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我が子との遭遇|「愛でる(めでる)」の意味

「愛でる」を検索してみるとこんな定義だった。

動植物や人やモノなどの、美しさや可愛らしさに感動し、その美しさを味わい、慈しみ、かわいがり、大切にすることである。 …ほれぼれと鑑賞したり可愛がったりするような状況を指す語として用いられやすい。- Weblio辞書

昨夜、眠りにつく我が子を抱きながらこの言葉の意味を味わっていた。

もしこの言葉についてだけ書かれた本があるなら表紙から終わりまでゆっくりと読み通すように。

英語に直訳するなら"love"であろうが、”admire”や”appreciate”もこの言葉の深みを補ってくれる。

我が子に遭遇するまで「愛でる」の意味を知らなかったといっても過言ではない。

最近ではペットを実の子のように「愛でる」人もいるが、私にとって唯一それに近い体験は隣の家の犬をかわいがったことくらいだ。

登山中、自然に感動するのも一種の「愛でる」ことなのかも知れない。

あるいは電車で誰かの赤ん坊を見た時に思わず顔が綻ぶのがそうなのかもしれない。

しかし我が子を「愛でる」時の感情はとても強力で、これらが全く比較の対象にならないほどだ。

「愛してるからね」「どんなことがあっても」

娘の耳元でささやきながら愛しさで胸が熱くなる。

「この子を傷つけるものがあってはならない」

世界の行く末を真剣に心配して涙が出そうになる。

傍から見れば、スーパーヒーローが映画で言うセリフか、とツッコみたくなるような大胆な言葉達がなんの恥じらいもなくこぼれ出てくる。

8か月前、激痛で意識がもうろうとする中「自分は死ぬのか(Am I dying)?!」と、夫とミッドワイフ(助産師)に問いかけていた。

その痛みはお母さん達から聞いていたものとはかけ離れた、想像を絶するものだった。

娘が生まれた瞬間は熱い大きな栓みたいなものが抜けたような感覚だったのを鮮明に覚えている。

その熱いものを胸の上に感じたとき、残っていないはずのエネルギーが体全体にみなぎった。

弱音と心配で暗くなっていた頭の中に温かい光がさすようだった。

「もう無理」から「この子の為に強くあらねば」という思いにいつの間にか変わっていた。

たぶんこの時、私は母になったのだろう。

母親という名のスーパーヒーローへ大変身したのかも知れない。

それなのに最近の心配事と言えば、自分が母親として十分なのかということに尽きる。

この世界に存在しないはずの”完璧”を目の前にして自分の不完全さに気づくように、娘を「愛でる」ほど自分が母親として不十分だと感じてくるのだ。

娘の幸せを願うほど、この小さな幸せが薄いガラス玉のように、いかに壊れやすいものであるかを思い出し怖気づく。

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そうしてどんなに時間が経っても私は自信の無いままなのかもしれないと思った。

娘はそんな事お構いなしに、いつか自分の力を見つけ1人で進んでいく。

その時には私が「愛でる」事さえ許してくれないのだろう。

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上の写真はパース近郊(西オーストラリア州)にあるビーチで撮りました。
遠くにある船と沈んでゆく夕日が重なった瞬間。その前には手足を大きく振り、太陽に向かって走る女の子。













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