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【番外編】贈りものをする。幸せになる。

 先日、会社近くの駅で「学問のするめ」を売っていた。「すすめ」でなくて「するめ」? 言葉の面白さに惹かれて、つい買ってしまった。正真正銘の「するめ」だった。店員に聞くと本店は太宰府天満宮にあり、7年前から売っているという。合格祈願の商品として結構売れているらしい。イカで作った「オクトパス(置くとパス)」も商品化されているという。それにしても「するめ」に「学問」という思いもつかない付加価値をつけ、商品にして大宰府で販売するというところが凄い。その発想力と行動力に感心してしまった。私が見た売店は、大阪の天満橋駅にあったのだが、近くには天満の天神さんがある。たいしたものである。まあ、それを見て私は楽しんでいるのだから、「学問のするめ」は人に幸せを運んでいることにもなる。

 「学問のするめ」の袋を見ながら、ひょっとして「学問のすずめ」とか「学問のむすめ」などもどこかにあるのかしらん?と思ってしまった。調子に乗って私も商品を考えてみた。受験ものではシンプルに桜の焼印付きのお札「人間🌸合格」、なんとしても猫になりたい時に読む本「吾輩は猫になる!」、スパイダーマン主演の映画「坂の上の蜘蛛男」、小僧が食べる芙蓉蟹(フーヨーハイ)「小僧のかに玉」、渋滞を避けてくれるカーナビ「奥の近道」。まだあるなー、渓流釣りが得意な知り合いからもらった魚「知人の鮎」、その鮎の捌き方の解説書「世界の中心で、鮎をさばく」、冷やして食べる白いお菓子「雪グミ」、銀鱈西京焼きの駅弁「銀鱈鉄道の夜食」、少しつらくなってきたのでこのあたりでやめにしておく。くれぐれも言っておくが、私はここに登場する文豪たちが大好きである。彼らの作品名から発想して言葉遊びを楽しんでいるのであって決して悪気はない。もちろん、商品化するような行動力も持ち合わせていない。

1. 聖なる家族教会
 
発想力と行動力という点から見ると、サグラダ・ファミリアのそれは、まさに異次元である。19世紀の終わり、産業革命による貧富の差や神の存在への疑念といった社会的背景の中、バルセロナで宗教書の出版と書店経営をしていたジュゼップ・マリア・ブガべーリャは、カトリック信者が信仰心を取り戻すために「サン・ホセ信心会」をつくった。1866年のことであった。6年でバルセロナの人口を超える40万人の会員を集め、そしてイエス・キリストやマリアという聖なる家族に祈りを捧げる聖堂を作ろうと考えた。しかも信心会の会員から毎日6センティモ(0.06ペセタ)というわずかな喜捨を集めて作ることにして活動を始めたのである。それが聖なる家族教会、サグラダ・ファミリアの始まりだった。ビリャールという建築家が無償で設計を引き受けたという。

 キリスト教には、贖罪という考え方あり、これは犠牲や代償を捧げて罪をあがなうという意味を持っている。贖いを喜捨という形であらわすことで作るサグラダ・ファミリアは、贖罪教会とも言われたのである。原則的に富裕層からの大口喜捨は受け付けず、あくまでも一般会員の贖罪による少額喜捨が基本となっていた。ブガべーリャは発想力と行動力をフル回転させて、壮大だが無謀ともいえるプロジェクトに挑んだのである。

 2023年6月。1882年に着工されたサグラダ・ファミリアがもう数年で完成するということから、東京の国立近代美術館で「ガウディとサグラダ・フミリア展」が開催されていた。日本人彫刻家も参加していることや2年前にマリアの塔が完成したことによって話題になっていたのである。当初の建築家ビリャールのあとを引き継いだ異能の建築家ガウディはビリャールの作った平面形を生かしながら、精魂を込めて独自の聖なる家族の有り様を求めていった。発注者は、民間のカトリック教会、しかも個人の少ない喜捨が原資の全てなので、工事が300年を超えると思われたのは当然であった。そのうえ設計図に書き表せないようなガウディのイメージを具体化させるために、構造的な実験を重ね、模型を作って形を確認しながらの作業になっていたから、そのことも工事の長期化に拍車をかけていたのである。常識を超えた長期にわたる工事では、新築工事をしながら、すでに出来上がっている場所が劣化して、その改修も必要になってくる。一般的な建築工事の流れを超越した施工だったに違いない。私も建築関係の仕事に携わっているので、いかに大変な仕事になっていたのかがよくわかる。ガウディは、

 「サグラダ・ファミリア聖堂の建設はゆっくりしている。なぜなら、この作品のご主人(神)が急がないからだ。」

 と言っていたという。着工してから、すでに140年が経っている。喜捨が集まる見込みが立たず一時期工事が止まったり、直下に鉄道のトンネルを通す話が持ち上がったり、行政手続きの問題で長い間違法建築扱いになっていたりと、140年の間にはいろいろな障害があったようである。デザインや構造・施工方法を含めたエンジニアリング的課題も山積みだっただろう。それでも苦難を乗り越えて、10年ほど前に2026年の完成が発表されていた。300年を超えると言われていた工期が大幅に短縮されたのである。二つの大きな理由があったという。一つは建築関連に使われるIT技術の目覚ましい進化が、各種の構造分析・デザインや施工方法の検証をスピードアップさせたこと。もう一つは20世紀の終わりから工事現場を見せることによる観光収入が飛躍的に増加し、建築資金が急速に集まり出したことである。2026年は、ガウディが事故で亡くなってからちょうど100年目に当たる節目の年なのだが、コロナ禍の影響で観光収入が激減し、どうも2026年の完成は難しくなってきているらしい。ここ数年はマリアの塔に原資を集中し、2021年12月8日にマリアの塔の頂上にある星が夜空に輝き、その完成を世に知らしめた。大ニュースであった。ローマ教皇も祝福の言葉を送ったのである。その日は「聖母の祝日」で、苦しいながらも建設を進めたことを世界に印象付けたのである。この星型の光を放つ塔は、サグラダファミリアの中でも2番目の高さを持っている。もちろん、最も高いのは建設途上のイエス・キリストの塔である。一般観光客にしてもおそらく何らかの罪は犯しているだろうから贖罪の気持ちで入場料を出せば、この大聖堂は全て喜捨で作られたといっても言い過ぎにはならないだろう。コロナ禍の前は年間観光客が約400万人を超えていたというから、5,000円の入場料として年間200億円である。建設資金に不足はないだろう。2023年には観光客も元に戻ると期待されているから、そう長い遅れにはならないと思う。

 展示されている全体計画を説明するパネルには、

 「平面形はキリスト教聖堂の伝統に従い、キリストの磔刑を象徴するラテン十字の形をしている。」

とあって、海側を大正面にし、北側に内陣、東翼廊となる日が昇る側は「降誕の正面」、西翼廊となる日が沈む側は「受難の正面」、太陽が燦々と降り注ぐ側は「栄光の正面」と名付けられている。

 「十字の交差する中央にイエス・キリストの大採光塔、その周囲の4基の採光塔は4人の福音書作家に捧げられている。十字架上の12羽の鳩が12使徒を象徴したように、ガウディは12鐘塔を十字架の端部に配置して12使徒に捧げた。そして、内陣の採光塔をマリアに捧げた。これら18の塔はすべて十字架の上に位置する。」

 聖堂内部の写真を見ると、塔はすべて採光のために作られていることがよくわかる。内部には樹木のように先端で枝分かれした柱が天井を支えている。そして、塔に設けられたステンドグラスから光が差し込むのである。ゴシックの教会は、まさに街の中の壮大な「森」だと言われている。産業革命がもたらした急激な都市化によって奪われた森、多くの市民は森を求め教会に集まったのである。教会の樹木と光の中で、聖なる家族に守られて時を過ごし、犯した罪をイエスに託して安寧を得ていくのである。

 展覧会を見ながら、30 年前にこのサグラダファミリアの前に立ったことを思い出していた。ほんの数本しか塔ができていない状態で、教会の片鱗は見せていたがまだ工事現場だった。それでも「降誕の正面」の迫力は凄まじいものだった。岩をくり抜いたかのようなあらあらしさの中に、多くの精緻な彫刻が刻まれていた。現場の中にはプレキャストコンクリートの外壁パネルが並べられ取り付けを待っていた。今から思えば型枠コンクリートとしての役割もあったのだろう。専門家の中には、ガウディーが石で作っていたものをコンクリートで作るのは彼の思想の継続にはならないのではないかという意見もあったようである。しかし、現代の技術との折り合いをつけたことは現実的な解決だったのだと思う。なぜなら、この教会を建てようと考えたブガべーリャは、聖なる家族に庇護された空間を作りたかっただけなのだから。


<コーヒーブレイク>ここで少し休憩です。

気分転換に、コーヒーとお菓子!
気分転換できた!

引き続き、後半をお楽しみください。

2. サッカースタジアム
 
国立近代美術館でサグラダ・ファミリアの建設記録を見ながら、私は30年前にサグラダ・ファミリアを訪れた記憶と同時に14年前の記憶を辿っていた。それはサッカースタジアム(市立吹田サッカースタジアム)を作るプロジェクトに参加した記憶だった。贖罪による喜捨というわけではなかったが、そのスタジアムも多くの人々の心がこもった募金で作られ、異例のスタジアム計画と言われたプロジェクトだった。約140億円という建設資金は、34,627人と721法人の募金と補助金で調達された。そしてみんなの募金で作られたスタジアムは、工事が終わったあと地方公共団体に寄贈されたのである。

 14年前、私はクラブチーム(ガンバ大阪)の社長と、古いスタジアムのピッチに立っていた。クラブチームの社長は、

 「このスタジアムは借り物で、屋根もないし、世界のチームと試合をする基準も満たしていない。自前のスタジアムを作るのが悲願です。
 しかも、陸上競技場との兼用でサッカー専用スタジアムではありません。観客とピッチの距離が遠いんです。関西に観客が熱狂できるスタジアム、地域が誇れるスタジアムを作らないといけない。クラブチームのためというよりも関西のスポーツ文化を盛り上げるために、みんなの力を集めてやらなければならないんです。地域の核となるようなヨーロピアンスタイルのスタジアムを目指したいんです。」

 それは、仕事として私が属している会社が受けたコンストラクション・マネジメントの仕事だった。しかし、あとから思えば私はその社長の言葉にブガべーリャの想いに通じる強い信念を感じたのだと思う。その熱い言葉に心が震えたことを覚えている。そして、私はサッカースタジアムを募金で作るという「壮大だが無謀とも思えるプロジェクト」に加わったのである。ガウディは、大聖堂を設計するにあたってキリスト教を勉強し直したというが、恥ずかしながら私はそれまでサッカーの試合をTVで見たことはあるものの、スタジアムで見たことがなかったのである。勉強し直すどころの騒ぎではなかった。まず、サッカーの試合をスタジアムで見ることから始め、次にいろいろなサッカースタジアムの運営をしている方たちの話をたくさん聞くことにした。各地のサッカークラブの人たちの心は、皆熱かった。サッカーを通じて地域意識を高め、地域の人が幸せになって欲しい、そんな心意気がひしひしと感じられたのである。Jリーグ設立の精神が地元愛を一層強くしていることを痛感した。そのことが「壮大だが無謀とも思えるプロジェクト」に参加する勇気を与えてくれた。

 今から見れば、サッカーのことをあまり知らなかったからこそ、無駄のないコストでシンプルだが感動的なサッカースタジアムを作ることに成功したのではないかと思っている。工事予定地に予想外の地下空洞が見つかったり、募金が予定通り集まらなかったらという不安があったり、サポーターの意見を取り入れてスタンドの形に工夫を凝らしたり、東北の大震災復興の影響で資材や作業員が足りなくなるなど、いろいろなことがあったが、最後にはクラブチームがその年の三大タイトルを獲るというような嬉しいニュースも飛び込んできて、募金目標金額が無事達成されたのである。スタンドのLED照明のスイッチが入り、ピッチの芝生が闇に明るく浮かび上がったのを見た時、サグラダ・ファミリアの聖堂にステンドグラスを通して光が差し込むのを見る信者たちの気持ちがわかるような気がした。感動的だった。2015年にサッカースタジアムは完成した。そして、2016年のシーズンには40,000人の声援がスタジアムの屋根に反響していた。スタンドでは選手の声が聞こえ、選手にはサポーターの声援が耳に届く。サグラダ・ファミリアの塔が全て採光のために作られているのと同じように、スタジアムのスタンドはすべての観客と選手が一体になるために作られているのだと実感したのである。

 クラブチームが配布している「スタジアムガイド」によれば、「臨場感あふれるスタジアム」と題して、

「いちばんの魅力は何と言ってもピッチと観客席スタンドとの距離感! 最短で7メートルと、国際大会が開催できる4万人以上の収容のスタジアムの中ではピッチまでの距離が日本一短くなっています。目の前で繰り広げられる大迫力の試合をお楽しみいただけます。」

 と書かれている。最初にお会いしたクラブチームの社長の言葉通りのスタジアムが出来上がったのである。そして、このスタジアム作りは、関西を大いに盛り上げた。クラブチームの発想力と行動力が実を結んだのである。「壮大だが無謀とも思えるプロジェクト」に参加し、そのお手伝いができたことは私の人生最大の喜びと言っても過言ではない。

 振り返ってみると、私は、発想力と行動力、そしてその価値観への賛同がもたらす喜捨や募金の力に驚かされたのだと思う。喜捨や募金をした一人一人の心に、あの大聖堂を、そしてこのスタジアムを建設するプロジェクトに深く関わったのだという喜びと感謝の気持ちが溢れているのだ。

 私もこのスタジアムに募金をした34,627人のうちの一人である。「募金」という行為が、不思議な心の高揚感をもたらすことを初めて経験した。ましてや、大聖堂であるサグラダ・ファミリに喜捨をした人達には、信仰の対象への喜捨としてより一層の高揚感があったのではないだろうか。そんなことを頭に思い浮かべて、日曜日の昼下がり、『学問のするめ』をつまみながら、近藤由美の『「寄付」のすすめ』という本を読んだ。

3. 贈りものをする。幸せになる。
 
その本には、2014年1月、NHKのテレビ番組『「幸福学」白熱教室』で、「お金は人を幸せにするのか?」をテーマにして、カナダ・ブリティッシュ・コロンビア大学准教授のエリザベス・ダン博士が、

「人に対してお金を使うことを自由に選択でき、親友や家族はもちろん、他人とのつながりを深めるようなやり方で、しかもほかの人に良い影響をもたらしたことが明確である場合に、最も幸福度が増す。」

 と語ったことが紹介されている。

 これが、まさに私がスタジアムの募金をした時の気持ちだった。強制されたわけでなく自らの意志で、34,627人の人と想いを一つにして、地域に喜ばれるスタジアムを建設できたことが、私を幸福にしたのである。募金をした時に感じた高揚感は、これだったのだと思った。最新の心理学の研究などでも、「ほかの人にお金や物を与えることにより、自分が使う以上の幸福感が得られる」ことが実証されていることも、この本には書かれている。そして日本に寄付文化は根付いていないという説は正しくないとして、多くの事例を挙げて説明している。その事例の一つは、サグラダ・ファミリアにも決して引けを取らない大プロジェクト、東大寺の大仏建立である。8世紀の半ば、聖武天皇の時代は地震や疫病、内乱によって多くの人が不安に陥っていた。聖武天皇は仏教の力で世の中の乱れを救おうとして大仏建立を宣言するのだが、この詔が振るっている。宇治谷孟の『続日本紀(中)全現代語訳』から抜粋すると、

 「・・・国中の銅を尽くして像を鋳造し,大きな山を削って仏堂を構築し、広く仏法を全宇宙にひろめ、これを朕の智識(仏に協力する者)としよう。そして、最後には朕も衆生も皆同じように仏の功徳を蒙り、共に仏道の悟りを開く境地に至ろう。天下の富を所持するものは朕である。天下の権勢を所持するも朕である。この富と権勢とをもってこの尊像を造るのは、ことは成りやすいが、その願いを成就することは難しい。ただ徒らに人々を苦労させることがあっては、この仕事の神聖な意義を感じることができなくなり、あるいはそしりを生じて、却って罪におちいることを恐れる。したがってこの事業に参加する者は心からなる至誠を持って、それぞれが大きな福を招くように、毎日三度盧舎那仏を拝し、自らがその思いをもって、それぞれの盧舎那仏造営に従うようにせよ。もしさらに一枝の草や一握りの土のような僅かなものでも捧げて、この造物の仕事に協力したいとい願う者があれば,欲するままにこれを許そう。国・郡などの役人はこの造仏のために、人民のくらしを侵しみだしたり、無理に物質を取り立てたりするようなことがあってはならぬ。・・・」

 材木や銅の寄進はもちろん、労役の寄進は延べ200万人を超えたと言われている。この詔は天平15年10月15日の日付となっているから、西暦でいえば743年である。ブガべーリャから遡ること約1,130年、聖武天皇も凄い。

 このほかにも多くの寄付事業の事例が並び、現代にもその流れが続いていることが述べられている。

 「2011年の東日本大震災もひとつの契機となり、営利、非営利の垣根を超えて、寄付やボランティアなどの社会貢献活動に参加する人たちが増えています。」 

そして、

「今までの日本は、社会を良くする具体的な方策を、経済や公的保険、年金などの従来型システムに頼ってきましたが、それだけでは問題の解決が難しい時代を迎えようとしているようです。」

 と結んでいる。

 つまり、「市場経済」だけでなく、見返りを求めないことが幸せにつながるという考え方が大切な時代になってきているのだ。経済学でいうところの「贈与経済」である。そういえば、最近読んだ笛木あみの『縄文人がなかなか稲作を始めない件 縄文人の世界観入門』には、縄文時代の生活は「贈与経済」が基本だったと書いてあった。「贈与経済」はモノが人から人への『贈り物』や『お土産』によって流通する経済であり、お金という共通価値を媒体としてモノが流通する「市場経済」の対局に位置している。「贈与経済」の仕組みをとっていた縄文時代は、日本で一番長く平和が続いた時代だったといわれている。「市場経済」と「贈与経済」の絶妙なバランス。この絶妙さの加減が世界の平和につながっていくに違いない。

ごちそうさまでした。コーヒーもお菓子も、美味しかった。そしてお話も、面白かった・・・?

 
そういえば・・・
 
神社に酒樽がよく置いてあるのは奉納だし、相撲や踊りも奉納するという。お賽銭をあげたりもする。神様に捧げるお酒は奉献酒だし、神棚にお米やお塩をお供えすることも日常的である。神仏に対する畏れと敬いが、お供えに繋がっている。お供えは、神仏に対する贈りものである。自然の恵みや金銭、労役を神仏に贈ることは、見返りをを求めることなく感謝の気持ちを表すことなのである。贈りものをすることは、私たち日本人の心の拠り所になっているに違いない。


<参考>
⚫︎「学問のするめ」・・・合格祈願に関する商品の企画・製造・販売をする株式会社合格が販売する商品。直営店舗が太宰府にあり、参拝者の人気を集めている。

⚫︎鳥居徳敏『よみがえる天才6 ガウディ』 筑摩書房 2021年・・・ブガベーリャは「(カトリック)教会は祈ること、・・・苦難と試練のこの時代に熱意を持って祈ることを勧める。・・・聖人たちは天と地を取り持つ強力な仲介者であり、彼らの仲介により人類の惨めさを救うための神の慈悲が注がれる。聖母マリアは全ての聖人たちに君臨する座にあり、その清純な夫、・・・イエス・キリストに父と呼ばせたホセ(ヨセフ)も。彼女と共に特別な影響力を持つに違いない。・・・サン・ホセに縋ろうではないか。カトリック教会の庇護のもと、社会のため、彼に尊い加護を嘆願しようではないか。」という趣旨で、「サン・ホセ(聖ヨセフ)信心会」を設立したと書かれている。

⚫︎東京国立近代美術館『ガウディとサグラダ・ファミリア展』 2023.6.13〜9.10まで開催・・・ガウディの創造の源泉であるサグラダ・ファミリア聖堂の軌跡がわかりやすく展示されている(一部写真撮影も可)。

⚫︎ガンバ大阪『STADIUM GUIDE スタジアムガイド』 2019年・・・「日本初『みんな』でつくるスタジアム」というタイトルで、スタジアム建設募金団体が設立され募金を集めたこと、完成したスタジアムを吹田市に寄贈したという建設の仕組み、建設資金140億8,567万円の内訳(法人:721社 寄付金99億5,019万円、個人:34,627名 寄付金6億2,215万円、補助金:35億1,333万円 日本スポーツ振興センター・国土交通省・環境省)について記載されている。

⚫︎近藤由美『「寄付」のすすめ』 東洋経済新報社 2014年・・・表紙には「世の中を良くして自分も幸福になれる」、帯には「「与える人」こそが与えられる」と書かれている。

⚫︎宇治谷孟『続日本紀(中)全現代語訳』 講談社 1992年・・・天平15年の「冬十月十五日、天皇は次のように詔された。」として「盧舎那仏造営の詔」の現代語訳が掲載されている。

⚫︎笛木あみ『縄文人がなかなか稲作を始めない件 縄文人の世界観入門』 かもがわ出版 2022年・・・「縄文人の採っていたと考えられるシステムは、『贈与経済』といいます。これは、世界のさまざまな民族に最近まで見られたシステムで、モノが人から人への『贈り物』や『お土産』によって流通するのです。贈与経済において、『商品』の対価として支払われるものは、強いて言えば『負い目』です。」と、興味深いことが書かれている。

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