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【エッセイの勉強】いつ自分が世界で一番不幸になったの? 暗いので要注意

朝から大掃除。朝活も放り出して折りたたみベッドを苦労して折りたたんで棚の一段一段から整理し始めた。すると母が調子が悪いと言い出す。何か作ろうか? と提案するとすぐに乗ってきた。ので時間ギリギリまで掃除をしながら捜し物。ある程度のアカウントは目星が付いていた上にメインとしていたGoogleメールにパスワードマネージャーがあり、なんと60個も記憶していた。昨夜、夜中の二時までそれを見ては書き写していた私。

おきて掃除したり、パスワードを改めたりと忙しい一日。そして午後四時頃になるともう料理の時間。家にある食材で作るのでそれを聞いてレシピを思い出すと、チリソースをレンチンで作るものがあったので、それを作った。味は、母が買ってきた「四川豆板醤」のおかげで非常に辛い味になって前の方がよかった、的な味だった。ひたすら辛い。

まぁ、そこまではよい。いつものようにお風呂に入りたかったけれど、お休み前の入浴がいいというので入浴剤を入れて入りたかったので母に先に入ってもらおうかと思って言うと早く休むわ、みたいな様子で風呂にも早く入るだろうと思っていた。が。一向に入らないので途中で観戦していた野球が始めから中盤だったので入っても良いかと聞くと、先に入りたいようなことを言う。では、と野球が終わってから入ろうと眠たいのを我慢して、野球を見ていると、ベタの水槽で濾過器を回していない水槽がやたらやはり汚い。極道な事をしたと、水を入れ替えてあげた。その作業でベタ三匹は綺麗でもないきたないでもない水を手に入れてるんるん。一番濾過器を止めていた子は良く泳ぎ回る。特にこの子はこの状態がいいようで、なんとなく思っていたが、つい、ベタは毎日のご飯の一粒一粒からで手一杯だった。

で、部屋にフラワーラックを見ると、今度は苔玉の桜の勢いがない。水分枯渇気味なのだ。これも手がかかる。バケツに水を入れてその中に苔玉を入れる。そして空気の出てくる音がなくなるまでつける。三回ほどつけては出して、つけては出しを繰り返す。この手間がまた暇なときは愛でられるのだが、昨日の事で私は頭からアカウントで一杯。そして階段をあがれば部屋からアレクサの目覚まし。九時半に終業する合図だ。思わずイラッときて八つ当たり。「黙れ」でもとまるのね。といいつつ、つくづく人に当たるようなことが母相手しかなくてよかった、と思う。父には甘えっぱなしで当たりっぱなしだった。夜中まで話を聞いてくれてカウンセリング体質の人だった。母は心は見えないと言って一度も病院に来たことがない。

他所の方からはこんなに頑張っているのにこれ以上言われるの? と驚かれる。母はもっとやりなさい。なにくそと思わないの? とか言ってる。ただ、私の話を聞く人は過酷だと言う。それはどうなのかは主観的にも客観的な視点を持ちあわせていないためわからないが。

つくづく子を持つって大変と思う。イライラしても怒鳴りつけてはいい子にはならない。いい子とは良い学校出て良い仕事にありつくことではない。本当に良心的な人間になれるかどうかだ。私はとっくに道を踏み外している。

そんな自分を思うと、非常に時々この世の終わりかと思うときがある。父の死んだところへ行きたいと望むときがある。この母の旅行の時も父を思い出しては泣いた。今日も泣いた。父の元へ行きたいと。でもそれは天寿を全うしなくてはならない。そう父は言うだろう。辛くても生きろと言うだろう。勉強しろ、と父は呼吸困難になりながら私に言った。私が散々父が先に死ぬのが嫌だ、と言っていると、先に年寄りの方が死んでいくのが筋道だ。私は内孫でなかったから幼い時に死を見たことがなかったから大変だけどね、としょっちゅう言っていた。その事とすぐわかった。父はこの人生経験を勉強しろと言った。だから、自死はいけない。そんなことはきっと母を置いて死ぬことすらいけないのに、もっと道理にはずれたことなのだ。私にとっては。他の方がどうなるのかかはここでは結論を出さない。あくまでも私にとって自死は父のところへ行く道ではないと思うだけだ。

だから、こんな時に自死を思ったり、なんて不幸なんだろうと思った、今、いつからそんなかまってちゃんになったの? だと思った。私は恵まれていることがいろいろある。例に挙げることは無いが、たぶん、本当に自死してしまう方達よりはマシだと思う。だって。そこまで追い詰められてないんですから。なのに「自分は世界で一番不幸な女」って思うなんて笑いたい気になった。いつからそんな未練たらたらなヒロインになったの? と。ヒロインでも何でもないのに。そもそも。

私はせいぜい頭だけは運良くできる知識だけの側女。いや、それもそう言う立場の人を考えれば失礼なのかもしれない。今、この世界に側女という身分が在るかどうかわからないけれど。

とにかく自分が一番不幸って、昔は考えたものだけど、そんなものは幻影。それを言える資格はない。パソコン四台持ってる人間のどこが不幸? やりたい方題してるのに。そのメインのパソコンも最近おかしくなってきた。保証期間はいつまでだったか。月額でサポート代を払っているけれど。

今、お休み前のBGMというのでゴンチチのプレイリストを書けている。サラウンドシステムで聞いている。書いている内にアウトプットした結果なのか、曲が優しく聞こえて心が安らいだのか。その両方だろう。今、柔らかい女性の歌声が聞こえてくる。この曲を聴くといつも落ち着く。

明日は待ちに待ったメガネの日。だけど通院も在り、お金の心配がある。整形外科がどれほどかわからないからだ。何ヶ月分かでるのかまた糖尿外来とともに二週間に一緒なのか。それで薬の価格が変わる。しかも、糖尿外来は来年の三月まで二週間に一度。マンジェロという新薬が出るのだが、一ヶ月一度にだせない。二週間間隔で検査(これは一ヶ月に一回)と薬の処方箋をもらわないといけない。二週間の内の一回は処方だけなので数百円。薬も大して高くもない。だが、検査が入ると診察台が格段に跳ね上がる。未だ、母に借りた診察費と検査費を返せていない。

それもイライラのもと。お金がない。家に入れてくれコール共にイライラの原因。

しかも足は痛い。歩くだけでも痛い。薬は効かない。階段はなるべく避けている。ロキソニンを飲むと一時的にましになるが、連用する薬ではない。いつかは飲まない時を作らないといけない。それも苦痛だが、医者でも飲まない薬の一つに上がっているという。それを思うとあまり連用して飲めない。最近、マシだった逆流性食道炎にもなっている。ロキソニンが胃を荒らすのだ。他の痛み止めもあるのに。

つらつら書いたが、やはり私は「世界一不幸な女」ではない。しっかり生きていける人間だ。頼ることもあるが、そんなに一番、不幸になっているわけではない。たかが、母の言動の一つ一つに構っているのが悪い。放っておけば良い。機嫌が良くなれば、また機嫌良く話すだろう。そこがまた「ぴきっ」となるのだが。脳天気、と。だが、脳天気の方がいい。悩まないで済むのだから。前向きにも慣れるし、悩みもあっても解決していく力がある。そういう「脳天気な」人になりたいと思う。

前を向いて進んで行こう。ひとつでも父が願った私らしい生活に。

私は私。母は母。あの母が自分の母というのは不幸だけど、産まれる所は決められない。そうとなればこちらで対応するのみ。イライラはする。泣きもする。それでも毎日を気分良く過ごしていきたい。

私は私に言う。

「いつから世界一不幸な女になったの?」

私は言う。

「もう。不幸な女じゃ無いわ」

と。

それが、一番の近道。父に近づく人間になれるような。

ここまで読んで下さってありがとうございました。

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