて心地よい……かつての、無意識にカチコチだった自分にも教えてあげたいし、他の人とも共有したい。
だから、ヨガや瞑想を試してみる人、そしてできれば、少しずつでいいので続けてみる仲間が増えたらいいなと思っているのでしょう。
「大丈夫」、という感覚は、ヨガや瞑想の中で身体的に感じるほかにも、インドで生活していて感じさせられたところもあり、これはまた別の機会にしたためてみたいお話です。
インドで生まれたヨガ。焦ったり緊張したりする時も、地面と身体の接するところをじんわり感じて。身体の中を流れている呼吸・エネルギーに気づいて。自然の流れにまかせれば大丈夫なのだ、と思いだせる時間が、あなたの中にも増えていきますように。
読んでくださってありがとうございました^^
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