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花がきれいだと感じる理由 #ヨガ哲学

1週間に一度、駅前のお花屋さんで花を買います。
見ているだけでも癒されるけど、気に入った花を買って帰って飾るのは、もっと癒される。

私なりの花の選び方は、今が一番きれいな花ではなく、あと3日くらいでベストな咲き具合になりそうなものを選びます。
連れて帰った花が、日を追うごとに、花ひらいていく、お水を吸って、いきいきと咲いていく。この目で追っていくのがまた癒されるのです。

でも、一番きれいな日を迎えて、また3日もすると、しなっと枯れはじめてきてしまう。
つまり1週間くらいでその花の寿命はきてしまう。特に夏の花は儚いです。
でも、確実に、いきいきと咲いていた。生きていた。
それこそ、それでも生のお花を買い続けて、その変化を見守っていきたい理由。

ドライフラワーやプリザーブドフラワーも素敵だけど、それでもあえて生花を買うのは、「生きている」「成長している」「変化している」を身近に感じられるから。

ヨガ哲学では、物質(プラクリティ)の土台には意識(プルシャ)があると言われています。花を愛でる時、大自然に心躍らされる時、目に見るものは確かに物質の形をとっていますが、その観点ではドライ加工も写真も同じです。でも感動が違いますよね。何が違うのか、何が真に心を動かすのか。

花がきれいだと感じる理由、大自然を見て美しいと感じる理由は、他の何も頼ることなく自らの力で物質(プラクリティ)の部分を支えるプルシャ(意識)が存在しているから、と言われます。視覚によって捉えられるものはプラクティであり、心響かせるものはプルシャ。「花がきれい」と花を愛でる時、花という名の「物質」の中に隠れて存在する「意識」「生(せい)」を感じているという考え方です。これは花や自然に限らず、動物や人間もそうですよね。

外出を控えてひとり暮らしの家にいる時間が増えたなか、家族や友人と話したり、愛犬と戯れたりといった生活は減っても、こうして「生」を感じられるようになることは、幸せなことだなと思います。

今ある日常から気づきや幸せを見つける、そんなヨガ哲学は、私がヨガを深く学びたいと思った大きなきっかけでもありました。哲学の話も少しずつ、書いていきたいなと思います!

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